短編
□呪いを解いて王子様
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「あーかしっちいいぃぃっ」
…また来た。
犬の、頭に響くくらい大きな声。尻尾を千切らんばかりに振って駆けてくる、黄色い大型犬。
この前突進されてかなり痛かったので、今回は一言「待て」と言う。犬は命令通り赤司の目の前で立ち止まった。よくできましたと頭を撫でてやる。
「赤司っち赤司っち、好きっすよ!」
「知ってる」
一日に最低でも三回は言われる、忠誠の言葉。忠誠心が伝わっているかどうか、余程不安らしい。知ってる、と返すと嬉しそうに笑ってくる。
もっと構ってやりたい気がない訳でもないが、今は朝練中で。犬に練習に戻るよう命令する。犬は大人しく、元気に練習に戻った。
と、背中が急にあたたかくなる。
「犬、ってかんじだね〜」
「そうだな」
「オレも赤ちんの犬だよー。忠犬敦公。わんわん」
「そうだな……敦公。まいう棒は『待て』だ」
「………………くぅーん」
あまりにも切ない目で見てくるから、今食べているものだけは許してやる。
紫原も、練習をそっちのけて赤司のところに来た身である。しかしまあ、いいかと思う。今、赤司は一人だ。さっきまで1on1の相手をしていた緑間は、随分前に左手を見て血相を変えて出ていった。爪に何かあったんだろう。
「1on1をやろう、紫原」
「はーい」
飼い犬とじゃれるような、遊ぶような1on1。楽しそうな紫原を見ていると、こっちも割と楽しくなる。
ふと視線を感じて見てみると、犬が恨めしげにこちらを見ていた。
* * *
「黒子」
昼休み、教室。
声をかけると、黒子はふわりと笑って「なんですか」と答えた。
「見つけてもらえるのが嬉しいか? そんなに笑って」
「君に見つけてもらえて嬉しいんですよ」
「? …まあいい。それはさておき。相席していいか?」
「喜んで」
黒子の前の席を拝借する。ちらりと黒子の机を見てみると、ちまっとした弁当が鎮座していた。少食な赤司より少食だ。
本題にはまだ至っていない。どう話を切り出すべきか。考えつつトマトをつついていると、黒子が口を開いた。
「彼のことですか?」
図星。
彼、と表現したのは、彼と言うだけで伝わると思ったか、彼としか言っていないにも拘わらず、自分が誰かの名前をあげるのを待っているからか。
前者でも後者でも構わない。トマトを口に運んで頷く。
「リードが緩んできてるんじゃないか? 最近やたらめったらオレのところに来るぞ、アイツ」
「ボクの犬じゃないですよ。キミのでしょう」
「ああ。だがオレはオマエに手綱を任せた」
「確かにそうですが。仕方ないですよ。犬がブリーダーより飼い主に懐くのは」
それにしたって。今まで黒子っち黒子っち五月蝿かったのに。ある日いきなり赤司っち赤司っち五月蝿くなった。調子が狂う。
赤司より量が少ないゆえに赤司より先に食べ終えた黒子は、弁当をしまいだした。
机から次の授業の道具を出して言ってくる。
「しつけは終わったので、飼い主のキミにご返却します」
* * *
「青峰っち、ワンオンワンしましょう!」
今日も今日とて、犬は青峰に遊びを求めている。今朝――朝練の時求めていなかったのが珍しいくらいだ。
青峰は、それはそれは嫌そうな顔をしていたが、犬の申し出を受けた。何だかんだで優しい奴だ。いや、単に、誰相手でもバスケがしたいだけのバスケ馬鹿か。
まいう棒を食べている紫原の胡座の上に座る。
「オレにまいう棒の欠片を落とすなよ」
「わかってるってー」
二人で犬と青峰の遊びを眺める。やはり青峰の方が何枚か上手だが、犬も中々やる。これなら試合に出しても……
…………何を考えてるんだろう、自分は。犬が試合に出られるわけがないのに。試合に出られるのは人間だけだ。
「赤ちん…?」
紫原が、少し心配げにこちらを見上げる。見上げる……いつの間にか立ち上がっていたようだ。
