短編

□少年少女のニアミス
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これの続き



 黄瀬とやる1on1もいいが、たまには自分一人の自主練もいい。
 そんなことを思いながら一人、青峰は着替えた。赤司はいないので、先に帰ったと思われる。多分黒子達と一緒に。残ったなら、絶対に青峰を待ってくれるから。
 一人で帰るのは久しぶりで、静かだ。寂しいとは思わないが、つまらなくはある。バスケと赤司のことを考えながらぷらぷらと歩いた。そして、三軍が使う部室から漏れる明かりに目を止めた。思わず足が吸い寄せられる。
 部室に誰もいないなら、電気は点けっぱなしということになる。すると、教師に叱られるのは赤司だ。赤司が点けっぱなしにしたわけじゃないし、先に帰った赤司が電気を消せるわけないのに。
 青峰は部室の、微かに開いた扉に近付いていく。そこから聞こえる声に、点けっぱなしではないのだと知る。だったら気にせず帰ればいいのだが、その声の持ち主に気付くと、無理だった。
 扉を壁に叩きつける勢いでバンッ! と開け、中に踏み入る。部室にいた二名がこちらを向いた。


「青峰。どうした?」


 二名のうちの一人、赤司が言った。思い出したように壁時計を見て「あ」と声を漏らす。そして、二名のうちのもう一人、恐らく三軍選手の同級生に顔を向けた。


「遅くまで引き留めて悪かったな。もう遅いし帰った方がいいだろう」

「は、はい! お話楽しかったです。さようなら!」


 同級生に敬語を使われる赤司については何も言うまい。
 青峰には名前も分からなかった彼は、赤司に深々、青峰にも軽く頭を下げ、部室から出ていった。赤司がニコニコと彼を見送るのが気に食わなくて、彼女の手首を掴んで引っ張って外に出る。赤司がパチリと電気を消した。


「…アイツと何話してたんだよ」

「バスケの話だ。今は三軍だが、アイツにはバスケへの熱と才能がある。ま、才能はお前達ほどはないがな。二軍……もしかすると一軍に行くくらいにはある」


 バスケについて話していたら遅くなってしまった、と。語る赤司は楽しそうで、胸がムカムカする。
 大体危ないではないか。男と二人きりとか。赤司の男装は案外、一旦綻ぶと簡単にバレる。もし、青峰の時のようにサラシがほどけたら。もし、赤司が体勢を崩してあの同級生が支えて、その細さに疑問を持ったら。――危ない。危なすぎる。
 ものすごく注意したいのに、赤司の中では男装は青峰にも知られていないことになっているから厄介だ。これでは思うように言えない。


「…もうアイツと話すな」

「…………は?」


 赤司の眉間に一気にシワが寄る。そんな顔でも可愛いと思うのは、惚れた贔屓目ではない。


「別に嫌な奴じゃないぞ、アイツは。おっとりしてるし、俺が椅子に座る時下にハンカチ敷いてくれたし」


 赤司の尻に敷かれたハンカチとか羨まし――じゃなくて。
 男にそこまでするとか、どこまで紳士なのだ。まさか既に赤司の正体に気付いていたりして。それか性別関係なしに赤司が好きなのか。
 いずれにせよ、近づいてほしくない。
 アイツと話すな――もう一度言うと、赤司の顔は更に険しくなる。さっきまで困惑だった表情が怒りに転換された。


「お前に言われる筋合いはない」

「いいから話すな。絶対喋んな」

「……お前ごときが俺に指図できるとでも?」

「できるに決まってんだろ。何様だ」


 赤司様だ、と。
 冷たい声と共に腹に衝撃。痛み。
 軽く咳き込む間に離れる手首の感触と、脇をすり抜ける小さな体躯。
 やってしまったと頭が冷えた頃には既に遅く、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。



