読物
□髪結
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チュンチュン…チュンチュン…
鳥の囀りと、心地よい朝日で目が覚めた。
まだ温かさが残るもう一つの枕に手を置くと、不思議と笑みが零れてしまう。
少し開いている襖の向こうには、乱れた髪を鏡台の前で整えるあの子の姿が見える。
朝日が白いうなじを余計に目立たせて、そこに吸い付きたくなる衝動に駆られてしまう。
気付かれないように、そっ、と襖を開け、ゆっくりと彼女の背後にまわる。
「…っ、あ、け、慶喜さん…?」
ふぅ、と首筋にかけられた吐息に髪を結っていた手を止めてしまった。
「…そんなに綺麗に髪を結って何処に行くの?」
後ろ手から首筋に沿って撫で上げると、ぞくぞくと甘い痺れが澄玲の全身を襲う。
「置屋に戻るだけです…」
ふぅん、と鼻を鳴らしたその吐息にまで、澄玲の身体は反応してしまう。
「可愛い澄玲が他の男に取られまいか、気がきじゃないね」
着物から少しだけ覗く鎖骨に、指を這わせる。
「…今すぐにでも、お前をこのまま何処かにさらいたいくらい、愛おしいよ」
耳元で呟かれた言葉が、尚身体を痺れさせ、じわり、と澄玲の女の部分が火照ってくる。
「け、慶喜さん…もぅ、今は…朝ですよ…」
何時もは蝋燭の灯火しかない室内は薄暗いためか、鮮明に写る姿に、妙にどきどきと心臓が脈打っている。
胸元にある慶喜の手に、その心音が伝わっているのではないかと思うと、余計動悸は激しくなっていってしまう。
「…綺麗なうなじだね」
ふっ、と吐息がかかり、首筋に柔らかい慶喜の唇が触れた。
「…っ、」
今はまだ共に寝間に入っても、ただ抱き締め合ったり、手を繋いだり…時には頬にキスをする程度で。
ぞくりと背筋を走る快感が澄玲の吐息を荒くしてゆく。
頬が高揚して真っ赤になっているのが、澄玲自身がわかるほどで、くらくらと眩暈がしそうだ。
「…全く、お前は本当に罪な子だ」
慶喜がくすりと笑って立ち上がり、煙管に火をつけると、煙草とは違う独特の香りが立ち込めた。
「そんな顔、他の男に見せたら駄目だよ?」
「えっ?」
どんな顔なのかと目の前にあった鏡で見てみるが、寝起きということもあり、少し化粧が取れているだけだ。
(寝起きの顔のことかな?)
「大丈夫ですよ、寝間は慶喜さん以外の方はお断りしてますし…。
あ、けど、花里ちゃんや菖蒲さんには見られちゃう時ありますけど…」
そう返事をした澄玲に、慶喜は一瞬きょとんとした顔をしたが、直ぐに腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、本当、お前は可愛いね」
「えっ?」
笑いが止まらないのか、目尻に涙を滲ませている。
「今の澄玲はとても艶があった。…俺を欲しそうな顔をしてたよ」
言われた台詞に、一気に顔を赤くしてゆく。
「そ、そんな…!」
そんなことないです、そう言い切れなかった。
慶喜が離れてしまった時に、何処か物悲しかったのも事実である。
慶喜に真言をつかれて、尚更顔が赤くなるのがわかり、ただただ俯く事しかできない。
「…澄玲?」
顔を覗きこもうとしてきたため、慌てて着物の袖で顔を隠す。
「恥ずかしがることはないよ。俺はいつだってお前が欲しいんだから。
毎度逢う度に澄玲に気づかれまいかと、必死に押さえ込んでるんだけどね」
少し自虐的に言うのは、彼の優しさなのだろう。
「慶喜さん…」
隠していた顔をそっと出すと、お互いの目が合った。
慶喜も何処か照れているのか、頬を少し赤らめている。
「…髪、結ってくれますか?」
「喜んで」
はにかみながらも、慣れた手付きで髪を結い上げてゆく。
こんな時間が、二人にはとても心地良かった。