短編

□胎内のマリア
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「別れよう」



 彼の仕事がない日、デートに誘われた。僕はもちろん頷いた。大好きな彼に誘われて、他に予定もないのに断るわけがない。
 体の線を出さないゆったりした黄色のワンピースに、彼からもらった金色の鎖と赤い飾りのネックレスを重ねて。軽く口紅を引いて睫毛を上向きに上げて、最後のデート。
 別れる間際、僕の家の前で、五文字のそれを彼に叩きつけた。
 彼は当然驚いた。彼は僕を愛していてくれているし、浮気もしていないから。慌てる彼に「飽きたから」の残酷な五文字をまたも叩きつけ、家に入る。ドアを叩く音と彼の声がしたけれど、イヤホンを耳に突っ込んで好きな音楽を流して、聞こえないようにした。


 ごめんね。別れようなんて、飽きたからなんて、嘘。
 本当は大好き。別れたくない。


 ゆるりと、膨らみのない腹を撫でる。ここが目立つようになるのはまだまだ先だ。
 例のアレが来なくて、産婦人科に行ったら。「おめでとうございます。四週間ですよ」と。心からの祝福を、神様と女医さんからもらっていた。
 授かった僕と彼の子供。本当は真っ先に彼に教えたかった。彼は、産みたいという僕の願いを叶えてくれるだろう。
 けれど世間はそれを望まない。


 だって彼は黄瀬涼太。


 大学四年生で結婚もしていないのに父親になるなんてスキャンダルを、与えるわけにはいかないんだ。



* * *



 赤司っちの嘘つき。
 アンタは、飽きたからなんて理由で恋人と別れる人じゃない。笑顔で別れを切り出すような無神経な人じゃない。あれは、嘘だ。
 あれから軽く一時間は赤司っちの家の前にいたけど、通報されそうになって離れた。オレは今、それを猛烈に後悔している。


 赤司っちが消えた。マンションにいない。ケータイも繋がらない。誰も、行方を知らない。


 マネージャーに怒られた。心配された。顔色が悪い、必要以上に痩せている、肌の状態がよくない、と。連日、仕事の合間を縫って、睡眠時間も削って彼女を捜しているのだから仕方ない。


「まあ、なにか理由があると考えるのが妥当ですよね」


 ある日。赤司っちのことを相談してからでいうと初めて、黒子っちに会った。マジバでシェイクをすすってから、黒子っちは述べた。推理するように、いつものように冷静に。黒子っちの言ったことは俺も考えていた。同じ意見だと分かって、自信が湧く。オレには、その“理由”は見当がつかないけれど。
 黒子っちが人差し指を突き立てた。

「考えられるのは……まず、君のファンから別れるよう脅された」

「赤司っちは脅されて従うような人じゃないっスよ?」

「分かってます。ただ…別れないと君を傷つける、別れないと関係をばらす、と脅されたなら、あの人なら従うでしょう。それが、君の安全に確実に繋がるのだから」

 ものすごく有り得て背中が冷えた。赤司っちとオレの関係は秘密だから、後者の脅しも有り得るのだ。だからといって公開すれば、前者の脅しが増えるだろう。
 こんな時、芸能活動をやめたくなる。けれどそれは赤司っちが一番望んでいないことだ。オレの一番のファンの、赤司っちが。
 黒子っちが中指も突き立てる。

「二つ目。赤司さんがストーカーに遭っている場合。ストーカーというのは、想い人の恋人に危害を加えたりしますからね。赤司さんが、ストーカーの目を君から逸らすために君と別れても、おかしくない」

「ちょっとストーカーヒネリ潰してくるっス」

「紫原君の口癖が移ってますよ…それに、もしもの話です」

 それでも腹が熱くなる。赤司っちのことを好きな奴がいるとか、考えるだけで頭に血が上る。大体、これも有り得ない話ではないのだ。赤司っちはマニアックな変態な歪んだ愛を押しつけられやすい。オレの愛はマニアックでも変態でも歪んでもないけど。
 黒子っちの薬指が立ち上がる。

「三つ目。………」

「…?」

「…………………………その他」


 漫画みたいにずっこけるところだった。
 冗談が苦手な黒子っちのことだ、大真面目に言ったんだろうけど。溜めに溜めてからの発言としては、脱力する。
 ブー、とテーブルに置いたケータイが鳴った。仕事の時間を告げるアラームだ。もう少し、黒子っちと話していたかったけど。舌打ちしたい気分でアラームを止めて立ち上がる。


「…仕事ですか?」

「はいっス。今日はありがとうございました」

「いえ。赤司さん、ボクの方でも捜してみます」

「ありがと黒子っち! …あ、そういやこんな計画があるんスけど――」


 軽く、成功する見込みは低い計画を披露する。黒子っちは意外にもそれを真面目に検討し、「いいと思いますよ」と太鼓判を押してくれた。これでオレの自信はばっちしだ。



* * *



 京都に新しい湯豆腐屋がオープンする。腕の良い職人が店長を務めるらしく、何気に話題になっていた。
 その店はオープンサービスに初日十パーセント引きにするらしい。オレは、その店を載せる雑誌に出てその店を紹介する約束で、十五時から十六時までは十五パーセント引きにするようにしてもらった。


 店のオープンは、今日。

 撮影も、今日。十五時三十分から。


 さあ準備は整った。
 十五時に湯豆腐屋に入る。変装はしている。帽子にサングラス、だけだけど。
 店は和風だ。席は、座敷の個室と、テーブルに椅子という二種類あった。サングラスをずらして見回したが、テーブルにある赤は鍋を温める火だけだ。
 店の奥の座敷を回る。個室、と言ってもドアはない。仕切りがあるのみ。それでも、仕切りがある分周りと隔てられている。


