短編
□微笑みに浮上
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「……は? 電車?」
そんなの知らん。寝耳に水だ。 だが緑間は、眼鏡の位置をテーピングした左の指で直しながら、頷いた。教室移動の途中なのだろう、教科書とノートと筆記具を持っている。
緑間の隣では、同じクラスだから一緒に移動していたのか、緑間と同じ荷物を持った青峰が欠伸をしていた。
今日の夕方、大会があるという。主将であるオレが知らなかったのは、監督が伝え忘れたから。お詫びとして電車代は監督が持ってくれるらしいが、問題はそこではない。
「四時半までに現地に集合とのことなのだよ」
「……全員一緒に行くんだよな?」
「ああ。いつ、どこに待ち合わせる?」
「……三時半に、東門の前で」
「分かった。黄瀬達にも伝えておく」
緑間は袖口をずらして腕の時計を見て、少し表情を固くした。突っ立つ青峰に声をかけて早足に去っていく。四歩で教室に戻って時計を見てみると、もう一分でチャイムが鳴る、という時間だった。
着席しつつ、息を吐く。
……みんなで行くなら、大丈夫だろう。
実はオレは、電車の乗り方を知らない。
電車に乗ったことがない。切符とか改札とか、見たことがない。
小学校の遠足や社会見学はバスだった。中学校の社会見学も、今のところはバスのみ。
私用やバスケの大会に出る時は、自転車で行くか車で送ってもらうかで。
だから、知らない。つまり一人では大会会場に行けない。
みんなと行くなら、切符の買い方とか線路の選び方とか、見て覚えることができる。つまり問題はない。
……と思ったのだが。
「ああ、赤司。放課後ちょっと手伝ってくれ」
……田中(担任)。殺す。
* * *
ただ今の時刻は四時。会場には十五分くらいで着くから、時間は問題ない。
問題なのは、他のメンバーがもう東門にいないこと。当然だ。待ち合わせは三時半なのだし、オレは、遅れるから先に行くよう緑間に連絡しておいたのだから。
どうしたものか。東門から離れて駅へ歩きながら考える。
誰かに聞くというのはプライドが許さない。ケータイで調べようにも、オレのケータイはiモードが使えないから無理だ。
会場の最寄り駅に行きそうな人のあとをつける――行きそうな人なのかを見分けられない。
解決策を考えている間に、駅が見えてきた。非常にまずい。
「お、赤司」
背後で、ここで聞いてはいけない声が聞こえた。ほとんどの人が喋っていないだろうにうるさい雑踏の中で、明瞭に。
振り返ると、スポーツバッグを肩から提げた青峰が真後ろにいた。
「…オマエ、何でここにいるんだ。緑間達との待ち合わせ時間は過ぎてるだろ」
とりあえず睨んでおいたが、内心は「助かった」の言葉でいっぱいだ。
青峰と行けば電車に迷うことはない。いくら青峰がバカでも、電車には乗れるだろうから――いけない、自虐を思ってしまった。
財布から監督に頂いた金を出し、青峰に渡す。
「オレの分の切符も買え」
「何でオレが――」
「オレの言うことは?」
「…ぜったーい」
……なんなんだろう、この魔法の言葉。
少しずつ歩みを遅くして、青峰の隣を歩くようにする。青峰の歩く先に足の向きを合わせる。
青峰が向かったのはタッチパネルのある機械だった。青峰はデフォルトされた大人が二人書かれたボタンを押して、タッチパネルの300と表示された四角をタッチした。
大人二人を押したのは、オレと青峰の二人が切符を買うからか。だがなぜ、300を押したのだろう。
「買ってから言うのもあれだけどさ、×駅だから300円だよな」
機械から切符を出してから、青峰は機械の上にある線路図を指して言った。人差し指が指す先に、会場の最寄り駅の名前。二つある数字の内一つが150――なるほど、だから二人で300円か。下のもう一つ数字は子供料金だろう。
