天台宗 無常山 浄発願寺 奥ノ院

浄発願寺は無常山一之澤院と称して天台宗弾誓派に属し、江戸時代慶長十三年尾張の国の人弾誓上人が開山した。
約五百メートル登った所に旧本堂跡、さらに約二百メートル登ると奥ノ院の岩窟がある。この岩窟は弾誓上人の修行の場所である。岩窟中央に弾誓上人の石像、(現在浄発願寺本堂内にご安置)左右には名古屋城城主、徳川網誠夫人の蛍珠院(中興の開墓で後奈良天皇の孫)の墓石や佐竹、藤堂氏などの大名の墓石もある。さらに織田、黒田、松平、大久保、有馬の諸大名も信仰していた寺である。
当時は木食修行の中心的存在で、昨今、木食修行上から注目を集めている。
開山は弾誓二世但唱、中興の空誉四世は特に有名な木食僧で幕末には木食五行上人も修行しており、弾誓派の本山として約四十名の僧が、常時修行していた。
当時は東京上野の寛永時学頭であった淩雲院の末寺として勢力を誇り、伊豆、相模、武蔵、信濃、佐渡の諸国に末寺十八を有した大寺であった。また駆け込み寺として有名で、放火、殺人以外の罪人が逃げ込めば助けられた。昭和十三年まであった五十三段と称する石段は罪人の罪ほろぼしのため作られたものである。(現在神奈川県並びに伊勢原市のご協力によって修復されました)その他に相模国の三大お十夜の一つとして有名で、遠近から多くの信者が集まった。この参道に、県指定文化財{美人画絵馬」(当市内子易神社蔵)の絵師、歌川国経の供養塔もある。(現在浄発願寺本堂前にご安置)
昭和十三年九月の台風で旧本堂は破壊され現在地より約一キロメートル下に移転した。寺宝には縁起三巻、県下に類を見ない雨乞い名号軸、(長さ十二米、巾一・九米、空誉上人筆)、阿弥三尊像、釈迦の仏頭、(出山の釈迦文佛。現在三重塔にご本尊としてご安置)子安地蔵等がある。

「伊勢原市教育委員会建立、案内板より引用しました」


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