短編

□別離のヴァルゴ
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 抱きしめると一瞬すくむ。

 キスすると一瞬強張る。

 押し倒すと、怯える。


「意外と手が遅いんだな」と笑いながら言うその内側の隅っこでは安心しているに違いない。
 誰からも――本人からも隠された場所で震える怯えを見つけたのは、良かったのか悪かったのか。
 無意識に怯える彼女に気付かずことを進めれば、怯えは途中から消えたかもしれないし、逆にトラウマを植えつけてしまったかもしれない。後者の可能性が僅かでもある限り、先に進むなんてできない。だから見つけて正解だ。

 生殺しは辛いが怖がられるより遥かにマシだ。

 とにかく青峰は、彼女に手を出せずにいた。



* * *



「えっ、征ちゃんまだ青峰君とえっちしてないの!?」

「さつき! 声が大きい!」


 ゴメンと謝りながら辺りを見回す。といっても桃井の部屋には桃井と赤司の二人きりだが。しかし階下には母がいるから、大声すぎる大声を出したら聞こえてしまうだろう。
 気を引き締めつつ驚きの余韻に浸る。おっぱいだ巨乳だうるさい幼馴染みは日頃の言動から見るに手が早そうで、下手をすると付き合った次の瞬間にベッドに直行しそうな男だ。場所次第ではベッドインすらせずその場で喰いそうなイメージである。
 私は青峰君を見くびっていたんだね…。
 付き合って四ヶ月のはず。意外と奥手な幼馴染みを微笑ましく思いながら、俯いて桃井の胸をちらりと見る赤司の話を聞く。彼女から相談を受けるのはこれが初めてで余計気合いが入った。


「やはり…さつきのように胸が大きい方がいいのだろうか…」

「だ、大丈夫だよ! 青峰君、征ちゃんなら男でもいけるって言ってたし!」

「……そうなのか……?」

「うん、そう! ――そうだ、そういう雰囲気になったことはない?」


 男でもいける発言に少し表情を明るくした赤司が、聞かれて記憶を辿るように黙る。そして、立ててある両膝に鼻までを埋め、いちどだけ、と消えそうな声で答えた。ちなみに桃井も赤司もベッドの上で体育座りしている。
 髪と見分けがつきにくくなるくらいに肌を染め、赤司はその時のことを話す。青峰のご両親がいないとき、ベッドでキスしてたら、押されてたおれた、と。消えそうな声で。
 押されて倒れた、って押し倒されたってことだよね。押し倒されたって言うの恥ずかしかったんだね征ちゃんかわいい!
「そっかー」と無難な相槌を打ちつつ内心悶え、そして、桃井は幼馴染みが彼女に手を出さない訳を悟った。
 怯えたのだ、彼女が。拒否されたわけでも、親が帰って来たわけでもないのなら、それ以外に理由がない。
 それを分かっていない赤司は無自覚なのだろう。それではいつまで経っても怯えは治らない。青峰に指摘する気はないだろうし。
 だったら自分がしてしまおう。


「征ちゃんは、ちょっと怖がっちゃってるんだね」

「……そんなことはない」

「怖くても恥ずかしくないよ。きっとみんなそうだもん」


 とても痛いのだと、苦しいのだと、知識ばかりが先走る。桃井も経験はまだないから、恐怖はないと言えば嘘になる。
 ただ今は、親友と幼馴染みが一歩大人になるために、一肌脱ごうと思う。


「買い物行こう、征ちゃん」


 青峰君が手を出さないでいられないような征ちゃんにしてあげる。
 唐突な提案に、赤司は顔を上げて目を白黒させた。



* * *



 今の自分は彼の目にどう映っているのだろう。飲み物を用意しに階下へ行った青峰を彼の部屋で待ちながら思う。

 昨日桃井に相談した後買い物に行って、今日のための物を買った。
「征ちゃんには甘エロが似合うと思うの!」と見繕われた下着は黒地に白い水玉。白いフリル(レースじゃないのがポイントらしい)は薄桃の光沢を持っていて綺麗だった。
「鎖骨を見せるのがいいんだよ!」と見繕われたのは膨らんだ七分袖に白い袖口の、胸元にこちらも白のくるみボタンを二つあしらったスクエアネックの黒いシフォン。落ち着いた暗い赤のミニスカートはハイウエストでチェックがある。肩までの髪は一部編みこみをされた。「絶対領域!」と黒いニーソックスを履かされた。


 全部が桃井チョイスである。


 いつもブラウスを着ているから、この格好は首周りがスースーする。桃井曰く、いつも隙のない格好だから、たまに隙を見せる格好をするとイチコロ、らしい。よく分からない。
 あとは積極的に迫り、怖いけどしたいと言えば大丈夫だと言われた。だから怖がってないのに。
 雰囲気を出すならベッドの上がいいだろう。床に正座していたが立ち上がってベッドに腰かける。夕方、恋人の自室。薄暗い程度の暗さなので電気はつけておらず、体はあまり見えないはず。シチュエーションは悪くない。


「あ、そうだエロ本…」


 あるだろうか。健全すぎる青峰のことだ、あるに決まってる。何か参考にならないだろうか。床に降り立ち、四つん這いになってベッドの下を覗く――



 ――ドアが開く音がした。


「ぶっ、な、何してんだおまっ」

「ちっ…戻ってきたか」


 エロ本探しだ、と軽く答えて体勢を正し、ベッドに座る。青峰は真っ赤な顔をして麦茶で満たしたコップをローテーブルに置いた。そしてテーブルの前に腰を下ろす。
 礼を言ってから麦茶を飲み、赤司はふと、自分と青峰の距離に目を留めた。遠い。遠すぎる。


「青峰」

「…んだよ」

「こっちに来い」


 シーツの、自分のすぐ隣をぽんぽん叩いて青峰を呼ぶ。青峰はいまだ赤い顔で、正確に言うと赤黒い顔で、顔をしかめた。あー、だのあー、だの唸って動かない。
 じれったい。青峰の手首を掴んで引っ張って隣に座らせる。普段なら絶対しないが、今日の赤司は腹をくくっていた。大好きな恋人と今日こそ、と。
 隣に座らせ、次はどうしよう。迫って「怖くてもしたい」だったか。迫るって、どう迫ればいいのだろう。胸を押しつるのだろうか。だが悲しいことに、押しつけるだけの胸がない。
 そろそろ沈黙が不自然になりだし焦る。焦って、とにかく動こうと、いつも青峰がしてくれるようにキスをした。ただし舌は絡めず押しつけるだけ。舌を入れる余裕がなかった。
 長い長い間唇を合わせる。青峰が赤司の肩を押し返したことで、それは離れた。

 
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