短編

□特効睡眠薬
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「眠れないの」


 そう言って紫原は毎日オレの家にやって来る。風呂も夕飯も自分の家で済ませてから、オレのところに潜りこむ。
 オレは眠れない紫原に明日の宿題を持参させ、やらせる。途中紫原の大きな手が止まったら、ヒントをあげる。因数分解とか、関数とか、英文法とか。
 そして、宿題が終わったら、電気を消して一緒にベッドの中。オレには大きいこのベッドは、紫原をやすやす受け入れる。
 紫原の鼻がオレの髪にうずまって、紫原の腕がオレを抱えこむ。そうして紫原に包まれたオレは、目を閉じる。



 赤ちんはオレの睡眠薬なんだよ。



 なぜか嬉しそうに、紫原は言う。
 睡眠薬。使えば使うほど依存する、ドラッグのような薬。
 紫原は、オレと眠るたび、オレに依存していっているのだろうか。それは恐ろしくもありくすぐったくもあり。背徳感があり幸福感もあり。
 毎晩毎晩、紫原はオレを訪ねる。毎晩毎晩オレに宿題のヒントをもらって、オレと一緒に布団にくるまれる。

 毎晩それを繰り返して、オレ達は進路を決める時期に突入した。


 その頃にはオレは、紫原の睡眠薬であることを辞めなければならないと思っていた。


 いつまでも共にいられるわけではない。いつか離れなければいけない。ならば依存がこれ以上依存になる前に離れた方が、彼の為だと。そう思って。自分に言い聞かせて。


「赤ちん寒がりなのにだいじょーぶなのー?」


 秋田の陽泉高校に行け、と言った時、紫原はそう言った。オレと違う高校に行く可能性は考えていないようだ。

「……オレは、洛山に行く」

「らくさん?」

「京都の高校だ」

「っ、それじゃ、離れちゃうよ。赤ちんと離れるのやだ」

 案の定というか、紫原は駄々をこねた。オレもオマエと離れたくはないけれど、やっぱり依存は良くない。
 だからオレは命令する。陽泉へ行け、と。オレに最も忠実な紫原は、渋々ながらも頷いた。



 そして、スポーツ推薦で苦もなく合格し、苦労もなく卒業し。
 オレは京都へ引っ越した。
 引っ越し前夜まで「眠れない」と家に突撃してきた紫原を追い返さなかったのは、やはりオレが紫原に甘いからか。

 引っ越して、荷をほどいて、整頓して。引っ越し一日目はそれで終了。
 その日は環境が変わって脳が興奮していたからか、まったく寝つけなかった。


 二日目、視界に紫色が写るたびにアイツを思い出し、その都度頭を振って気を引き締め、春休みの宿題に取りかかった。高校は入学前の春休みにも宿題があるらしい。
 環境にまだ慣れていないのか、また眠れなかった。


 三日目、部屋の整理と宿題を終わらせた。さすがに、終わらせた時には日が沈んでいた。集中しすぎて昼食を抜いてしまった。食事を抜くことは体調不良の原因となり得る。少し反省した。
 その日は夜明けの少し前に寝て、夜明けと共に目を開けた。


 四日目、とうとう悟る。
 不眠症なのは僕の方だったのだ。僕が睡眠薬なんじゃない。敦が、睡眠薬をやってくれていたのだ。
 誰もいない部屋のベッド。実家から持ってきた、敦と眠っていたベッド。一生懸命シーツに顔を押しつけて、敦の体温と匂いを探す。微かに匂いを見つけた。安心したけど足りない。どうしよう、眠れない。

 依存していたのは僕の方。案外気が利く敦は、僕に気取らせないように、僕を寝かしつけてくれていた。

 敦を陽泉に送ったこと、自分が洛山に来たことを後悔してはいない。けれど陽泉に送った理由と洛山に来た理由に関しては、後悔してしまった。

 あの優しさを無下にするなんて、どうしようもない。

 眠れないことに恐怖した。シーツを、爪を埋め込む強さで握る。



 いつの間にか、五日目の夜。眠いけど眠くなくて、やはり眠れない。

 チカリ、と枕元のケータイが光った。次の瞬間ケータイは震え、ディスプレイに名前を映し出す。僕はその名前を認識すると同時に、通話ボタンを押した。



『眠れないの』



 五日ぶりの声が鼓膜を振るわす。ドッと眠気が押し寄せてきた。まぶたが重い。


『がんばってみたんだけど、やっぱ寝れない。赤ちんと話したら眠れるかな、っておもって電話してみたー』


 迷惑じゃない? と恐る恐る聞いてくる声がいとおしい。



「そんなことない。……ありがとう、あつし」



 敦はなんて答えただろう。僕には聞こえなかった。
 襲ってくる五日分の眠気の言う通りにしたから。



* * *



 ありがとう、に返した言葉に対する返事は、穏やかな息――寝息だった。
 電話をかけた途端に眠ったということは、やっぱり眠れてなかったみたい。


 大好きな王様がたのしい夢をみられますように。
 その夢に会えるように、オレも布団をかぶって目を閉じた。



END.



* * *
初紫赤短編。紫原は不眠症ではないけど赤司がいたらよく眠れる、みたいな感じです。

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