短編

□無神経愛お断り
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 行きすぎた一方的な愛が、郵便受けには詰められていた。

 ハード本の大きさで、三百ページ弱の厚みのある茶封筒。切手はない。もちろん、消印もない。
 ずっしり重いそれを外の空気へ取り出して、小脇に抱えて家に入る。ただいまを言いながら廊下を歩き、洗面所で手を洗って自分の部屋へ早歩き。幸い誰とも会わなかった。今この家に自分以外の人がいるか怪しいものだった。
 自室に大股に入り、鍵を閉めて鞄を床に置く。制服から部屋着に着替えて、封を切る。中身は大量の手紙と、一枚の写真だった。


 愛してる。
 一番多いのはこの言葉だった。
 昨日赤司が何時に起きたのかや、朝昼晩に何を食べたのか。一日の行動がまことしやかに綴られてもいた。

 浮気はいけない、と、最後の紙には書かれていた。写真は赤司と黄瀬の下校時のもので、黄瀬の顔の部分に刃物で切りつけた跡があった。


 距離を置かなければならない。

 反射的にそう思った。
 この愛の持ち主の攻撃の矛は黄瀬にも向きかねない。それは想像しただけで堪えた。一晩中無言電話をされた時より、一晩中変態発言連発電話をされた時より、自分の写真数百枚を送りつけられた時より、下着を盗まれた時より、真っ白い液体が入った瓶を送りつけられた時より、怖かった。
 何かあったら、なんて、考えるのも嫌で。
 鼻がツンとするのを気力で抑えて、机に置いた段ボールに封筒をしまった。



* * *



 距離を置かなければならない。


 そうして赤司は黄瀬をそれとなく避けるようにした。ああぁぁあかあぁぁあすぃぃいいっっちいいぃっっ! と叫ばれながら飛びつかれようものなら全力で避け。わんおんわんわんおんわん煩くねだれば青峰に押しつけた。これだといつもと変わらない気がしたので、休み時間や下校時間、練習の合間なども黄瀬からは離れた位置にいるようにした。
 それが効を成したのか、あれきりストーカーが黄瀬への敵意を送ってくることはなかった。

 よかった、と胸を撫で下ろしたのも束の間。
 弊害が現れた。

 一つ目は、赤司の黄瀬欠乏症。
 黄瀬が足りなくなることで疲れやストレスが溜まりやすくなり。雑誌の黄瀬に話しかけてしまったり、近所のゴールデンレトリバーに話しかけてしまったり。レモンに話しかけてしまった時はかつてない危機感を覚えた。

 二つ目、恐らくこちらの方が厄介だ。


「赤司っちが足りないっス」


 黄瀬は、赤司が玄関の扉を開けた途端、そう言った。


 二つ目、は。黄瀬の赤司欠乏症。


 休日の朝っぱら(十時)からの黄瀬の訪問で驚き、飛んだ思考力が戻ってきて最初にしたことは、玄関の扉を閉めることだった。しかし、黄瀬の足が扉と壁の間に捩じこまれて閉めきることは叶わなかった。まるで強引な新聞勧誘のような動きだった。
 靴の横幅一つ分開いた隙間に綺麗に手入れされた手が入る。そして、ドアの縁を掴んでこじ開けようとしてくる。赤司は重心を後ろにずらし、全力でノブを引っ張った。力は黄瀬の方が強いが力の使い方は赤司の方が上手い。扉はなかなか動かなかった。
 黄瀬が隙間から顔を覗かせて壮絶に笑う。


「今オレが足を抜いて手から力を抜いたら、オレの手、ドアに挟まるっスよ? いいんスか?」

「……卑怯だ…」

「なんとでも言ってください」


 己が傷つく行動を相手への脅しに使うとは。何という脅しだ。前から何となく思っていたが、黄瀬は馬鹿ではない。
 赤司は細く溜め息を吐いた。黄瀬に手を扉から離すよう言う。急に赤司が力を抜いたら、黄瀬は後ろにすっ転ぶだろう。
 未だ足が扉と壁の間にあるから、開けようとする力が消えても閉められない。黄瀬が素直に手を離した。見届けてから赤司もノブから手を離す。途端、黄瀬が離した手を今度はノブにかけ、扉を開けて中に入ってきた。
 目の前にやって来たかと思ったら、次の瞬間に長い腕の中に閉じこめられていた。数枚の布越しに感じる体温と、鼻腔をくすぐる爽やかな甘い香り。痛いくらいの抱擁だった。
 扉がバタンと閉まる音を聴いてから、広い背中に腕を回した。



* * *



「ホント、最近どうしたんスか? 学校で会わないし、一緒に帰ってくれないし」


 自室に案内してドアを閉めると、黄瀬は言った。そして遮光性カーテンで完全に見えない窓に不思議そうな顔をし、「開けないんスか?」ともっともなことを訊いてきた。室内はカーテンから漏れる光だけでは暗いので灯りをつける。質問には答えなかった。
 朝からカーテンを閉めて灯りがついているのは、相当おかしい光景だ。だが黄瀬はたいして気にしていない――というより、それより気になることがある顔でいる。
 黄瀬をベッドに座らせ、赤司自身は机近くの椅子に座った。黄瀬は「赤司っちが足りないっス」と玄関先で言ったことを繰り返した。