今知ったことだが、前から知っていた風を装って頷く。すると青峰はオレに切符を一枚渡して歩き出した。
ついていくと、また機械が現れた。四角い板のようなもの二枚を使って通路を塞いでいる。青峰が切符を入れると、板が開いた。これが改札というものか。
同じように切符を機械に入れる。板が開いた時には感動を覚えた。
「赤司、切符取んの忘れてんぞ」
青峰が言った。見ると改札から切符がはみ出している。あれを取り出すのか。
取り出して青峰の隣へ行くと笑われた。
「意外とそそっかしいんだな」
「青峰。オマエの今日のノルマは四十点だ」
「すんませんっした」
改札の向こうは不思議な世界だった。一番線とか二番線とか、東京行きとか青梅行きとか書いてある看板。ここから何をどう選ぶのだ。
青峰はさっさと三番線に行ってしまった。慌てて、しかしそれを出さずに追いかける。
階段を駆けおりたら、そこはホームという場所のようだ。電子掲示板や自販機、駅名が書かれた看板がある。
「四時十分発だってよ。ギリギリだな」
電子掲示板を見上げて青峰は呟いた。オレは、一気に訳が分からなくなった電車の乗り方の謎を解き明かすのに忙しくて、適当に頷いた。
一番線とか二番線ってなんだ。東京行きというのは、東京以外に行けないということなのか――
「シワ寄ってんぞ」
突然、ぐりっ、と指の腹で眉間を押された。思わず見上げると、おかしそうな顔をした青峰。
電車が来る、とアナウンスが伝えてくる。ごおお、と象の鳴き声をこもらせたような音がする。
「…オマエ、電車の乗り方知らねーんだろ」
なぜ分かった――そう聞くことはできなかった。電車がやって来て、青峰はその中に入ったから。
振り向いた青い目があたたかく細まる。
「乗れよ。乗り方、会場に着くまでに教えてやる」
上から目線だし、バカな青峰に教わる羽目になるし、電車に乗れないことを知られたし。
最悪だ。
最悪だ、けど。
笑顔を止められない。
* * *
「あっ! やっと来たっす!」
「まったく…先生に呼ばれた赤司はともかく、なぜオマエまで時間ギリギリに来るのだよ」
「どしたの赤ちん、フキゲンみたいな楽しそうみたいな顔してるよー?」
「青峰君は思いきり楽しそうにしてますね」
四時十六分。
会場に行くと、四人がそれぞれ口々に言った。アップを終えた黄瀬が青峰の元へ向かう。
「青峰っち、なんで遅れたんスか? また寝坊?」
「ほしゅーだほしゅー」
「え? だって青峰っち、今回のテストは頑張ったから、平均の半分は越えたんっしょ?」
「は…?」
思わず声を上げたオレを、青峰が「げっ」といった目で見てきた。どこかに鋭いものはないだろうか。ハサミとか。
空気を読んだらしい黄瀬が黒子のところへ行った。空気を読んだらしい四人は、先にホールへ行った。
二人きりになった控え室で、オレは腕をくむ。黄瀬の言葉を脳内で反芻しながら口を開いた。
「…どうして補習だと嘘をついた?」
「いやー、その、電車に乗る、って緑間が言った時、オマエ変だったから…」
コイツ、こんなに目ざとい奴だったのか。……いや、黄瀬がピアスをつけた時も、緑間が眼鏡を変えた時も、紫原がバッシュを変えた時も、黒子が髪を切った時も、気付かなかったコイツだ。
きっとオレの変化だから、気付いたんだろう。
まったくこれだから、コイツを好きでいるのを止めることはない。
青峰のユニフォームの襟を引いて、わ、と声を漏らした唇に口付ける。三秒で離して、ポカンとした顔に笑う。
「お礼」
続きをしたかったら、五十点とってみろ。
そう告げると、
「望むところだ」
不敵な笑みが返ってきた。
END.
* * *
赤司が電車に乗れなかったらかわいい、と思いました。
青峰は五十点どころか百点くらい取っていればいい。