短編

□日だまり午前
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 立入禁止の屋上はシンプルだった。白いフェンスが落下防止に縁と空の境に立ちはだかり、片隅には巨大なタンクが並んでいて。一見すると無人だがそうではない。オレがいる時点で無人ではないが、そういうことではなく。オレが来る前からここには人がいる。
 今しがたくぐった扉を無音で閉める。息を殺して扉の横の梯子を上る。コンクリが視界から消えた時、真っ先に足の裏が目に入った。
 上りきって、音を消したままソイツの足元に立つ。


「オレに足を向けるとはいい度胸だな」

「どおぅああ!? っ、……セージューローか……気配消すんじゃねェよ」

「面白い叫び声だったな」

「うっせえ!」


 飛び起きて驚いた灰崎は、隣に座ったオレを見て、数秒後にニヤァと笑った。もっと普通に笑えばいいのに。


「オマエもサボったりすんだなァ?」

「自習だったからな。…それでも、授業をサボったのは初めてだ」

「いいねえ、そのままこっち側まで堕ちろよ」

「断る」


 断った瞬間キスされた。噛みつくような乱暴さで、実際、甘くだが噛みつかれる。短いキスで、舌で触れあいはしなかった。唇を舐められたその時にオレが向こうを突き飛ばしたからだ。
 飛ばしたと言ってもあまり飛んでいない灰崎が、素直につまらなそうにする。


「つれねえなあ。オレはオマエに堕ちてんのに」

「上手いこと言ったつもりか?」


 相手に堕ちているという意味なら、それはこっちだって同じだ。突き飛ばしたのも、嫌だからじゃなく、甘くなりだしていた空気が擽ったかったからで。
 ――恥ずかしくて言えやしないけれど、そんなこと。
 灰崎は気を取り直したようで再び寝転んだ。わりと切り替えの早い男である。片手でオレの指を弄りながら、ぼけえっと空を眺めている。


「…サボる時、いつもこうしているのか?」

「あ? …いや、マンガ読んだりケータイいじったりもするな。一番多いのは寝るのだけど」

「こんな固いところで寝られるのか?」

「あったりめーだろ。ふかふかベッドじゃないと寝られなーい、なんてほどヤワじゃねえよ」


 これだからボンボンは、と灰崎はクスクス笑いをこぼす。だから、普通に笑えばいいのに。そしてオレだって、固いところでも寝られる。と思う。
 そうだ、と灰崎の笑みの種類が変わった。イタズラを思いついた子供のような、ご褒美を期待する子供のような、とにかく子供のような笑顔。普通に笑えばいいのにと思ったけれど、いざ普通にされたら困った。不良がいいことをしたらドキリとするアレに似ている。珍しいから鼓動が跳ねるんだ。


「膝枕してよ、セージューロー」

「…、は?」

「固くて頭いてえんだよ」

「……固くても寝られるんだろ。大体、男の太股だって固い」

「コンクリよりゃやらかいって。それにさ、膝枕してほしいんだからいーだろ?」


 な? と面白そうな笑みで言われたら、胡座をかいた足が自然と正座の形に畳まれた。灰崎は、嬉しげにくしゃくしゃに顔を歪めて――ギャップの連続だ。
 太股に仰向けに乗った灰崎の頭は、何というか、重くはないけれど重みがあった。軽くもない。温かみがむず痒い。灰色の瞳と視線が絡んで密やかに息を飲む。かっこいいだなんて思って堪るか。
 絡まった視線を、ほどいたら負けな気がした。だからずっと灰崎の案外整った顔を、目を、じっと見つめた。その灰色の目を視界に収めたまま、顔全体に見惚れ――顔全体を見る。そして、右の頬に走る薄い赤を見つけた。


「…それ、どうした」

「オトコのくんしょー」

「……喧嘩か」


 昨日の部活の時はなかった。指でやんわり押すと顔をしかめられた。痛いらしい。


「そうだ、絆創膏を持ってるから貼ってやる」

「はっ。いらねーよ。だせえし」

「普通のやつとキャラクターもの、どっちがいい?」

「無視かよ…キャラクターもの持ってんの? オマエが?」


 ぶはははは、と笑われると同時に視線がほどけた。オレの勝ちだ。
 笑われまくった仕返しにキャラクターものの方を貼ってやる。デフォルメのウサギがプリントされた、ピンクの絆創膏。電源を切ったケータイの画面でその様を見せる。


