短編

□迷恋
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 好きだと言われたのは初めてではない。

 日課のように、癖のように。オレに抱きつく時と同じ空気と顔と声音で、好きだよ、と何度も言われてきた。
 なのに今驚いているのは、伝えられた「好き」の意味が普段と違うからだ。ライクじゃない、ラブ。
 試合中ですらあまり見せない緊張した顔と、だらんとしていない声。手に無いお菓子。
 どう答えればいいか。頭を回転させる。
 オレはコイツを、そういう意味では好きじゃない。だがそれを正直に言ったら気まずくなる。そうしたらコイツは練習に来なくなるかもしれない。調子が出なくなるかもしれない。

 それは駄目だ。

 帝光中男子バスケットボール部にはまだ、コイツの力が必要なのだから。

 だから答えは決まっている。


「オレも、お前が好きだ。紫原」


 まっすぐ目を見て言うと、紫原は、普段とまるで変わらない動きで抱きついてきた。今まで見たことのない、幸せそうな笑みを浮かべて。
 オレはというと、ここは抱き返すのが正解なのだろうか――なんて考えながら紫原の広い背中に腕を回し、彼の速い鼓動を聞いていた。



* * *



「赤ちん赤ちん」


 呼ばれて上を向くと、真上からキスが降ってきた。後ろからオレを抱きしめている腕の力が少し強まる。
 直前まで飴でも舐めていたのか、キスは苺の味がした。
 頬に這う手に擦り寄ると、手は首筋を伝った。手は鎖骨で止まってそれ以上下へは行かない。
 もう片方の手でオレの髪を弄る紫原を背もたれにしながら読書を続ける。付き合う前と変わらない、落ち着く触れ合い。


「赤ちんすきー」

「うん、オレも」

「だいすき、だよ」

「オレも、大好きだ」


 少し笑って見せてやると、紫原は嬉しそうに顔を崩して、もう一度キスしてきた。オレはただ受け止めるだけでいい。
 付き合ってからの紫原が言う「好き」が友好と思慕、どちらの想いから紡がれるのかは分からない。飄々と言ってのけているがラブの「好き」かもしれないのだ。
 どちらなのかを見極めようとした時期もあったが、今はあまり気にならない。

 どんな感情の篭った「好き」でも、オレの返す言葉は決まっているのだから。

 引退した今、紫原がチームに必要不可欠なわけではない。
 なのに恋人を演じ続けているのは惰性か。それとも勝利の為に彼を利用したことへの僅かな罪悪感からか。


「赤ちん、好き。ずっとずっと、誰より大好き」

「オレも、どんな人より紫原が好きだよ」


 本に目を戻していたから紫原の顔は見えない。

 このまま紫原を好きになれれば、別れを切り出す時が来なくなるのに。
 心のどこかでそう思った。



* * *



 WCが終わった直後、敦に呼び出された。会場の裏側。人気のない場所に。
 一体何を話すのか。WCの結果について――敦に限ってそれはない。用件をいくつも予想しながら、足はとにかく指定の場所へ進んだ。
 人気のないを通り越して、そこには誰もいなかった。待ち合わせ相手の敦を除いて。当然というか、先に来ていた。コイツが僕を待たせるわけがない。


「…赤ちん」


 互いの距離が三メートルまで縮んだ時、敦が僕に気付いた。憔悴した顔で僕を見下ろす。ひどく疲れた目に僕を映した。
 距離をもう二メートル埋めて足を止める。我ながら事務的だと思える口調で用件を尋ねた。そして、既視感を覚えた。僕は敦のこの空気を知っている。
 緊張した顔、だらんとしていない声。手に無いお菓子。あの時はこんなに暗くなかったのに、どうしてか、同じ空気だと思った。


「……別れよ。赤ちん」


 絞り出すような掠れた声を聞いて、震える拳を見て、胸に浮いたのは軽い驚きと疑問。
 首を傾げて口を開く。


「どうして? お前、まだ僕のことが好きだろう?」

「赤ちんはオレのこと好きじゃないじゃん」


 言葉に詰まった。まさか見破られているなんて、思いもしなかったから。
 何も言えないでただただ目を見開く。そんな僕を見下ろしたまま、敦は笑った。僕を、じゃない。自分を嘲笑っていた。