* * *



「……喧嘩したんですね」


 確信の形で言われた。ボールを掌で殴った黒子が、無表情にこちらを見ていた。
 何で分かったのだろう。聞く前に黒子が答える。「最近、赤司君が君を見ようとしませんし、君も赤司君が視界に入ると目をそらしてます」と。自分が分かりやすいのは半ば分かっていたが、赤司も分かりやすい部類に入っているようだ。
 赤司は今、三軍が使う体育館へ行っている。ここのところずっとそうだ。あの男を指導しているのだろうか。部活後にだって指導しているのに。


「……っち、うぜえ」


 部活が終わって、いつもならすぐ黄瀬と1on1する。が、赤司と同級生の間に何か起こらないか不安で、最近は三軍の体育館の外に座りこんで、中の様子を気にしている。そして二人が練習を終えたのを見届けてから、青峰も一軍の体育館に戻って自主練を始めるのだ。帰宅時間は当然遅くなるが気にしない。
 片手で放ったシュートは綺麗に決まったが、込み上げる焦りと苛つきは収まらない。
 うぜえ、ともう一度ポツリと呟き。もう一度、片手でシュートを決めた。



* * *



「赤ちんのふわふわスベスベお肌にクマがああああ!」

「……紫原。俺は別に隈ができても気にしないんだが――というよりな、これは隈じゃない。目の錯覚だ」

「馬鹿を言うな。こんなにハッキリした目の錯覚は見たことないのだよ」


 休んでくれ、と紫原と緑間が口を揃えて言ってくる。赤司は頑固にそれを突っぱねた。確かに、少しだるいし頭と目が重いし思考が鈍っているし時折意識が夢の世界に飛ぶけれど。それだけのことだ。ただの寝不足だ。大事はない。
 最近は三軍の体育館にばかり行っていて一軍の様子を見ていない。空白を埋めるのは、休みながらではできない。それに主将の自分がちょっとした体調不良で休んでどうする。
 体調不良の原因は、今もこの体育館の、舞台よりの半面コートで黄瀬と1on1の真っ最中だ。久しく青峰をまともに視界に入れていないが、よく響く黄瀬の声があるから、見なくても分かる。


 喧嘩がこんなに辛いものだなんて初めて知った。


 落ち着かない、どこか集中しきれない。ずっとこの状態が続くんじゃないかと怖くて、拒絶が怖くて話しかけることができない。目が合った時逸らされるかもしれないのが怖くて、青峰を見れない。
 もう、静かな体育館から響くドリブルと足音を聞きながら日誌を書くことは、メニューを考えることは、許されないのだろうか。


 いつからか始まった、一緒に踏んでいく帰り道は。もう思い出になってしまうのだろうか。


「……嫌、だな。それは」


 けれど打開する勇気が自分にはない。自分と彼の間にある糸が切れないよう願うのが精一杯だ。きっかけがあれば、動けるようになるかもしれないが。

 考え事をしていたのが悪かったのか。寝不足の体調不良が祟ったのか。


 衝撃が額に突進してきて、痛覚が働く前に意識と共に眠らされる。
 紫原と緑間が自分を呼ぶ声が、聞こえたような気がした。



* * *



 気付けば、彼女のすぐ近くにいた緑間と紫原を押しのけていた。紫原にヒネリ潰される前に床に伏した体を抱き上げる。思った以上に軽くて、たたらを踏みかけた。剥き出しの肩は細い。白い肌から肌の匂いが立ち上る。
 誰かが何かを言う前に体育館を出る。向かう先は保健室だ。無人の廊下に己の足音だけが反響する。

 やがて保健室に着いた。足で「在室」の紙が吊り下げられたドアを横にスライドし、中に入る。ドアの音に反応してこちらを見た保健医(三十歳・夫と子供有)が目を丸くした。


「赤司君…とうとう倒れたの…」

「とうとうってオイ」

「緑間君や黒子君がよく引きずってくるのよ。倒れる前に寝かせてください、って」


 いっつも寝ないで教室に戻っちゃうけど、と保健医は赤司の容態を診た。青峰は慌てて、ボールが額に当たったのだと伝える。寝不足だ、と診断が下される。自分に見えなかった赤司の変化が緑間と黒子に見えていた事実が、何となく嫌だった。
 赤司をベッドに寝かせると、保健医は「職員会議だから後はよろしく」と保健室を出ていった。

