短編

□無理です、飲まれないなんて
1ページ/1ページ




 高校時代の先輩から電話が来たのは、午前の講義が終わって昼食をとっている時だった。


『……あの、黒子』


 はい、と返事をすると、躊躇うように黙ってしまった。何か頼みづらい頼みがあるのだろう。ボクは、この人の頼みなら、何でも聞きたいと思っていて。それは今も変わらない。
 伊月先輩? ――呼んで遠回しに促すと、あー、とか、うー、とかの唸り声のあと、また名前を呼ばれた。


『今日、空いてる?』

「はい」


 レポートはもう書き終えたし、することもない。読書で時間を潰そうと思っていた。
 敬愛する先輩は、非常に申し訳なさそうに言った。


『……今日、家に泊まらせてもらってもいい?』



* * *



 久しぶりの先輩は、もうバスケを趣味の頻度でしかやっていないからか、筋肉が落ちて痩せていた。中性さに磨きがかかっている。顔と背は、まったく変わっていなかった。まるで時間が高校の頃に戻ったように感じる。
 先輩は酒やビールやツマミを手に、ボクの暮らすマンションにやって来た。「妻がツマミをつまみ上げる」――元気そうで何よりです。
 先輩をリビングに案内して、コップを二つ用意。まだ六時過ぎだけど構わない。素面では絶対、何があったか全ては言わない先輩に吐かせる為、早く酔わせたい。この人の頼みなら何でも聞きたいけど、どんな理由なのかも聞きたい。
 先輩が持ってきた酒はボクが好きなものが四割、ボクと先輩が好きなものが五割、先輩が好きなものが一割。先輩らしい比率だ。
 二人で床に座って、先輩はソファにもたれる。まず生を注ぐ。
 素面でどの程度話してくれるのか気になって尋ねる。


「何かありましたか?」

「……ん、なくは、なかった」


 紛らわしく答えてから、先輩はビールをあおった。反らされた喉の真ん中がひくりひくりと動く。一気飲みだけど、度数は低いし、大丈夫だろう。

 けんかした。

 ポツンと空のコップに言葉を注いで、テーブルに置く。
 先輩がこんなになるなんて、あの人絡み以外では考えられなかったから、誰と喧嘩したのか言われなくても、相手は分かった。
 伊月先輩はそれきり黙った。ボクは次の酒を注ぐ。度数はそこそこ。先輩ならほろ酔いくらいになる。先輩はまたも一気飲みしようとしたので慌てて止めた。
 その酒を飲み終えた時、先輩は完璧に出来上がっていた。目はうるうるで目元は赤い。いつもの凛と澄まされた表情は子供のようなあどけないものに崩れている。子供のようにあどけない表情なのに憂い顔をしているから、いい感じにアンバランスだ。
 とぷとぷと新しい酒が注がれる。


「ひゅーががさぁ、オレとの約束破ったんだ。ドタキャンされた」

「それは日向先輩が悪いですね」

「それだけじゃーないんだ。アイツ、女に抱きつかれてた。でも抵抗しねーの。じー、っとしたまま、動かなくて」

「悪すぎますよ日向先輩」

「それでさ、女がどっか行ってから、ひゅーがに足払いして、眼鏡うばって放り投げて、にげたんだ、よ。ケータイ鳴りすぎで、うざいから電源きった」

「……眼鏡の安否が心配ですね」


 最後の最後で伊月先輩も相当やらかしていたが、まあ。日向先輩はそれほどのことをしたのだ。我慢強い忍耐強い伊月先輩がぷっちんと切れたのだ、相当である。
 ちなみに。なんの約束だったのか聞いてみると、「昼飯いっしょにたべんの」と。何となくコメントしづらい。
 ふと床を見ると、酒瓶がそこかしこに転がっていた。全て空。転がらず立ち上がっているものが中身がある瓶のようだが――八本。五本飲んだのかこの人は。
 また新たにコップに酒が。「まだまだだいじょーぶ」なんて、真っ赤な顔で何言ってるんですか。


「伊月先輩、伊月先輩」

「んん〜」

「ちょっとついてきてください」


 千鳥足ぎみの先輩を連れて寝室へ。ベッドに先輩を寝転ばせると、先輩はゆるゆる目を閉じた。
 ケータイでそんな先輩を撮ってから、眠りに落ちる寸前の先輩を起こしてリビングに戻る。
 先輩に酒と称した水をあげてからケータイを操作する。新規メールを開いて、さっきの、赤い頬でボクのベッドに横たわった先輩の写真を添付。本文は『伊月先輩、ゲットです』。宛先は、『日向先輩』。送信。
 七本目を開けた先輩にまた水をあげる。ボクがメール作っている間に一本飲みほしたとは、なんて早飲み。
 ボクも飲もうと、半分酒が残ったコップに手を伸ばす。ケータイが着信を知らせた。来るとは思っていたが早すぎる。もしかしたら、伊月先輩からの連絡があった時の為に、ずっとケータイを握りしめていたのかもしれない。
 廊下に出て電話に出る。