「さいしょっから知ってた。赤ちんが、ぜんぜんオレのこと好きじゃないの」

「…………」

「好きって言えばいいんじゃ、ないんだよ。キスに抵抗しないだけじゃあたりない」


 好きだと言う、キスに抵抗しない。
 それが、オレがした「恋人らしいこと」。

 それ以外の「恋人らしいこと」は知らない。誰かを好きになったことはないから。セックスを求められたら受け入れる、それぐらいの心持ちはあったが。
 それにしてもどうして今。なぜ、中学を卒業した時やIHの時には言わず、今言ったのだろう。
 悲しみの湧かない胸で敦への思慕が無い事実を確認して、聞いてみた。すると敦はわらったまま言った。カイホウしたいのだ、と。


「オレがいたら、赤ちん、ちゃんと好きな人つくれないじゃん。そんなのヤだから」

「別にお前がいてもいなくても変わらないと思うけど」

「かわるよ。コイビトがいたら、他の人を好きになりにくくなるんだよ」


 そういうものなのだろうか。やはり僕には分からない。
 答えあぐねていると、敦は悲しげな笑みを深めた。今までごめんね、とだけ言って、あとは口を閉じて、去っていった。歩幅が広いからだろう、あっという間に離れていく。
 よく分からない交際だった。好きと言い合って唇を重ねただけの、誰とでもできることしかしなかった付き合いだった。
 玲央達が待っているから早く戻らないといけない。そのことを思い出して、僕も、コイビトと別れた場所から離れた。



* * *



 すきだ、と言われた。正確には、すきです、と。ラブの意味の方で。

 一月の下旬、推薦入試前日だから、学校は昼に終わった。部活は、無い。
 相手は部活の先輩。これまた部に必要な人で、つまり、ぎこちない関係性になってはいけない。
 答えを即決して口に出す。その人はそれはそれは嬉しそうな顔をして、僕を柔らかく抱きしめた。一瞬ぞわりとしたけど、急な抱擁に驚いただけだと解釈する。

 今度こそ失敗しないようにしないと。相変わらず「恋人らしいこと」がなんなのか分からないが、分からないなら聞けばいいのだ。
 その日の帰り道、肩を並べて歩く。先輩の話に相槌を打って、僕も少しだけ話して。ふと会話が途切れて沈黙が話し出した時。盗み見た先輩の頬が赤かったから、雰囲気は桃色なのだろう。今が狙いだと、おずおずを装い聞いてみる。


「…先輩。僕、恋人らしいこととか、分からないんだ」

「え、何、もしかして赤司、初めて…?」

「分からないから、教えてほしい」


 初めてかどうかの問いは何気なく無視して、足を止めて先輩を見上げる。先輩も、歩くのを止めて僕を見た。顔は緩んでいないが、鼻の下がのびている。
 先輩が周囲を見回してから手で僕の顎を持ち上げて、顔を近づけてきた。キスをするらしい。目を瞑って、唇が合わさるのを待つ。


「んっ……」


 初めは触れるだけ。次に舌が侵入してきて、頬肉や上顎、舌の裏側をなぞった。


 …どうして、だろう。

 すごく気持ち悪い。


 唇が離れて、至近距離で先輩が言う。すきだよ、と。告白された時は簡単に返せた言葉は、今は喉に詰まって僕を窒息に追いやろうとする。
 先輩がもう一度唇を重ねてくる。答えがなくても気にしないらしい。
 僕は気付けば、先輩を突き飛ばしていた。