 今なら、顔を見れる。
 そう思って見た赤司の顔色は、悪かった。青白い。目の下には濃い隈があり、頬も少し細くなっている。きちんと見ていれば、自分でも見えた変化だった――赤司をまともに見るのは久しぶりだった。
 起こさないよう注意しながら、親指で隈をなぞる。すると呻かれた。慌てて手を離すが、白い瞼は数回痙攣した後、ゆっくり持ち上がった。天井をぼんやり見てから、目を見開いてがばりと起き上がる――そして額を押さえた。青峰は焦って大丈夫かと聞く。頷き、赤司は青峰を見上げた。


「練習に戻るぞ」

「まず言うのはソレかよ……つうかお前は休んでろ」

「目は覚めたから問題な、」


 青峰が赤い前髪に触れると、赤司の声は途切れた。青峰は赤を掻き分け、その奥の白に浮かぶ痛々しい青紫に触れた。


「気をつけろよ……おん、……キレーなツラしてんだから」


 女なんだから、そう言おうとして口をつぐみ。かわいいんだから、そう言うのはよくないと考え、キレーなツラ、そう言うに収まった。赤司は頬を少し赤くしている。触り心地がいいツルツルの額を撫でていると、不意に彼女の顔が歪んだ。痣を押してしまったようだ。手を離して謝る。赤司が何だか暗い顔をしているが――まさか残念がっているわけではないだろう。
 そういえばコイツと喧嘩してるんだっけ――俯く赤司を眺めていたら、顔を上げた彼女と目が合った。驚いて反射で目を逸らす。数秒経ってから恐る恐る赤司を見てみると、明らかに傷ついた表情で俯いていた。絶対に勘違いされている。


「最近お前は黄瀬と1on1ばかりしてるからな……基礎練もちゃんとやれ。取り敢えず三倍」


 赤司は何事もなかったような薄ら笑いで指示を始めた。視線は掛け布団に据えられたままだ。
 違う。そんな変な顔をさせたいわけじゃない。
 抱き寄せたくて手を伸ばし、赤司の表向きの性別が脳裏をよぎった。止まらない手は彼女の肩を押す。不安なくらいあっけなく、短い赤髪が枕に広がった。見開かれた赤と視線が合う。
 寝ろ、と言いたかったのに。口から出たのは「なんでアイツの練習に付き合ってんだよ」とかいう、嫉妬を包んだ言葉だった。赤司は困ったように目を顔ごと横に向ける。そのまま黙っていたが、やがて観念したように笑った。


「バスケ部に所属しているんだ、みんな多かれ少なかれ才能がある」

「……でも部員全員に個別指導はしてねえだろ」

「ああ。アイツは特別だ。…バスケをしている時の笑顔やバスケに対する熱意や愛情が、お前とそっくりだから」


 慈しむような笑顔だった。緩んだ頬は桃色で、思わず唾を飲み込む。
 好きな女をベッドに押し付けている状況でそんな表情。このままだと自分の何かが切れる気がして、青峰は赤司の肩から手を離した。布団を彼女の首もとまでかける。


「……俺もソイツの自主練に付き合う」

「え、」

「練習終わったら迎えに行くからそれまで寝てろ」


 言うだけ言って保健室を出る。結局、ごめんと言えなかったし、言われもしなかった。でも今の状態は「喧嘩中」ではない。なあなあで流れたようでいて、きっちり終わったのだ。今日から赤司と帰る日々が復活する。
 話したいことがたくさんある。某三軍同級生との自主練も楽しみだ。
 重いものが取り払われた胸は、体育館に向かう足取りは、軽かった。



END.









* * *
また長めになりました…。喧嘩させると大雑把に喧嘩→喧嘩中のうだうだ→仲直りの三段階になるから長めになります。赤♀男装の青赤♀、これで三作目です。ここまで来たら二人がくっつくまで書いてみたい気もします。
リクエストありがとうございました!

 

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