短編
□君の手で幸せにしてあげて
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ある平日、赤司と黄瀬と帰っている時のことだった。赤司と黒子の間を歩く黄瀬の独占欲に、赤司に近付けない、と内心面白くなく思った。
「黄瀬のどこが好きか、って?」
「ちょ、本人の前で聞かないでくださいよー! 聞きたいような聞きたくないような…!」とキャンキャン吠える黄瀬を無視して、黒子は頷く。どうして好きなのか。知れたなら、赤司への叶わない想いも消えてくれるかもしれない。赤司を見るたび思うたび胸の奥を締め付ける、甘い喜びと、鎖のような悲しみを。
赤司は数秒宙に視線を漂わせ、やがて黒子を見た。ドキリとして、自分のポーカーフェイスに感謝する。
「分からない、な。俺の言うことを聞くという点では紫原に劣っているし、バスケが上手いという点ではまだ俺らに劣っているし、頭がいいという点では俺と緑間とお前に劣っているし――」
「分かりましたからやめてあげてください。黄瀬君が泣きそうです」
いくら黄瀬が恋敵で駄犬でデルモでも、恋人にこうも他人と比較されてはさすがに可愛そうだ。バスケが上手いという点に『まだ』が付いているのがせめてもの救いだ。ただそれも、赤司は事実を言っているだけにすぎないのだろうが。そして『俺ら』に黒子は入っていないのだろう。
それじゃあオレが皆に勝てるの顔のかっこよさだけじゃないスか! と叫ぶ黄瀬の腹を黒子が、背を赤司が殴った。
「いたっ! 一番可愛くて一番綺麗なのは赤司っちっスよぉ!」
「黙ろうか黄瀬」
「褒めたのに!」
「……仲がいいですね、まったく」
軽くあしらう赤司も赤司にすがり付く黄瀬も黙った。赤司は顔を宵闇でも見えるくらい赤くして、黄瀬はそんな赤司を抱きしめて「はいっス!」と笑顔で返事をした。
赤いけれど柔らかな赤司の顔を見て思う。
赤司への想いはすぐには消えてくれないだろう。焦がれるほどに想った時間は長いし、想いは強い。
だがきっと、こうして幸せな二人を見ているうちに、胸の痛みは消えていってくれるだろう。段々と薄まって、終いには、いい思い出と化してくれるに違いない。
そう思って、黒子は小さく笑った。
笑った、なのに。
「……もういい」
部室はしん、と静まり返った。
制服へ着替える途中だったが、皆動けずに声の出どころに目だけを向ける。赤司が黄瀬を睨みあげていた。慣れていない者なら竦み上がって震えてしまいそうな眼光だ。慣れていても怯む。対する黄瀬は、赤司には劣るが鋭い目で、彼を睨んでいる。赤司が怒ればまず謝る黄瀬が、今は反省をまったく顔に浮かべずにいる。
いち早く着替え終えていた赤司は鞄を肩にかけて出ていった。赤ちん、と彼を呼んだのは、紫原だった。緑間が「どうしたのだよ」と残された黄瀬に言う。黄瀬は誰とも目を合わさず、いまだ不機嫌な顔で「別に」と吐き捨てた。
赤司が怒って黄瀬が許しを得ようと奮闘する喧嘩はよくあるが、黄瀬まで怒るケースは初めてだ。
何だか長引きそうである。
黒子は、チャンスだと喜ぶ自分が心底嫌になった。
* * *
「黄瀬君と仲直りしました?」
放課後、教室。テスト期間ゆえに部活動は禁じられている。
黒子は図書室で読書をした帰りに教室の前を通り、教室で机に向かっている赤司を発見した。声をかけると、赤司は驚いた素振りも見せずに顔を上げた。机に置いてある、彼が直前まで何やら書いていた紙を見てみる。メニューだった。
「してない」
ぽつりとした返事は茜色の教室に頼りなさげに漂い、消えた。
黒子は赤司の前の席に腰を下ろした。思えば、赤司とまともに話すのは久しぶりだ。黒子の近くには大抵黄瀬がいて。だから赤司は近寄ってこなかった。
あの日何があったんですか。心配です。
心配なのは本当なのに、自分の言葉は恥ずかしいくらい白々しく聞こえた。
赤司はメニューを考える気をなくしたのだろう、シャーペンを机に置いた。
「クラスメイトの女子に、家庭科で作ったというクッキーをもらった」
いきなりのモテモテ発言だった。これが黄瀬だったら腹にイグナイトの一発はかましていただろう。
「その場でいただいて、美味しかったって言って。その時のこと、あの時――部活が終わって着替えてる時、黄瀬に言われた」
「…なんて?」
「よく覚えてないけど……『嬉しかった?』って感じだった」
「…………」
完璧に嫉妬ですね――黒子は言葉を飲み込んで続きを待つ。
「で、俺が言い返して、黄瀬も言い返して。気付いたら家にいた」
どうやら、自分が何を言ったかも覚えていないらしい。相当頭に血が上っていたのだろう。
終わってしまうのかな、と赤司は呟いた。赤い目は黒子の両隣の机を行ったり来たりしている。らしくなく、気弱になっている。黒子は腕時計を見た。四時半過ぎ。あと三十分もしないうちに、下校時刻だ。