「…っあ……」

「赤司…?」

「……すみません、先輩」

「赤司?」

「やっぱり無理です…っ」

「あ、おい!」


 思わず敬語になった。
 寮に戻るはずだった足で寮じゃないどこかへ走る。「寮じゃないどこか」は駅で、僕は電車に飛び乗った。周りが息を切らせる僕を不思議そうに見た。


 何が、誰とでもできる、だ。
 好きと言い合うのにも唇を重ねるのにも拒否反応を起こしたくせに。


 体はいつの間にか、電車を降りて新幹線に乗っていた。手に握られた切符には秋田行きが記されている。無意識にこうなるなんて、自嘲しか出てこない。


 唇をしつこく擦って目を閉じる。まず瞼に浮いたのは敦の顔。


 僕に抱きつく敦、バスケをする敦、僕に好きだと言った敦。
 あの頃は何とも思わなかったのに、今はこんなに愛しい。これが、好きという感情なのか。


 次に浮かんだのは先輩の顔。
 あんなに喜んでいたのに、裏切ることになってしまって――裏切りは、敦の時もだが。
 京都に戻ったら一番に、あの人に謝らないといけない。


 新幹線は、ひたすらに秋田へ向かっていた。



* * *



 陽泉に付いた頃には八時を回っていた。部外者がこんな時間に寮に入れてもらえるのか不安になったが、問題なかった。寮母さんに敦を呼ぶ放送をかけてもらう。ケータイで連絡するという手段もあったが、敦がケータイを手元に置いていない可能性も考えられたから。
 程なくして、敦はロビーにやって来た。まいう棒の袋を床に落として目を見開いている。僕は彼の元へ歩み寄って、けれど何を言いたいのか分からなくて、下を向いた。
 一分近くそうしていたら手首を掴まれた。顔を上げるが、敦はどこかへと歩き出していて、顔は見えなかった。

 連れてこられたのは敦の部屋。同室者はいないらしい。お菓子のゴミが散乱しているが、叱る気にはなれなかった。


「どうしたのー? いきなり、こんなところまで」


 振り向いて僕を見下ろす敦は自然体に見えた。僕の鞄を取って床に置く。無理をしているようには見えない。
 もしかしたら、コイビトだったことはもう、どうでもいい思い出かもしれない。そう思うと胸が痛くなって、敦を見ていられなくなった。また俯く。
 言いたいことを考える前に、言葉が口をついて出る。


「敦が好きだ」


 体育館中に響き渡らせることも可能な僕のものとは思えない、小さな声。頭上で固まる気配がした。


「今更なのは分かっている。言い終えたら帰るから言わせてくれ」


 何か言われる前に、強制的に追い出される前に、急いで気持ちを吐いていく。
 解放する必要はなかった、そう言って、ふと思う。


「付き合ったままだったら気づけなかったか…」

「……離れてはじめてきづいたってやつ?」


 読めない声で言った敦に首を振る。別れても何の感慨も湧かなかったし、敦を思い出すことも少なかった。
 原因はやはり、


「昼間、先輩に告白されて付き合うことになった。そしてキスして、気持ち悪くなって気付い…っんぅ…!?」


 腕を引っ張られたかと思えば、顎を掬い上げられ、口付けられた。驚きの次に喜びが体を支配した。
 舌を絡め合って唾液を飲み込む。「ホントだ、赤ちんじゃない味だ」と口を離して恐ろしいことを呟いてから、またキスしてくる。次に離した時、「ちゃんと赤ちんの味ー」と満足げに言って、僕を抱きしめた。


「うんうん、ちゃんとオレを好きだねー。顔まっかっかだよ赤ちん。前は白いまんまだったのに」

「…怒らないのか? 今更こんなことを言ったのに」

「怒ってないよー。赤ちんが他のやつにキスされたって聞いたら、すっげえヤだった」

「……」

「ガマンしようと思ったけど、両思いならそんなことしなくていいじゃん?」


 またよろしくだね、と今度は額に唇が落ちる。くすぐったくて、少し恥ずかしくて、気持ち良くて、嬉しい。
 帰らないと明日に響く、そう分かっているのに敦と離れがたい。もう少しくらいならいいか――言い訳して敦の頬を撫でる。



 これが、恋。



END.









* * *
京都と秋田を往復するだけの金が常に財布にあるのです。帝光紫赤の日記念。タイトルの読みは「まいご」や「まよいご」で。当て字も甚だしいですね…!

 

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