短編

□不特定多数の顔無し
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 身に覚えのない欠席は、先生が席にいるボクに気付かないから。
 遠足で置いてきぼりになるのは、ボクがいないことに誰も気付かないから。
 熱で学校を休んでも連絡が来ないのは、誰もボクが休んでいることに気付かないから。

 誰もボクに気付かない。気付いた時は心底驚いた声を上げて、瞼と黒目が離れるくらい目を丸くして、幽霊でも見たかのように驚き、怖がる。例外なんていなかった。

 けれど中学に入って数ヵ月して。たった一人、ボクを見つけてくれる人ができた。当たり前のようにボクに気付く人だ。ボクが彼を見つけるより早く、彼はボクを見つける。彼のお陰で、ボクを見つけられる人は少し増えた。
 最初にボクを見つけた彼のことは、いつまでも特別。どんなにかけがえのない友達や仲間ができても、彼は格別大好きだ。



「…………誰だ?」



 彼――赤司君は、廊下の掲示板に張られているスポーツテストの上位者発表を見て、首を傾げた。ちなみに一位は青峰君と赤司君だ。
 三十人の名前が乗っている中で赤司君が君の名前をあげたのは、彼の名前だけ分からなかったからではない。この中で赤司君が覚えているのは、青峰君と黄瀬君、緑間君くらいだ。
 赤司君とボクと同じクラスの人で、名前が載っている人は、君だけ。つまり赤司君の発言は、「うちのクラスになんていたっけ?」という意味だ。彼はクラスメイトの名前を一人しか覚えていない。

 紫原はまた手を抜いたな――と苦笑する彼を、ボクはここから離れさせたくて堪らない。
 だって、いるんですよ。君が。赤司君の隣の隣――ボクの隣に。
 こっそり君の顔を見てみる。眉尻が少し下がった、困ったような顔。彼はクラスでも目立つ存在だから驚いたのは当然だ。ショックも受けているだろう。可哀想に。
 幸いというべきか、赤司君はすぐにその場を離れた。ボクが慌てて後を追うと、立ち止まって待ってくれる。


 彼は絶対、ボクを置いていかない。



* * *



「黒子。××、ってどこの席だ…?」


 クラスメイトの顔と名前を一致させられない赤司君は、先生に頼まれたりしてクラスメイトに物を渡す時、誰に渡せばいいか分からなくて困る。その時の赤司君は貴重な困り顔をしていて、ボクは胸が締めつけられるくらい嬉しくなる。
 クラスで先生さえ見つけられないボクを、彼は見つけ、あまつさえ頼ってきてくれる。


「××さんは、窓際の一番後ろの席の人ですよ」


 だからボクは、席替えした後の席順はその日の内に覚える。先生に頼りにされる赤司君はよくプリントの返却を手伝わされるから。

 小さく目を細めて唇の両端を上げて、綺麗な五文字がボクに贈られる。どういたしましてを返すと、赤司君は窓際へ向かった。



* * *



「好きです、赤司君」


 固くしようと頑張っているけど、弛く震えてしまっている声がボクの足を止めた。正しくは、声が紡いだ名前が、だろう。
 中庭の、校舎裏。あまり人が来ないそこの、今は葉をほとんど落として蕾をつけている桜の木の下で、二人は向き合っていた。一人は赤司君、もう一人は中々に綺麗な女の子。桜の花が咲いていたら、さぞ絵になっていたに違いない。
 赤司君が「悪い」と眉を寄せて言った。女の子がみるみる泣きそうな顔になる。顔を隠すように一礼して駆け去るその子を、可哀想と思う反面、心が安堵している。


「覗き見させてしまって悪かったな」

「…覗き見するなんて趣味が悪い、と言うところじゃないですか? そこは」

「オマエは暖かい日はよく、この木の下で本を読む。今もそのつもりで来て、先客がいて困っていたんだろう?」


 オマエは悪くない、という赤司君は、ボクを疑うことを知らないのかもしれない。絶対に木の下で読書がしたかったわけじゃない。立ち去ろうと思えば立ち去れた。
 ボクは、キミが何て返事をするか気になって、敢えてこの場に留まったというのに。


「断ったんですね」

「当たり前だ。顔も名前も知らない人間と付き合えるか」


 同じクラスの人だったのだけど、今更なことなので黙っておく。
 それに、と言ったきり、赤司君は口をつぐんだ。彼が言おうとした言葉を最後まで言わないのは珍しい。俯いた彼の目が前髪に隠れる。ボクの背がもっと低かったら、俯いた先の表情も知れたのに、残念だ。

 目元は隠した赤司君だけど、ボクは彼の口に閉じこもった言葉が何なのか、分かっていた。


「それに。ボクがいますし、ね?」

「……悪いか」

「まさか。嬉しいですよ」



* * *



 何となく、帰り道を歩くことが億劫で、ついつい放課後の教室にダラダラ居座ってしまう日がある。今日は、そんな日。


「オレの髪なんか梳いて楽しいか?」

「はい、とっっても」


 赤司君は人に好かれる。綺麗な顔で、頭が良くて、運動もできて、頼りになって、厳しくも優しくて。
 けれど赤司君に好かれる人はごく僅かだ。その逆――無関心を向けられている人は多い。世界の人口から十を引いたくらいの数だろう。
 好きの反対は無関心。嫌われてでもいいから彼の中に自分を存在させたい人に対して、ボクは優越感を抱いてしまう。
 だって。気付かないくらいボクに無関心な皆が赤司君に覚えてもらえなくて。覚えてもらえないボクは、皆が覚えてもらいたがっている赤司君に覚えてもらえている。


「……ザマアミロ、ですね」

「ん…何か言ったか?」

「いいえ、何も」


 サラサラの、夕日を引き立て役にしてしまうくらい鮮やかな赤い髪を食んでみる。甘くなかったけど美味しかった。
 何してるんだ、と呆れる赤司君の耳の色も、夕日を引き立て役にする赤だった。



END.








* * *
全校生徒の顔と名前を一致させられる赤司様もいいけど、大事な人以外は顔も名前も覚えられない赤司様もいいなあ、と。

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