短編

□頼りになりたい人がいる
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 きーんこーんかーんこーん、と。実はクラシック音楽であるというチャイムが鳴り、授業が終わった。こっそりケータイをいじっていた者、寝ていた者、落書きをしていた者、真面目に授業を聞いていた者――とにかく生徒全員が、解放されたように動き出す。
 日向は手早く勉強道具を片付け、弁当を片手に教室を出た。向かうは隣の隣のクラス。二年A組だ。
 目当ての人物は、日当たりのいい窓際の席にいた。机に顔を突っ伏している。真面目な彼は授業中は頑張って起きていたのだと思う。
 起こしていいものか迷いながら近づくと、うとうとしているだけで眠ってはいなかったのか、机から黒髪が離れた。腕に押しつけられていた前髪が少し変になっている。

「よう伊月。昼飯食わねえ?」

「……おはよ、ひゅーが。ごめん、早弁した」

「まじか」

 伊月が早弁なんて珍しい。それ以上に残念だったが、昼食が既に胃の中なら仕方ない。日向は伊月の前の椅子に座って弁当を広げた。一緒に食べれないからといって引き返すのは何となく嫌だった。
 卵焼きと、軽く醤油がかけられたご飯と、きんぴらごぼうとプチトマト、ひじきと昨日の残りの肉。今日の弁当は和風だった。
 お、と弁当を覗いた伊月が目を輝かせた。日向家の卵焼きは伊月の好物である。

「一個だけならやるよ」

「本当か? ありがとう」

 箸を差し出しながら言うと、輝いた目のまま受け取られた。母に作り方を教えてもらおうと思う。
 約束通り一つだけ食べて、伊月は箸を返してきた。今更間接キス程度でときめいたりはしない。しないのだ。
 他愛ない話をしながら弁当箱を空にしていく。最後の米粒を口に入れた時、伊月は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「……ごめん、寝ていい?」

「いい、けど。珍しいな、そんなに寝たがるとか。夜更かしでもしたか?」

「うん。いいネタが次々浮かんできて……雨期に浮き輪が浮きました、キタコレ」

「キテねえし意味わかんねえから。寝ろ」

「…ん、ありがと」

 言うが早いが、机に突っ伏す伊月。珍しくネタ帳にメモをしていない。そんなに眠かったなんて知らなかった。朝練の時、側にいたのだが。つくづく隠し事が上手い奴だ。
 弁当箱を片付けながら、日向は密かに溜め息をついた。



* * *



 眠いどころではなかったのだと知ったのは、部活が終わり、日向が部誌を書いているのを伊月一人が待っている時だった。机を挟んで向かい合って座っている時。
 いつもは何かしらの話を振ってくる伊月が、今日はだんまりを決め込んでいた。やはり寝不足は解消されていなかったのか。シャーペンの動きを早める。
 眠いなら寝てていいぞ、と部誌から目を離さないまま言って、返ってきた声があまりにも弱々しかったから、驚いて顔を上げた。


「顔白すぎだぞ!?」


 白いを通り越して青い。椅子を蹴倒して立ち上がり、頬杖をついて無表情な伊月の額に手を当てる。熱くない。平熱だ。
 伊月の冷たい手が、日向の手を掴んで下ろす。伊月の手が冷たいのは珍しいことではなかった。
 頬の脂汗を掌底で拭って、柳眉を歪めて、伊月は笑う。

「…なんもないよ。さっさと部誌書けって」

「なんもないわけあるかダアホ。そこまで辛そうにしてたら気付くわ」

「……そんなに表に出してないはずだけど、……あ」

 言質取ったり。
 長椅子に伊月を横たわらせる。保健室で寝かせてやりたいが、この時間はもう閉まっている。一体どうしたんだと聞いたら、なんもないよと笑われた。諦めの悪い奴だ。

「体調悪いってことは分かってんだよ。さっさと吐け」

「……腹痛いだけ」

「トイレ行くか?」

「そーいう種類の腹痛だったら、俺は朝からトイレに籠りっぱなしだよ……トイレにいっといれ……定番すぎるな」

 ダジャレもいつも以上に駄目だった。溜め息をついてそして、日向は聞き逃せない一言に気づいた。

「朝からって、お前……朝から我慢してたのか?」

「あ」

 しまった、と顔で言う伊月にまた溜め息が出る。どうして言わないんだか。
 ジャージを伊月にかけて、部誌を書く。急ぎたかったが雑に書くわけにはいかない。もどかしい。
 やっと書き終えた時、名前を呼ばれた。見ると、仰向けから横向きになってこちらに目を向ける伊月がいた。ちょいちょいと手招きされる。近付くと、立ち上がった伊月が寝転んでいた場所に座らされた。伊月が足の間に座ってくる。デレ期だ――じゃなくて。


「伊月?」

「こっちのがいい」


 デレ期だ。
 なんか喋って、と伊月は言う。静かにしてた方がいいと思うのだが、「日向の声聞いてる方がいい」デレ期だ。伊月の体調が芳しかったら、押し倒してその先に行っていたに違いない。
 目の前の黒髪を梳いてみる。指にまったく引っ掛からなかった。

「…今度から、具合悪いのを隠すたびに、元気になった後お仕置きするからな」

「うわ、変態だ……もっと上手に隠さないとなあ」

「ダアホ。もっと酷くするからな」

 それは嫌だな、と伊月は苦笑した。ちゃんと言う、と約束してくれた。
 だが、ちょっとやそっとの体調不良では黙っていそうだ。四十度越えの熱を出してやっとカミングアウトしてきそうだ。
 やはり自分がしっかり見ておかなければ。

 手始めのお仕置きとして噛みついた唇は、少し冷たかった。



END.








* * *
最後がなかなか決まらないのが私の小説です、はい。
日向に「ダアホ」と言わせたのは今回が初めて。
四十度越えの熱でカミングアウト→「日向、俺今日四十度の重度の熱あるから! きたこれ!」…これはない。

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