短編

□朔の月
1ページ/1ページ



 これの続き




 伊月は最近よく笑う。


 今までも笑っていたけれど、それは大人びた、その場に合わせて急遽作った笑みで、年相応の笑みじゃなかった。ちなみに「今まで」と言うのは、木吉が戻ってきてから最近までの間のことだ。
 木吉が戻ってきて環境がちょっと変わって、戸惑っていたみたいだった。伊月にたくさん頼ってきたし、木吉も戻ってきた。だからアイツにかける負担は減らそうというのが、アイツを除く部員の中で暗黙の了解。

 それがよかったのか。伊月は段々、よく笑うようになった。


 ただ、俺達に向けられる、くすぐったいくらい温かいものに溢れた笑顔が消えた。「大好きで仕方ない」と言うように甘く光る瞳が消えた。



* * *



 今日も今日とて厳しくも充実した練習が終わり、俺達はぞろぞろと校庭を横切って門に向かう。火神が盛大に腹を鳴らすのを見て伊月が「もう少しでコンビニだから頑張れ」と笑う。その後すぐに「コンビニでコンビがビニール買う」が続いたから、黙れと一言言っておいた。ふと視界の端に木吉が映って思い出す。練習メニューのことで話があったんだった。


「木吉、今日気付いたんだけどさ、」

「…………あれっ」


 急に声を上げたのは伊月だった。どうしたのかと、俺を含めた全員が伊月に目をやる。
 伊月はそんな俺達に、「あれっ」と言った原因も、なんでもない、とも言わず、立ち止まって目を凝らすように細めた。次の瞬間に無言で地味に顔を輝かせて、全力と手抜きの真ん中――どちらかというと全力より――の速さで走った。荷物がなければ全力だったと思う。
 いきなりの伊月のダッシュに驚いて、アイツが走る先を見る。校門だ。誰かいるが、暗いわ遠いわで誰かは分からない。分かった伊月はさすがだ。
 俺は伊月より少し速いペースで走った。他の奴らも一緒に。そして、校門の手前五メートルで、伊月がその誰かの名前を呼ぶのを聞いた。


「高尾!」


 高尾。
 思い浮かぶのは、伊月と似た目を持つ、秀徳のアイツだった。呼ばれた奴は伊月にブンブンと手を振って叫ぶ。伊月さん、と。ああ、校門の誰かは高尾和成で確定だ。
 伊月が高尾にたどり着いた数秒後、俺達も伊月に追いつく。そして、始まった二人のやり取りや、伊月の様子に愕然とすることになる。


「お前、何でここに…」

「伊月さんに会いに。全っ然会ってくんなかったじゃないすか最近」

「だって高尾、テスト前だったろ。俺といたら勉強しないだろ。でも、だから電話とメールはちょっと増やしたし…」

「まあ、そうなんですけどね! 電話やメールより実物の方がいいじゃないすか。今日テスト終わったんで会いに来ました! 自分へのご褒美? みーたーいーなー」


 伊月が呆れたように笑いながら、眉をひそめる。「いつからいたんだ?」と制服姿の高尾を見て聞く。高尾は「時計見てないんで覚えてないです」とおどけた。鼻の頭も剥き出しの手も赤いから、数分やそこらの待ち時間じゃないことは俺にも分かる。つまり、伊月に分からないわけがない。
 自分も剥き出しの、けれどさっきまで室内にいたから温かい手で高尾の手を包み、伊月は溜め息をついた。バカだなあ高尾は、と呆れる伊月の顔は、高尾と話している伊月の目は、俺達の前から消えたものだった。

 どうして、くすぐったいくらい温かいものに溢れた笑顔を、「大好きで仕方ない」と言うように甘く光る瞳を、高尾に向けるんだ。それは俺達だけに見せる、そして勘違いでなく、俺に一番見せるものなのに。

 高尾の手をぎゅうぎゅうと揉んで必死に温めようとする伊月は、俺達の疑問と落ち込みの顔に気付かない。その広い視野で誰よりも早く、何より真っ先に俺達の変化に気付いていた目が、高尾の両手だけを映している。


「体大事にしろよ、選手なんだし。…選手じゃなくても大事にしろ」

「伊月さんだって手袋ないじゃないすかー。あ、そうか俺と手ェ繋いで帰りたいのか! 奥手な伊月さん超かわいい!」

「バカ尾……思考回路がおかしい。おかしなお菓子、キタコレ!」

「相変わらず残念だけどそこも含めて好きですよー」


 バカだなあ、と伊月は笑う。高尾の手がどんなに冷たくてももう温まっただろうに、離さないまま。
 高尾がふと、俺達を見る。お前に見られてもちっとも嬉しくねえよ。伊月、こっち向けよ本当。
 ニィ、と高尾の口の両端がつり上がった。目が獰猛に細まる。鷹の目の名が当てはまる、そんな目つきだ。



「――自業自得、ってやつですよ」



 伊月が首をかしげる。は? と心底不思議そうな顔をしていて、高尾の言葉の意味をこれっぽっちも、ひと欠片も理解していない。高尾は何でもないです、と、俺達に見せた顔を一瞬で引っ込めて伊月から隠した。
 伊月と違い、俺達は一人残らず、高尾の言葉が俺達に向けられたものと理解していた。自業自得の意味は分からないが、挑発は伝わってきた。
 自然と高尾を見る目が険しくなる。
 高尾は伊月と楽しそうに、今までの俺達と伊月のように話している。どうして、いつの間に、伊月の中のポジションは移動した。


「そうだ、伊月さんのお陰で数学の問題いっぱい解けました! 次は直接会って教えてもらいたいなあ」

「それはよかった。高尾が頑張るなら、次は会って教えても――っくしゅ」

「伊月さんこそ体大事にしてくださいよ……帰りましょっか」

「そうだな」

「じゃ、皆さんもさよーなら」


 伊月が「あっ」と目を丸くして声を上げた。そうだった、忘れてた、と言わんばかりの顔で俺達を見て、「ごめん、そういうわけで高尾と帰る」と片手を立てて詫びてきた。

 高尾を見た瞬間に、俺達の存在が頭から吹き飛んだのか。

 ごめん、ともう一度謝る伊月の隣で、鷹が笑った。



END.









* * *
誠凛が全く報われないですね…。誠凛サイド日向しか喋ってないです。みんないつの間にミスディレを会得した。
もっと高尾VS誠凛を書きたかったのですが、伊月さんの目の前じゃ無理だろ…と泣く泣く断念。機会があれば書きたい。伊月さんを思って伊月さんを頼るのをやめたら逆効果だった誠凛。最後の「鷹」は高尾のことです、はい。この話の前の話のタイトルもろに引用です。
リクエストありがとうございました!


 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