「征ちゃん、食べすぎよぉ……お腹壊すわよ?」


 聞き覚えのある声と口調と愛称が聞こえて足を止める。次の瞬間には、声の方向へ歩いていた。


「無性に湯豆腐が食べたいんだ。これがツワリと言うやつかな」

「湯豆腐食べたいのはいつものことじゃない……あら」


 見つけた。

 こちらに背を向け、湯豆腐を食べているらしい彼女。凛とした姿勢は記憶にあるまま。おネエ――実渕さんがオレに気付いた。「あら」に反応した赤司っちがこちらを振り向くのと、オレが座敷に乗り込むのは同時だった。
「っ…!」――息を呑んで立ち、逃げようとする赤司っちの手首を掴まえる。その細さに一瞬怯んだが力は抜かない。そのまま彼女をこちらに引っ張り寄せて、


「ちょっと落ち着きなさい」


 実渕さんに止められた。オレの手を赤司っちから離そうとする。離すもんかと抵抗したら、頭を軽くはたかれた。


「征ちゃんは逃がさないから、離しなさい。今の征ちゃんは、いつも以上に大事な体なの」

「それ、どういう…」

「本人から聞きなさい。征ちゃん」


 実渕さんが俯く赤司っちに声をかけた。娘を見る母に近い、優しい目だ。オレは赤司っちから手を離した。


「私、もう帰るわ。だから、ちゃんとお話しなさい?」


 赤司っちの手がすがるように実渕さんの袖を掴む。実渕さんはそれを優しく振り払って、座敷から出ていった。
 残されて、沈黙。赤司っちが俯いたまま呟く。


「……どうしてここに」

「赤司っちなら、十五パー引きの時間に来るかなって。十五パー引きにさせたの、オレなんスよ。黒子っちお墨付きの計画っス」

「……」


 無類の湯豆腐好きの赤司っちなら絶対来ると思っていたら、本当に来たのである。

 どうして「別れよう」なんて言ったのか。どうしていなくなってしまったのか。答えを今、知れる。ファンの脅しやストーカーならオレが絶対何とかする。
 赤司っちの手が、するりと自身のお腹を撫でた。


「……ごめん、涼太」


 子供、が、できた。


「……え……?」


 今、なんて。子供ができたと聞こえた気がする。
 赤司っちは体を縮こまらせた。お腹を守るように腕で隠す。


「だから、わかれよう、涼太。お前はこれからが大事だ。未婚の父親なんてスキャンダルのネタにはさせない。僕は一人でもこの子を育てられる。ねえ涼太。お願い、わかれて」

「……や、嫌っス」


 一歩近付くと一歩後ずさられた。それを何回か繰り返し、赤司っちを壁に追い詰める。
 俯いたままの彼女のつむじを見つめて、竦められた肩を抱く。



「結婚しよう」



 未婚の父親にさせたくないというのなら。
 既婚の父親になればいい。
 赤司っちはオレに芸能活動をやめてほしくないだろうから、芸能人のまま、結婚する。
 世間が、事務所がどう言おうが貫いてみせる。


「結婚しよう、赤司っち」

「……で、も、」

「オレが、赤司っちもオレも、その子も守るから。だから、ね、」


 首に細腕が巻きついた。柔らかい体が密着してくる。
 抱擁を一瞬で解いて、赤司っちはオレを見上げた。トロトロに甘く蕩けた泣き笑い。


「――不束者ですが、喜んで」



 たまらなくなって、今はない指輪の代わりに、左の薬指に口付けた。



* * *



「うひゃああああああ赤司っちかわいいいいい!」

「……六回目だぞ、それ言うの」


 京都に隠れていた僕は、涼太に見つかったその日に東京に戻った。僕の行方不明は多くの人に知られていたらしい。皆、会うと僕を叱り。よかったと笑った。
 両親への挨拶がその翌日。婚前に妊娠させたこともあり、涼太は父に頭を殴られた(顔を殴るのは僕が全力で回避した)。
 結婚発表が、そのまた翌日。世間は今も黄瀬涼太の結婚で大騒ぎだ。僕は一般人だが、家が有名だからか顔が割れた。涼太が守ってくれるし、僕自身も戦うから心配はない。


 そして、今日。東京に戻って、一週間後。
 結婚式は、身内と知り合いを呼んで、マスコミには気取らせずに執り行われた。


 洛山、海常の人達はもちろん、誠凛、秀徳、桐皇、陽泉の人達も来てくれた。勿論、キセキも。


 祝福の言葉が胸に詰まって窒息しそうだ。さすがに涙が目に滲んだ。滲んだそれが頬に滑り落ちたのは、大輝にスーツが似合わなすぎて笑ったからだ、きっと。


 純白のドレスとヴェールに包まれて、純白のタキシードを身に纏った涼太と向かい合う。誓いのキスは先程交わした。
「赤司っちかわいい」を連呼する涼太はとても嬉しそうだ。幸せそうだ。


「あのね涼太。もう『赤司っち』じゃないだろう?」

「! ……そうっスね。征華っち!」


 僕も、たまらなく幸せ。


 これから三人で頑張ろうか。



END.









* * *
色々書きたくて書いてたら長めになりました! これでも削った方なのです。
結婚式がやけに早く行われたのは、早く結婚したいというのもあるけど、赤司の腹が目立つ前にしたかったというのもあったり。黄瀬のタキシードの色に迷いました。
リクエストありがとうございました!



 

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