「おいオマエ、マジでやったのかよ…!」

「笑えるくらい似合ってるよ灰崎」

「つーかなんでこんなん持ってんだよ…」

「子供が転んで泣いた時、こっちの方が泣きやませやすい」

「そんなシチュそうそうねェだろ…」

「あるぞ」


 マジでと灰崎が目を見開く。コイツのこういう素直なところがけっこう好き。やっぱり言えないけれど。


「この前転んで泣いてしまった男の子がいてな。起き上がるのを待ってから傷口にコレと同じ絆創膏を貼ったらすごく喜ばれた」

「ふーん…」

「お礼にキスしてくれたよ」

「はぁ!?」


 オレの太股を枕にしていた頭がいきなり飛び起きた。オレは前屈みにしていたから、避けるのが遅れていたら頭突きされていたところだ。
 取り敢えず文句を言おうと口を開く。両肩を掴まれて詰め寄られて、声は呆気なく萎んだけれど。
 今日一番に表情を崩した灰崎がそこにいた。


「キスってオマエ何されてんの!? 相手ガキだろ何あっさりされてんだよ!?」

「ちゅーしたい、って言うからさせたんだ。つまり、あっさりされた、じゃなくてあっさりさせた、が正しいな」

「訂正いらねえよ!! つかちゅーしたいとかお礼じゃなくて願望じゃね!?」

「まあそう怒るな。頬にだったし子供だったし」

「あー、ったく…!」


 左右の頬に一度ずつ唇をつけてくる。そして「どこにされたんだよ」。なぜ口付けてから言った。
 口付けられた場所と同じところだ、と本当のことを言ったら、消毒(?)はもう終わりなのだろうか――結局、実際された場所から少し下のところを指差した。そこに降りてくる唇。大袈裟だと呟けば、もっと気を付けろと返ってきた。本当に、相手は子供だったのに。


「…灰崎。どうしてお前はオレのブレザーを脱がしているのかな?」

「お前のシャツを脱がすためさ」

「どうしてオレのシャツを脱がすのかな?」

「お前の乳首とかを見るためさ」

「どうしてそんなところを見るのかな?」

「それは…お前を食べるためだ! かっこ性的な意味で!」

「っこの馬鹿が…!」


 抵抗するが既に遅い。オレの体は灰崎の手によってコンクリの床に縫いとめられていた。もう第三ボタンまでが外されている。赤ずきんのマネなんかやっている場合じゃなかった。


「放せっ! ここがどこだと…!」

「屋上だけど……あ、もしかして皆に見られたい? ならフェンスまで行くか?」

「何をどうしたらそういう結論に行くんだ!」

「ほら観念しろよセージューロ、…………」


 シャツのボタンを全部外したところで灰崎の動きが止まった。表情も動作も、なにもかも。
 一体どうした――訊こうとしたところで、体の自由が戻ってきた。灰崎がオレの上からどいたのだ。本当に一体どうした。本人はチッ、と舌打ちをしている。人差し指を突きつけられた。


「灰崎、人を指差すのは――」

「オレが言うまでぜっっってえここから動くなよ」

「は?」


 言うだけ言って、灰色の頭は陽光を弾きながら梯子まで行った。訳が分からなかったが、扉が開く音がして、納得した。
 誰か来たらしい。一体誰が――思った瞬間、灰色が視界から消えた。そして耳に飛び込んだ怒鳴り声。生活指導の教師のものだ。やっぱりここにいたか、と怒鳴る彼の台詞から察するに、灰崎を探していたらしい。続いて吹き出す音と、絆創膏について触れる声。そういえば灰崎はあの絆創膏を貼ったままだ。
 灰崎が軽口を叩いて、教師がまた怒る。オレはただ、それを聞いていた。ようやく灰崎の言葉の意味を理解した。

 どうもオレが見つからないようにしようとしているらしい。

 オレが優等生で、見つかったら信用が落ちるから、だろう。どうしよう、嬉しい。けれどオレだってサボっているのに灰崎だけが叱られるのは不公平な気がする。
 やはりオレも姿を見せるべきか――服を急いで着る。ネクタイを締めた時、スラックスのポケットが少し震えた。ケータイが受信を告げている。


『ぜっっってえ動くなよ』


 お見通しらしい。
 下では教師が「ケータイをいじるな!」と怒鳴っている。灰崎が適当すぎる返事をして、教師がまた怒って、扉が閉まる音がした。二人とも校舎に入ったようだ。


「…アイツは犬か…?」


 扉の向こうにいる教師に気付くとは。まあ教師は足音を消したりはしないか。
 ケータイを片手に寝転ぶ。固くて暖かくなくて、お世辞にも寝心地がいいとは言えない。
 けれど一つ、アイツの世界を知れた気がした。



END.









* * *
屋上の一時、みたいな。わざわざ生徒探す生活指導の先生、実際いたらすごいです。赤司様の膝枕! デフォウサギの絆創膏!

 

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