御本(長編)*宵待ち*
□二十二話《梅花と菊花が濡れる時》
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宵闇の港。
頭から目深にすっぽり被って
両の手をそれぞれ右左、袋の中で温(ヌク)ませながら
黒いコートの人影がひとつ
とある停泊艦にふらりのらりと寄りゆく。
『なんで、こんな時にそんなトラブル起きんのよ!!』
「おや奥さん、この艦…アナタのですか?あぁ…あの煙じゃ…エンジントラブルですか(苦笑)」
艦の甲板のライトは、都合…生憎、ついてなく。
『?あ、あんた誰よ?…港の人?』
目深のフードでわかりゃしない。
「ハハ…俺はこの港の舟守(フナモリ)でも漁師でもないですよ。まぁ…狩りはしますけどね」
厭に通る、胡散臭い青年の…男の声であるから…。
『?…アンタ何者?』
「…俺は……」
潮風が強くさらってくフード…
お蔭で…“角隠し”は最早……
「御用改め真選組だ」
是迄(コレマデ)。
『っ!!』
「鬼ごっこは…終いなんだよ」
『あれ…。真選組の鬼さんが…こんな所に何の御用かしら』
「だからその御用が“改め”に来たっつってんだろ。」
荒(スサ)ぶ風にロングコートの裾が振られる。
腰間の秋水(ヨウカンノシュウスイ*)がコートの内から外気にバレる。
「……なぁ。“恋敵”っつーのは、どの時代もどいつも…碌なモンじゃねーな」
『?……ハッ…そりゃ、“敵”だもの。マシじゃ困るじゃないの』
「ほぅ。因みにアンタの恋敵は……どう“マシ”じゃなかったんだ?」
『………そんなの“恋敵”なんだから決まってるじゃないか。…私の…私の愛しい人を奪っていったのよ』
さっきも見た、好かねぇ横顔。気取って…今はさも“女”の顔しやがる。
「………気の毒だったな。フッ─」
些細な灰煙が一本港に上がり、男が短く過(ヨギ)らせた。
悪鬼の剣幕が途端に乱れる。
『っ!!アンタに何が解るかいっ!!どうにも飛べない“虫同然”がッ…籠(カゴ)ん中でやっと蝶になってッ…それなのに誰も籠を開けちゃくれない!!必死で…気取って耐えて…待って…やっと…やっとあたしの籠を開けてくれそうな人を見つけたというのに…ッ!!別の…選りにも選って…隣のおんなじような籠の蝶が…労せず…労せず簡単に奪っていきやがったのさ!!』
「フー…。そりゃ…籠が悪かったんだろ」
『!!』
「アンタの籠と隣の籠は違ったんだ。見張る奴も違った。となりゃ、自分んとこで育てたモンに与えてぇモンも微妙にズレる。籠ん中の虫は…外から与えられなけりゃテメェで喰いたいモンも取れねぇだろ。隣の蝶も労せずそれを喰えたのは…与えられちまったからじゃねーのか?」
『ッ…けど、あの女はあの人と愛し合ってっ』
「ンなもん、籠ん中に居たんじゃその蝶も…そいつに喰ってかかってみなけりゃそれがテメェの好物に成るのかわかんねぇだろ。」
『し…知るかッ!!それでもアタシの好きな人を持って…まんまと籠を脱け出してった“敵”は“敵”さ!!追って見てりゃ、二人の間に大層可憐な華まで育てやがったじゃないかッ!!』
「…チッ!」
『蝶もその蝶の好物ももう交わりを離せないなら…その間の華を…せめてその大事な華一本でもッ「テメェ…」
宵の港湾に、
「それ以上口動かしたら………チャキ…」
ギラリと鈍く…制裁の鬼の牙が剥かれる気配。
今が一触即発の…時
『…ほんで?…アンタの碌でもない“恋敵”は、もうブタ箱かい?』
卑賤(ヒセン)な悪鬼が携える妖笑と短刀。
「ッ!!!!」
「止めろッ、トシッ!!」
「土方さんッ!!」
一踏みで
間合いを飛び込んでくるそれこそ鬼の形相。
悪鬼から見て、もう寸前の牙の切っ先越し…真に開かれた瞳孔が
『っひ…!!』
脅威に…。
されども…!