短編

□欲しいものはなんですか?
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 困った。寒い。

 京都が東京と変わらない寒さだったから、京都と同じくらい東京から離れた秋田も、東京並みの寒さかと思っていた。甘かった。寒い。
 ピピピピ、と電話が鳴った。取り出してみると、玲央からの着信だった。

「…もしも」

『ちょっと大丈夫!? 征ちゃん! 間違って沖縄に行ってない!?』

『よっ! 赤司ぃーっ、そろそろ洛山シックになったー?』

『湯豆腐あげる、って言われても知らない奴に着いてっちゃダメだぞ赤司!』

 玲央、小太郎、永吉の声がした。五月蝿かった。過保護すぎると思った。僕は方向音痴でもないし寂しがりやでもないし、湯豆腐に釣られるお子様では――


「Hi! おいしい湯豆腐の店を知ってるんだけど、行かない? 奢るよ」

「ぜひ」


『征ちゃんー!?』

『赤司ダメだって! こっちにも湯豆腐あるから!』

『カムバック洛山!』

 大丈夫、とケータイに告げて電源を切る。三人の悲鳴が最後に聞こえた。どんだけ過保護なんだ。

 僕も、見ず知らずの他人にホイホイ付いていくほどバカじゃない。
 目の前で柔らかな笑みを浮かべて立っているのは、一応面識のある人物だ。


「久しぶりだな、氷室辰也。WC以来だ」

「久しぶり、赤司君。今思ったけど、WCってトイレみたいだよね。実はオレ、初めてWCを見た時、トイレのことかと思ったんだ」

「どうでもいい。早く湯豆腐……じゃない、陽泉に連れていってくれ」

 いい人なのだろうけど、この無駄話は今はいらない。寒いし熱い湯豆腐を食べたいし、敦を見たい。
 氷室辰也はゆっくり笑みを深め、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「湯豆腐奢る、っていうのは冗談なんだ。ゴメンね」

「ブラックジョークにも程があるぞ…っ」

「お詫びに京都の君の家に、ここらで一番おいしい湯豆腐を送っておいたよ」


 すごくいい人だ。


 氷室は今気付いたみたいに、僕の服装を見て目を丸くする。防寒具はコートだけ。手袋もマフラーも忘れた。「それでは風邪を引いてしまう」と自分の耳当てとマフラーと毛糸の帽子と手袋を僕に着せた。
 僕の代わりに冷えた格好になった氷室は、温度的に迷惑な涼しい笑みを浮かべて「気にしないで」と言った。ここの人間なら僕より寒さに強いだろう。お言葉に甘えて防寒具を借りたままにする。

「さ、行こう。陽泉までは歩いて……十分はかかるかな」

「ああ。手数をかけてすまない」

「気にしないで。お礼は君との1on1で」

「勿論」

 そこからは、バスケや学校、敦の話をして歩く。僕の知らない敦を話す氷室には正直妬けたけど、その僕の知らない敦を教えてくれるから、複雑な気分だ。感謝はしている。
 ニーチェの話をしていた時、陽泉高校が見えてきた。体育館で敦がバスケをしているのだろう。

「校舎、見るかい?」

「…敦のクラスだけ、見る」

「こっちだ」

 連れていかれたのは四階のとある教室。多分後ろの席だろうな、と最後列を手前から順に見る。
 一歩教室に踏み込む。窓際の一番後ろの机に歩みより、平らな板を撫でる。
 中学の、敦の机と同じ感覚。空気。スナック菓子の欠片が周りの床にこぼれていて、教科書が少し机からはみ出ていて。敦の空気がする。

「君のエンペラーアイはすごいね」

「アナタの机を探せと言われても、見つけられない」

「アツシ限定、かい? 微笑ましい」

 微笑む氷室からは、兄貴分、というよりお兄さん役の雰囲気がした。
 机の後ろに屹立する掃除用具入れからホウキを出し、床の菓子の欠片を掃いて集める。背後で空気が動いて微かなもの音がした。振り返ると、ちり取りを持って微笑む氷室がいた。
「カノジョかお母さんみたいだね」とからかってくる氷室に、つとめて冷静に「前者が望ましいな」と返す。
 ちり取りに欠片を追いやり終えると、氷室はそれをゴミ箱に持っていった。水色の縁にちり取りをカンカンぶつけ、欠片を落とす。
 僕はホウキを掃除用具入れに戻し、氷室がちり取りを戻したのを見届けてから、ドアを閉めた。
 肩かけ鞄から手紙を取り出し、敦の机に忍ばせる。

「手紙? 古風だね」

「手紙の方が、メールより僕が分かるだろう。メールでは僕の字は読めない。…敦なら、手紙でもメールでも、僕を存分に分かるかもしれないけど」

「すごいノロケだ」

 微笑ましそうに微笑む氷室に、またも鞄から出したブツを渡す。

「まいう棒……京都限定湯豆腐味詰め合わせ…?」

「お土産だ。一本くらいなら、お前も食べていいぞ」

「それは遠慮しておくよ」

 氷室は苦笑して教室を出る。聞かずとも、次の行き先は分かっていた。
 次に行くのは、体育館。



* * *



「……本当にいいのかい? アツシに会わなくて」

「ああ。こうしてこっそり、見ているだけでいい」

「日本人はよく分からないなあ…」

「お前も日本人だろう」

 体育館の入り口にて。
 僕と氷室は、こっそりと中を覗いていた。氷室はなんだか楽しそうだ。少年のような人である。

「本当にいいのかい?」

 また訊いてくる彼に、少しうんざりしながら頷く。
 きっと納得しないだろうから、今度は理由も述べる。目線はコートを駆け回る敦に固定したまま、口を動かして。

「僕に気付いたら、敦は練習を放り出す。僕のせいでそんなことになるのは嫌だ」

「…ノロケ第二段だ」

 生暖かい視線を頬に感じる。ちょっと居心地が悪い。
 僕は氷室を意識から放り出して敦を見つめた。相変わらずお菓子を食べているな…。
 無性に敦に会いたくなってここまで来た。もう十分だ。姿を見れただけで。
 ……これ以上ここにいたら、敦に駆け寄りたくなる。僕は入り口から首を引っ込めて、マフラーに鼻先を埋めた。知らない匂いがした。