震える喉に力を込める。
「休憩だ」
途端に広がる、周囲の嬉々とした顔。それらを尻目に体育館を出て、その裏側に行く。
影が落ちる体育館裏に自分を隠して、しゃがんで、うずくまる。犬のことが頭から離れない。きゃんきゃん鳴く声、飛びついてくる大きな体。体温。
「赤司っち」
ただでさえ薄暗かった視界が、更に暗くなる。見ると目の前に、お座りをした犬がいる。とっさに顔を下に向ける。どうして向けたのか分からない。
「見ててくれたっすか? さっきの。青峰っちから一回ゴールとったんすよ!」
「……黒子につれなくされたからといってオレに懐くのはやめろ」
空気が凍った気がするが気のせいだろう。犬を見ないまま、俯いたまま、しっしっと手を振る。
そしてその手を掴まれた。
「なんでここで黒子っちが出てくるんすか」
「懐いているだろう」
「黒子っちは関係ないっす」
「どうでもいい」
「赤司っち」
顎を強引に掴まれて、性急に上を向かせられる。不機嫌そうな、切羽詰まったような目の犬がいる。綺麗な色の唇がへの字に歪んでいる。……馬鹿な。犬に唇があるわけ、
「いい加減、オレのこと、人として見てください」
重なった。
犬にないはずの唇と、自分の唇が。
後ろに逃げた頭が壁にぶつかる。痛い思いをしたが、押しつけるようなキスからは逃げられなかった。
解放された時、目の前には少年がいた。犬はどこにも見当たらない。
少年の黄色い髪が日影の中でも明るい。その色は、犬の毛の色そのもので……いや、悪あがきは止めよう。
赤司の顔が青ざめていく。
自分で自分にかけていた、魔法のような洗脳が解けてしまった。
彼が好きだった。けれど自分も彼も男だから、想いは叶わない。彼が想っている人が同性だとしても、それは自分ではなく、黒子だから。叶わないのが、辛かった。
だから、彼は犬なのだと、自分に暗示をかけた。
黄瀬涼太などという人間はいない。ただ、黄色い犬がいるだけだ、と。
上手くいっていた。黒子に懐く彼を見ても胸は痛まなかったし、彼に好きだと言われても、何とも思わなかった。
けれど「好き」の言葉が、暗示を少しずつ溶かしていっていた気がする。黄瀬を犬だと思いにくくなったのは、彼が自分に「好き」と言ってくるようになってからだ。
「っ……」
――首筋と肩の間を噛まれて我に返る。黄色い頭が、赤司の肩に乗っている。
「黄、瀬……、やめろ」
「やっと、オレの名前呼んでくれたっすね」
シャツの裾から侵入した手に腹を撫でられる。反射でひくりと震えると、耳元で笑いが聞こえた。
「赤司っちに褒めてもらいたくて、黒子っちにうざがられるくらい、バスケ教えてもらったんすよ。ね、オレ、成長早かったでしょ?」
黄瀬の飲み込みは異常に早かった。そこも天賦の才なのだと思っていたが、それだけじゃなかったのか。
「赤司っちがガチでオレのことを犬として見てたのは知ってるっす。なんで人として見てもらえなかったのか分からないけど、人として見てもらいたくて頑張ったっす。何でか分かりますか?」
「知、るか…っ、いいから黄瀬、手と口を離せ」
「犬じゃ恋人になれないから」
犬じゃ恋犬だもんな――なんてくだらないことを考えて現実逃避。黄瀬の手は心臓の右上辺りをまさぐっている。
いきなり、手はそのまま、しかし顔は赤司から離れた。黄色い目に見据えられる。
「赤司っち。好き」
「…………オレもだよ」
観念して呟けば、黄瀬は嬉しそうに笑ってズボンに手をかけてきた。蹴り飛ばして体育館に戻る。
情けない声が後ろをついてくる。黄瀬に尻尾があるなら、それは千切れんばかりに振られているに違いない。そう確信した。
END.
* * *
大真面目に黄瀬を犬として見ていた赤司様。犬が学校に通ってるという程度の違和感は見て見ぬフリ。黄瀬の言葉はガチで犬の鳴き声にしか聞こえてなかった、けどなぜか意思疏通できるという程度の違和感は見て見ぬフリ。
……という、捕捉というか裏設定、でした!