「月バスの赤司っちとかアニメの魔王キャラ見たら赤司っち思い出して…」

「黄瀬……」

「この前トマトに欲情しちゃったっス」

「しね」


 胸を甘く疼かせた自分が非常に馬鹿らしくなった。赤ければいいのかコイツは。
 黄瀬が立ち上がって、いつもの彼なら三歩使う距離を一歩で埋めた。誤魔化しが難しそうな、何かあることを確信しているような、赤司にとってはよろしくない表情をしている。


「赤司っち、他の人を好きになったりしてないっスよね?」

「当たり前だ。俺が心変わりするわけないだろう」

「ならなんで……」


 それには答えられず、床に視線を落として黙秘を決める。部屋にはしばらく沈黙が横たわった。十数秒後、短く息を吐いた黄瀬に肩を掴まれる。
 思わず見上げると、もどかしそうな顔があった。眉は苦しげに歪められていて、目は情欲に濡れている。


「…いいっス。我慢できない。ヤりながら訊く」

「は? ちょ、馬鹿か……んっ」


 首筋に吸い付かれていよいよ焦る。隙間なくカーテンを閉めても、どこかから、誰のものか分からない視線に見つめられている気がした。じっと、今現在の赤司と黄瀬を、静かに無言で、見ている。そんな錯覚。
 自分にも黄瀬にも危険が迫る――赤司は半分ほど我を忘れて抵抗した。しなやかに筋肉のついた肩を押し返そうともがく。

 もがいて、机に置いていた段ボールに肘が当たった。

 あ、と思ったのは段ボールが落下し、床に落ちた時だった。横向きに着地したその箱は、中に詰めた寒気のする愛を床にぶちまける。
 音に反応して黄瀬が下を見る。黄瀬の頭より低い位置に頭がある赤司には、彼の目が限界まで見開かれる様がよく見えた。しまったと焦るより、どう誤魔化すかに脳みそを使う。
 だが、誤魔化すなんて、無理な話だった。
 無数の写真と手紙と、白い液体入りの瓶が一つ。それらを見て黄瀬は悟った顔になる。成績は悪いくせに頭の回転は速い男だ。


「……ストーカー……っスね」

「…………」

「…いつから?」


 また、床に視線を落とす。黄瀬は今度は逃がしてくれなかった。答えて、と強要される。一年前から、と答えると空気が一気に悪くなった。反射的に多分を付け足す。だが空気は変わらない。
 言い訳じみた言葉を重ねる。気のせいだとずっと思っていたこと。初めて物が送られてきた半年前に確信したこと。白を送られて相手が男だと分かったこと。家の外壁によく盗聴器を仕掛けられること。外を歩いているとちょくちょく視線を感じるから、捕まえようと視線の先へ走ると誰もいないこと。

 話せば話すほど部屋の気温が下がっていくようだった。思えば、今の言葉に黄瀬を安心させる要素はなかった。そっと黄瀬の顔を窺う。難しい顔をしていた。戦略を練る時の自分の顔から楽しさを引いた顔だと思った。
 再び訪れた沈黙が気まずい。手持ち無沙汰になって、取り敢えず床に散らばった物を集めようと、椅子から降りて手を伸ばす。
 ――伸ばした手が掴まれた。
 と思ったら、引っ張られる。玄関の時のように、あっという間に黄瀬の腕に収まっていた。


「触んないで、ストーカーに押し付けられたものなんか。オレが片付けるから」

「…黄瀬、」

「ホントは捨ててほしいっスけど……大事な証拠物件っスもんね。さすが赤司っち、捨てないのが正解」


 気味悪がって捨てちゃう人が多いけど――呟く黄瀬は、仕事仲間にストーカー被害者がたくさんいるのか、やけに詳しかった。
 力が抜けていく。体全部を黄瀬に委ねそうになって、視線の錯覚を思い出して力が戻る。抱きしめてくる腕に力がこもった。


「オレが守るよ、赤司っち」


 耳元で優しく囁かれてくらくらした。うん、と頷きそうになる。すんでで堪えた。
 あたたかい胸板を軽く押すと、黄瀬の体は赤司から離れた。赤司が言葉を発する前に、黄瀬は手早く段ボールに証拠物件を詰めだす。せめて有言実行だけは守らせよう――詰め終えるまで待つ。
 最後の手紙が詰められた。


「ありがとう、黄瀬。けれど守られるのは性に合わない」

「赤司っち…」

「でも。そう言ってもらえただけですごく楽になった」


 ありがとう――もう一度言って、机の隅に置いた鍵を手に部屋を出る。黄瀬が付いてきているのを足音で確認し、早足にならないよう注意しながら歩き、玄関で靴をはく。どこ行くんスか、と聞かれて、交番と答える。黄瀬を帰らせるため、被害届を出すため、行くだけだ。赤司がいない赤司家に黄瀬がいるわけにはいかない。
 黄瀬も外に出てから鍵をかける。自分も行く、と頑なに言う彼の手を振り払い、運転手を呼ぶ。行き先は本屋、迎えはいらない、と告げた。本屋から交番に行くつもりだ。交番なんて言ったら親に報告されてしまう。どれだけ時間がかかるか分からないから、先に帰ってもらうことにした。
 ストーカーの件では警察は頼りにならないが、もう藁にもすがる思いだった。黄瀬に何かある前に捕まえたい。
 車の後部座席に乗る。窓の外は見ず、運転席のヘッドレスだけを強く見つめた。窓を隔てた向こう側で黄瀬が浮かべている表情を見たくなかった。

 
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