「はい」

『食ったら殺すぞダァホが』


 ぷつっ、小気味良い音を立てて切れる通話。表示された通話時間は二秒。結構焦っていたし、怒っていた。クラッチタイムだった。
 食うつもりはないので殺される心配はない。ボクは日向先輩が何分で来るかを自分相手に賭ける。十分、だ。当たったらマジバのシェイクを飲もう。
 リビングに戻ると、爪先に何かが触れた。酒瓶だ。十本転がっている。


「先輩、さすがに飲みすぎですよ」

「だいじょうぶだって、まだ一本目だし」

「見え透きすぎの嘘つかないでください…」


 残りの酒瓶を先輩から避難させる。これ以上はさすがに、先輩の体が心配だ。アルコール中毒になってしまう。
 散らばった酒瓶もまとめて隅に並べる。十本となかなかの数だから、小さな圧巻だ。


「黒子」


 両肩に熱い手が置かれた。それなりに強い力をかけられる。
 先輩の顔が随分と近くにあった。張りついている笑みは色っぽいものだった。色づいた唇が近づく。


「ちゅーしよっか」


 まさかの発言だった。
 まさか先輩が、酔うとキス魔になるとは。
 そういえば。伊月先輩がお酒を飲む時はいつも日向先輩が隣にいて。伊月先輩がある程度飲んだら、クラッチ入ってでも止めさせていた。
 酔って普段の何割か増しで可愛らしくなった先輩を見せない為だけでなく、キス魔へ変貌するのを阻止する為でもあったのか。

 もしかしたら、キスしてもらうために酒を飲ませまくったりしてたりして――考えて、先輩の唇が近付いてくるのをどうしようかとも考える。
 先輩にはただただ敬愛しか抱いていないボクでもムラッとくる。間違って食べてしまいそうだ。それはいけない。
 とりあえず、一度目は避けた。二度目は、伊月先輩が不満げに目を潤ませたから動けない。近付く桃色を見つめるだけ――


「当てつけに浮気かこのダァホ」


 一瞬で肩の重みが消えた。思わず見開いた目の先に、伊月先輩を抱えた日向先輩。横抱きからおんぶに移行しながらボクを見る。睨む。罪悪感たっぷりの目で。…眼鏡は無事なようだ。
 誤解だからな、と。分かりきったことを、先輩は言った。事実を伝える口調にも、言い訳する口調にも聞こえた。きっと、そのどちらもが半分ずつ入り交じっているのだ。

 誤解だなんてそんなこと。伊月先輩だって分かってますよ。ただ、分かっていても感情に体を動かされる時もあるわけで――心の中で答えて、口では「分かってます」と返答。貴方がどれだけ伊月先輩を愛しているか。知らぬは愛されている本人のみですよ。


「悪かったな、巻き込んで」

「いえ。結果だけ見ると、好きな酒三本もらっただけなので」

「…そう言ってもらえると助かる。あと、画像消せよ」

「どうしましょうかねー」

「なっ、てめ……」


 絶対消せ、と重ねて言い、伊月先輩をおぶり直し、日向先輩は立ち去った。
 ボクは、日向先輩の胸にまで垂れた伊月先輩の手が、日向先輩のシャツを握りしめているのをしっかりと見て、これからの二人を想像した。



* * *



 酔うのも酔いが醒めるのも割りと早い伊月は、俺の部屋で瞼を持ち上げて真っ先に、天井を見上げたまま「ごめん」と呟いた。横向きになって一緒にベッドに入っている俺の方を向いて、シーツを見つめてうなだれる。
 あまりにもしょんぼりしているから怒る気は失せた。大体、怒る権利は俺にはない。黒子にキスしようとしていた点については怒りたいが。
 絡まりのない髪越しに頭に触れて引き寄せる。酒の匂いの中に、微かに伊月の匂いがした。


「…ごめんは俺の方だ」

「……誤解だって、本当は知ってる」

「俺だって、誤解って分かっててもお前が他の奴とくっついてたら切れるよ」

「……豪快に誤解する」

「うん、黙れ」


 重ねた唇はやっぱり酒の味がして、やっぱり微かに、伊月の味がした。



END.









* * *
大学生日月でした。大学生要素は講義という単語と酒くらいでした。酒飲ませるために大学生にしたのです。
痴話喧嘩に嬉々として首を突っ込む黒子でした。


 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