短編
□まどろみの羊水
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「今日の功労者はオマエだ。オマエが座れ」
「赤司が座るのだよ。オマエの方が疲れている」
「オレが疲れているわけないだろ」
「人間が疲れないわけないのだよ。大体、狭くてオレは座れない」
小刻みに、時おり大きく、揺れる電車内。満員の半分くらい人がいる。
そんな中、濃い緑をぽかりと晒している空白の座席。妊婦も老人も身体障害者もいないのだから、大会で疲れている中学生が座っていけないことはない。
ただ、スペースは人一人分しか空いていなくて。そしてオレと赤司の譲り合いが始まったのだ――今しがた決着がついたが。よくよく見れば、そのスペースはオレが収まるには小さすぎた。
すと、と赤司が濃緑に腰を落ち着けた。自分は収まるスペースにオレが収まらない、という体格差の証拠に不機嫌そうにしている。
スポーツバッグを膝に置いた白い手がオレの方に伸びた。オレのスポーツバッグを、膝に置いたそれの更に上に置くつもりなのだろう。断固拒否した。
「立っているオマエが持っていたら大変だろう」
「こんなものを二つも乗せたら、オマエの膝は潰れてしまうのだよ」
「…オマエはオレをなんだと思っているんだ…」
はあ、と溜め息をついて、赤司はスポーツバッグに腕を回した。少し前屈みになって、顎をエナメル地に乗せる。やはり多少なりとも疲れているのではないか。赤司の体力はオレ達の中で二番目に低い。体力最下位はいわずもがな黒子である。
オレがオマエをなんだと思っているか? ――神様でもない、ただの王様だろう。
どう思っているか、と訊かれたなら、なんて答えただろう。好きと正直に答えることがあり得ないのは確かだ。
頼れる奴、とも答えない。頼ることは相手に負担をかけることで。負担をかけられる奴、となんて思えるわけがない。
答えないオレに対してか、赤司は溜め息をついた。いや、オレに無視されたくらいで溜め息をつくような奴ではないか。返事がなくたって気にせず話を続ける奴だ。
だというのに吐かれた溜め息。
「心配事でもあるのか?」
「んー……おは朝がラッキーアイテムに銃刀を指定しないか、心配だな」
「おは朝はそんな無茶なこと言わないのだよ…」
「ラッキーアイテムが、無茶でない程度に、と限定されているのは、おかしくないか? ……大体、おは朝のラッキーアイテムは、無茶なものばかりだ」
「そんなことはない」
「…まあ、無茶なものなら、オマエが毎日、身に付けられるわけないか。無茶…というより、調達が難しい、といったところか」
赤司は理解がよくて助かる。
…それにしても、やけにゆっくり話しているが、やはり疲れているのではないだろうか。言葉の切れ目も多い。今日は相手校が強く、そして青峰と黄瀬がインフルエンザの餌食となって休んでいて、普段よりは苦戦した(それでも三十点差はつけたが)。
会話が途切れたのを機会と見て、こっそり赤司の様子を見る。暑いのか頬が赤い。艶やかな唇からは、時たま溜め息がこぼれ落ちる。ぎゅうと未だバッグを抱き締める様は、痛みを堪えているように、いや、眠気を堪えているように見えた。いつもより目に水気がある。
「……みどり、ま」
急に呼ばれる。凝視していたのがバレただろうか。何せあの赤司である。
喉の調子を整えてから返事をしようとしたら、バッグに爪を立てていた手がこちらに伸びてきた。
「…………て、」
手。赤司の手なのかオレの手なのか。しかし見ると、赤司の手はオレの手に伸ばされているような。オレより二、三回り小さいそれに、思わず触れる。すると縋るように握られた。
やけに強く握ってくるから、やはり違和感を覚えた。
「赤司……疲れているのか?」
「……正直言うと、少し」
おかしい。
三日連続で徹夜しようが四十度越えの熱を出そうが盲腸になっていようが隠し通そうとする赤司が、疲れたなどと言うわけない。赤司なら、気絶という行為で疲れたと主張する。
嘘なのだ。疲れたというのは。
いや、嘘ではないのだろうが、赤司が問題にしているのは疲れではない。本当の何かを誤魔化すために疲れたと言ったにちがいない。
何が赤司をそうさせているのか。思い出したようにひくりと体を強張らせる様子からすると、症状は絶対に疲労ではない。もっと高次元の何かだ。
赤司が控えめにオレの顔を見上げた。口が開いたり閉じたりしている。言うか言わないか迷っていることがよく分かる。
「どうした?」
助け船にこちらから問うと、更に強く手を握られる。こちらに身を乗り出した赤司の、オレより狭い背中が背もたれから離れ、
「――っ、」
握られた手を握り返して引っ張りあげる。床に落ちかけたバッグはもう片方の手で捕まえた。数人がオレ達をちらりと見て興味なさげに視線を戻した。
ただ一人、つまらなそうにこちらをジロジロ見る中年のサラリーマン――ずっと赤司の衣服に手を突っ込んでいた男から赤司を遮りたくて、赤司を後ろへやる。ジャージの裾を、縋るものがなくなり所在なさげな手に握らせる。
恐らくは最初に溜め息を吐いた時から。いつも通りの隠し癖には溜め息しか出ない。疲労より高次元――ある意味低次元な問題だった。
オレも赤司も無言で電車に揺られる。中年は余程度胸があるのか、同じところに座ったままだ。
やがて目的の駅について電車を降りる。ホームの椅子に腰かけると、赤司が小さく息を吐いた。
「助かった」
「……オマエは、頼るということを覚えた方がいい」
「頼るということは、相手に負担をかけるということだ」
先程までのオレの考えとまったく同じだ。この男と思考が被るというのは案外悪くない。
ただ、思考が被ったのは数分前までの話となっていた。今は考えが変わっている。
「頼るということは、相手を喜ばせることなのだよ。……頼る頻度が高いと辟易するが」
自分一人では難しいのに頼らないということは、相手を信頼していないという意味になり得る。
赤司は口を開け閉めして、頼るか頼らないか迷っていた。頼ってくれたら、オレは頼られた負担を消すくらい喜んで、それに応えるだろう。
左の肩に熱がのし掛かる。軽すぎる重さだった。
「…………少し、疲れた。から、少し、このままでいいか…?」
「寝ないようにな。風邪を引く」
返事は寝息だった。言った傍からこれとは、なんという奴だ。
言った通り、頼られるのは悪くない。
オレはラッキーアイテムの毛皮のコート(シマウマ柄)を赤司にかけ、コートに隠れた手をそっと握りしめた。
END.
* * *
三回目の電車ネタを書きましたが…やっと痴漢を書けました。
(問)大会帰りなのに黒子と紫原はどこに行ったのか。
(答)黒子が紫原ごとミスディレ。