 まだ体育館を覗いていた氷室が声をあげたのは、そう長い時間が経っていない時だ。


「…どうしたんだい?」

「アツシの様子がおかしい」

「は?」

 もう一度体育館を覗こうとした僕を、いつの間にか体育館内から自分が見えないようにしていた氷室が制する。

「…アツシがこっちを気にしてる」

「気付かれたか…?」

「そこまではちょっと…」

 まいう棒の匂いを嗅ぎ付けたのだろうか。まったく、涼太みたいなことをしてくれる。
 僕は素早く体育館入り口から身を引いた。

「え、ちょ、赤司君!?」

「帰る。案内どうも」

「え、え、」

 完璧に気付かれない内に退却する。早歩きで今日初めて知った敷地内を横切り、校門を目指す。
 氷室の声は全て無視した。



* * *



「…赤ちんの匂いがする」

 は? と周りの誰かが声をあげた。気にせずキョロキョロして、匂いの元を探す。
 ケーキとはちがう、お花みたいな赤ちんの匂い。オレがまちがえるわけない。
 入り口の方かな。キョロキョロを止めて入り口に向かって歩く。そこからはお花みたいな匂いがして。ここに赤ちんがいるわけないのに、胸がドキドキした。
 ひょい、と外を見る。かくれんぼするみたいに入り口の脇に立っているのは、残念ながら、赤ちんじゃなかった。

「室ちん……赤ちんの匂いがする」

「…キミ達は本当に……アベック? いちゃいちゃ? なんて言うんだっけな…」

「ばかっぷる?」

「そう、それだ」

 ぽん、と手を叩く室ちん。すっきりしたお顔。
 そんな室ちんが持っている深緑の紙袋からは、お菓子の匂いがした。じいーっ、と見つめていると、室ちんは「ああ、これ?」と袋をかかげた。

「お土産だよ、アツシに」

 渡された袋の中には、まいう棒京都限定湯豆腐味。京都、げんてい。
 頭のなかの考える部分が固まる。どうして、京都限定がこんなとこに。
 赤ちんの匂いと、京都のお菓子がここにある。それってどういう意味――おバカな頭がいやになる。

「アツシ」

 オレが考えているあいだ、とりに行ってたのかな。室ちんはオレのマフラーと手袋と帽子を持って、わらった。

「そういえば、返してもらい忘れてたんだ」

「…?」

「最近オマエの練習量を増やしていたのは、今日のためだよ。あの子はやっぱり、自分がアツシの練習の邪魔になることを嫌がっていた」

「…………」


「でも、今日の練習は昨日まで増やした分に入ってるから大丈夫。だからアツシ、ハウス」


 オマエのハウスは、あの赤い子なんだろう?


 体育館を飛び出す。自分でも、犬みたいだと思った。でもいいや。赤ちんの忠犬、赤ちんだけのいぬだから。
 犬はさ、いとしいご主人さまのところにダッシュできる。匂いでわかるし、だいすきだから。
 校門をでて右にまがって走る。赤い影は、すぐ見つかった。


「…かちんっ」


 緊張して声がかすれた。おおきさも小さい。これじゃあ聞こえないだろう。もいっかい息をすう。

 小さくかすれたオレの声。けれどオレのご主人さまは、神様は。だいすきな人は、振り向いた。赤と黄色の目がまばたきした。
 あつし。赤ちんが言った。赤ちんのくちびるが動いた。もしかしたら、その声はオレのところまで届いていなかったかもしれない。オレが聞いたのは空耳だったかもしれない。けれど、赤ちんが言ったのは、たしかだ。

 立ち止まった赤ちんのところまで走った。室ちんの服まみれな赤ちんに、まゆの間にシワを作ってしまう。帽子も手袋もマフラーも耳当ても、全部とった。

「さ、さむい…敦」

「こっち着てー」

 回収した室ちんの手袋をポッケに入れて、マフラーと耳当ては帽子に入れた。
 オレを見上げた赤ちんが悲しそうな顔をする。

「練習、放ってきたのか…」

「昨日までいっぱいやったから、今日はもういいって」

「……なぜ言わなかったんだあの人は…」

「ん?」

「なんでもない。……寒そうだな、敦」

 オレのかっこうは、学校のジャージ。赤ちんでいっぱいでわすれてた。思い出すとさむい。
 あっためてー、とおねだりすると、「仕方ないな」って赤ちんはオレにもたれた。ああ、久しぶりのかんかく。

「これからどうしようか…」

「おいしい湯豆腐のお店があるよ。一緒に行こ?」

「…そうだな」

 敦になら、奢られなくても付いていくよ。

 その言葉はオレ以外にも向けられたみたいだった。誰に言ったのか気になったけど、赤ちんが嬉しそうに笑っているから、オレはぎゅっと赤ちんを抱きしめた。



END.



(おいしい湯豆腐より)
(京都限定まいう棒より、)
((君がほしいのだけれどね))


* * *
一泊して京都に戻った赤司様は目の下にどす黒い隈を作った洛山の方々に迎えられます。紫原は、もらったまいう棒のうち一本を永久保存して観賞用に。

 

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