Memory of a crocus
□4 協力者
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少し時間がかかったが、やっと自分の部屋にたどりつく。廊下がつながっていて助かった。
こんなとこでも迷子になるなんて恥ずかしすぎる。
なんてことを考えながらドアノブに掛けようとした手を止めた。となりの牢屋がどうしても気になるのだ。
足音を立てないように、そっと牢屋へ近寄る。
「お腹すいたニャ……ご飯まだかニャ……」
牢屋の中から声が聞こえる。やっぱり気のせいではなかったんだ。ドアに鍵はかかっていない。
お腹空いているのか……
いったん部屋にもどって、机の上に置きっぱなしにしていたバックから板チョコを取り出す。
塾の帰りにいつも買っているチョコだ。食べてくれるだろうか。
再び牢屋の前に来る。どうしよう、入っていいのかな。
意を決して、ドアを開ける。牢屋の中は廊下よりもさらに暗い。
目を凝らして中を見渡すと、部屋の隅っこに一匹の猫がいた。
その目や耳は、無残にも縫い付けられて片目は半分ほどしか開いていない。
怖いの前に、かわいそうという感情が先に出てしまった。
「ニャ……君は、昨日隣に来た彩雨かニャ……何か用かニャ?」
いつのまに名前知られたんだろうと頭の隅で思いながら、手に持っていた板チョコを差し出す。
でもよく考えたら、猫ってチョコレート食べられたっけ。
彼はちらりとチョコレートに目を向けたが、すぐにそっぽを向いてしまう。
「……同情ニャらいらないニャ」
「お腹空いたって聞こえたから、いや、嫌いなら無理しなくていいんだけど」
「……いただくニャ」
そっと私の手から受け取った。
バリバリと音を立てて食べていき、あっという間にチョコが小さくなっていく。よっぽどお腹空いていたんだな。
まさか銀紙まで食べるとは思わなかったけど……
「僕は、ネコゾンビっていうニャ」
「ネコゾンビ……彩雨です。よろしく」
一応自分も名乗っておいた。
「……彩雨,君に聞きたいことがあるニャ。君は、元いた現実の世界に返りたいかニャ?」
「え……うん、帰りたい……かな」
いきなりの質問に自分でも驚くほど曖昧に答えてしまった。まあ、あたりまえか。あんな場所、戻ったところで……あれ、どんな場所だったっけ。
なんとなくは覚えているのだが霧がかかったようではっきりしない。
昔見た映画の内容を一生懸命思い出すような、そんな感覚だ。
なぜか、ここに来てから記憶が曖昧になってきている気がする。
「僕は、ここに迷い込む人々に現実に帰ってほしいと思っているニャ。そして、そのための手伝いをしているニャ。だが……」
ネコゾンビが一瞬黙り込む。
「……その曖昧な答え……自分の感情すらよくわかっていないようだニャ。ここは人の心を癒す世界、グレゴリーハウス……ここにくる者は現実の記憶を少しづつ消してしまうのニャ」
ネコゾンビが言うには、ここに迷い込んだ人はたいていはホテルに溶け込んで、その一部となるらしい。
稀に現実に変える人もいるが、どうにもならない現実に再び絶望し、戻ってきてしまうのだ。
彼は、そんな人々をもう何人も見てきたという。
なら、自分の考えをはっきりさせないと私もその一人となってしまうのか。
「だから彩雨。現実に帰るために、まずは自分のことをもっと知る必要があるのニャ」
「そっか……わかったよネコゾンビ。自分というのは何者なのか、探してみるよ」
それが現実に帰ることに繋がるのなら、やってみる意味はあるだろう。
まさか、現実に変えるための助言をくれる人がいるとは思わなかった。ほんの少しだけ、何とかなりそうな気になる。
すぐには帰れないかもしれない。しばらくは、ここで生活していくことになるのだ。
「ヒントは、きっといたる所にあるのニャ。それを探し出すのニャ」
「うん、ありがとう。がんばってみる」
気合を入れて立ち上がり、部屋へ戻ろうとする。
「彩雨……」
「ん、何?」
「チョコレート……ありがとうニャ……」
「あはは、どういたしまして」
ここに来てから、初めて笑ったような気がした。