赤司も教室の時計を見上げ、そして身じろぎした。瞬きの後に目がひそかに伏せられる。黒子には赤司が挙動不審なのが見てとれた。彼は他の人より分かりにくいけれど、いつも見ていたから分かる。
彼の挙動の意味を考え、数秒で得心する。耳を澄ませると、教室の外で、後ろからこちらへ向かってくる足音が微かに聞こえた。
黒子は聞こえた瞬間、立ち上がって椅子が床に擦れる音で足音を消す。赤司君、と自分にしては大きい声で彼を呼ぶ。普通に受け答えする顔と声で、赤司は何? と聞いた。
足音は、消えている。
「好きです」
息を飲む音が目の前からした。
赤司の瞳の赤が、瞼に触れないくらい見開かれる。充血の赤と瞳の赤が白い部分に対比されて美しい。
理解不能、と言う風に無言で黒子を見つめる赤司の、子供のように柔らかく肌触りのいい頬に右の手の平をあてがう。好きです。もう一度告げて、スローモーションのように顔を近づける。赤司の匂いを、今までで一番濃く感じる。
あと少し、で、ヒビのない甘そうな唇に届く。届いても届かなくても、どちらでもいい――できれば届いてほしい。
けれどそれは叶わなかった。
「待つっス!」
赤司の目が更に大きくなるのを、黒子は数センチの距離で見ていた。
黒子が体勢を直立に戻すと同時に、乱入者が赤司に駆け寄り立たせ、自分に引き寄せた。そして威嚇のように黒子を睨む。
「いくら黒子っちでも、赤司っちは渡せないっス」
「……黄瀬」
赤司がようやく声を出した。黄瀬のカーディガンの裾を遠慮がちに摘まむ。ごめん、と、このタイミングであの日のことを謝っている。謝ることで頭がいっぱいのようだ。
黄瀬は赤司の方を向いて表情を和らげ、オレの方こそごめんなさい、と赤司の頭を撫でた。そして黒子を再度睨む。
自分を睨む黄瀬、黄瀬を不安げに見つめる赤司を交互に見てから、黒子はフッと相好を崩した。
「やっと仲直りしましたか」
へ? と黄瀬が間抜けな声をあげた。睨む力が劇的に弱まっていた。
黒子は、知っていた。黒子達の学年で黄瀬だけが、隣の隣の教室で四時半まで補習を受けていることを。今朝、他ならぬ黄瀬から聞いていたから。
そして赤司が四時半過ぎになってソワソワしだし、彼が教室にいるわけも悟った。黄瀬を待っていたのだ。補習の教室から下駄箱への最短ルートの途中に、この教室はある。
仲直りをしたくて待っているのだと分かった。けれど赤司は素直に黄瀬に話しかけられないと思った。だって黄瀬の補習は昨日もあった(それも本人から聞いた)のに、二人は今の今まで仲直りしていなかったから。
だから黄瀬が教室に近付くタイミングを見計らって、仕掛けた。本音大半とイタズラ少しの告白。黄瀬が止めに来るかどうかは賭けだった。万一黄瀬が止めないなら、全力で赤司をいただくつもりだったが――果たして、黄瀬は止めに来た。
そんなことを、自分の想いは隠し、かい摘まんで話す。赤司は「考えてみれば、黒子が俺を好きだなんてあり得ないよな」と肩の力を抜いた。実はあり得ることは、今のところは秘密だ。黄瀬の肩からも力が抜けた。
「やっぱ黒子っちには敵わねーっスわ」
「止めに来た黄瀬君の顔、写メってばらまきたいくらい傑作でした」
「ええー!?」
…格好良かった。
赤司の為に必死になっていて。格好良かった。
赤司っち、と黄瀬が赤司を呼んだ。
「先に下駄箱に行っててくれません? 黒子っちにお礼言いたいんで」
「お礼なら俺も……」
「なんか恥ずかしいから、二人でがいいっス」
何を恥ずかしがるんだ、と不思議そうにしながらも、赤司は頷いた。彼は大概黄瀬に甘い。黒子に丁重に礼をして教室を出ていく。彼の足音が完全に消えてから、黄瀬が強い眼差しで黒子を射抜いた。睨み、ではない。
「――本気、だったっスよね? 告白」
「……バレましたか。そうですよ、ボクは赤司君が好きです。本当に、心から」
黄瀬は喋らない。いつから気付いていたのだろう。さっきの告白からか、赤司と付き合いだしてからか、付き合う前からか。
いずれにせよ、自分が言うことは決まっている。
黄瀬の目を真っ向から受け止める。
「ボクが強攻手段に出ないのは、君の手で赤司君が幸せに笑っているからだ」
「…………」
「君の手で赤司君を悲しませてみなさい。ボクが彼をもらいます」
「…のぞむところっス」
いつか彼への想いが思い出に変わって消えても、消えたことは黙っておこう。
黒子テツヤが彼を狙っているのだと思って、ずっと彼を大切にすればいいのだ。
そうして赤司が幸せに笑っていられるなら、自分は浮かばれる。
二人は何食わぬ、何事もなかったような顔をして、最愛の人の元へ向かった。
END.
* * *
黒子っちが浮かばれているのかいないのか分かりませんね…。想いがある内は虎視眈々と狙っている、という。
リクエストありがとうございました!