STORY

□今は亡き王女のために
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ウチはおふくろを中心に回っていた。

あの頃は俺もまだ小さくて、よくおふくろに甘えて。
遊子や夏梨はもっと小さかったから、まだまだおふくろが必要で――。

でもそれを奪ったのは俺なんだ。




【今は亡き王女のために】




「またこの夢か・・・」


上体を起こして片膝を立てると、俺はそこに肘を掛けて頭をもたげた。
最近ではこの夢を見る回数も大分減って、夢の中でも『夢』なんだと認識できるようになった。

だけど別にこの罪が軽くなったとも、逃れられるようになったとも思っている訳じゃない。

寧ろ俺の目に届く存在を、できる限り、また俺のやり方で助けたいと強く思ったきっかけだから。


ヒトかヒトではないものか――。

当時は解らなくとも、俺の目の前には確かに存在していて。
彼等にも抱え切れない想いがあって佇んでいるということが、何となく伝わって来るから。

とにかく声を掛けて気にかけてやりたかったんだ。

だから、あの雨の川辺に立つ女の子に向かっても同じように駆けて行った。


まさかおふくろが、その所為で亡くなるなんて思わずに。

いや、本当の理由は少し違う…。



「黒崎くん・・大丈夫?…」

「あぁ、少し昔を思い出しただけだ…」

「そう。でも明日は元気な姿をおば様に見せに行こうね…」


おふくろの命日の墓参り。
今年は日曜日。


明日の朝は早く出発するけれど、いつもと違うのは井上がいるということ。

つき合っているとかいう関係ではないから、家族の墓参りに他人が一緒に行くなんて、かなり変な気分だけれど。

でも今は居てくれた事に安心する。

井上に宛がわれたのは妹達と同じ部屋だから、俺が魘されていたのを感じて入って来たのだろう。
ベットサイドに座り込んで、部屋を出ていく気配も無い。

…俺が落ち着くまでは傍に居ようという事か。



『黒崎くんのお母さんに逢いたい』という申し出から1ヶ月。

俺に沢山世話になってるしと言う井上に、迷惑掛けているのはこっちの方だぞと思い乍も、断る理由も見当たらなくて。

しかも井上が来る事を伝えたら、親父はピクニックするぞなんて普段の3倍のテンションを保持。
妹達も乗り気になって、夏梨に至っては井上が考えた、あの野ッカーなるものに挑戦すると言い出す始末で。

でもそんな家族を見ていたら、毎年落ち込んでしまう俺の気持ちも、今年は浮上するような気がしていた。


…なのに。


「なぁ、井上…今俺がおふくろにできる事って、何だと思う?」


普段の学生生活の中では、井上の前で何故か俺はカッコつけてしまう。
だからこんな答えが出ない質問をするような俺は、井上にとっても柄じゃないということくらい解っている。

だけど、聞いてみたいと思った。


…大事な家族を失ったという、同じ経験を持つ人の気持ちを。


床に座っていた井上が、ベットの上の俺の隣に座るのが解る。
起き上った瞬間から、顔は上げられないし、上げる気分にもなれない。


ただ目は開けてられた。


目を閉じてしまえば、真黒に塗られて境の見えない思考の淵を、歩んでしまいそうになるから。

だけど目の前に広がるシーツの海も、夜の海のように真っ黒な波が立っていて。
思わず吸い寄せられそうになる。

…海みたいなのに。

海みたいなのに、頭の中で繰り返しフラッシュバックされるんだ、あの雨で増水した川が。


…助けて、俺のおふくろを。
…助けて、助けて、この俺を。



「黒崎くん…」


黒い海に突然と現れた青白い橋が、俺の意識を浮上させた。

架けられた橋が、井上の月明かりに照らされた腕だということに、お腹の辺りで感じた温もりで気づいた。
続いて背中に感じる、目を閉じてしまいそうな安心感。

いつもの俺なら、照れて振りほどいてしまうだろうけれど、今はもう少しこのままで。

頼りない色で照らされる、頼りない細い腕だけれど、今の俺はもっとダメだから。

「お兄ちゃんはね、思い出してくれるだけでいいんだって言ってたんじゃないかな?
 お兄ちゃんの前で、黒崎くんの話ばかりするようになったら、寂しかったってあのとき言ってたもんね」


あのとき。
俺が死神になりたての頃の事。
井上の兄貴が虚になってしまって、それを俺が。

『兄貴は後から生まれて来る弟や妹を護る為に存在するんだ』

って、尸魂界へ送ってやった日の事。


「忘れられたって、感じちゃう事が切ないんだと思う。
 だから、おじ様みたいにその日だけたばこを吸うとか、そんな思い出し方でもいいんじゃないかな」


俺が誰かに傍に居て欲しいと願うときと、独りの時間を望むときの区別をしっかりとする井上。

何で普段より難しいと言われるこういう区別を、いとも簡単に彼女はやってのけるのか。


――だからね、おじ様に聞いたりして、おば様の好きだった曲とかを聴くのもいいと思うし…
――好きだった香水の香りを嗅いでみるとか、好きだった食べ物を食べてみるとかでもいいと思うの。
――おば様に限ったことじゃなくてね、他の魂魄にも、黒崎くんのやり方で助けてあげればいいんだと思うよ。


俺のやり方で、助ける。
あの日もそんな風に思っていた。

だけど罪に囚われ過ぎて。
思い出すのも少し辛くて。

死んでも償えないと思っていた。

でも、思い出すのを拒否していたばかりに。
大事な事まで封印していたような気がする。


ヒトを想うということ。


自分だけ幸せになろうなんて、と思っていたけれど。
この罪の重さと同じくらい抗えない、押し寄せてくるこの気持ち。

…井上が好きなんだ。

幸せがどんなものか知っている者だけが。
他人も幸せへと導いてくれる。
欲しい言葉を、欲しいときにくれる。

…だから、俺は井上に惹かれた。

おふくろが好きで、俺も幸せだったから。
あのときの俺も他人を幸せにできると思っていたんだ。

…でも少しだけ自慢したかった、自分が幸せだって事。

だけどそんな幼い気持ちの所為で、おふくろが命を落としたから、罪悪感が肥大して。
これ以上俺の大切な人が、俺の所為で危険な目に遭うのは、絶対に避けたいことだけれど。

…大切だと思う人ができることは、罪じゃない。

おふくろが親父を愛したから、俺はこの世に生まれたんだ。
おふくろが俺を大切だと思ったから、俺はあの日に護られた。

だからこうして、井上と二人でいられる日が存在する。


「あ、でも黒崎くんがもし、おじ様におば様の事が聞けないなら、あたしが代わりに聞くよ。
 だけどね、大切な人との間に生まれた、大切な子に、罪悪感を持たせているなら…」


忘れてくれても構わないとも、思っていると思うなんて。
少し俺が落ち着いた事に気付いて、井上は冗談っぽく言うけれど。

…ほらな、答えは出ないだろ?

だけど、俺の性格を妙に言い当てているのが気になって、何となく嬉しく思う。
純粋な喜びと、もしかしたらという期待と。


「井上…オマエ、今腹減ってるんだろ?…好きだった食べ物って…」


少しだけ面白くなって鼻で笑った俺に、いい事を言ったつもりなのにと腰に回されていた腕が俺の腹を叩く。
だけど、忘れてくれてと続けた言葉は本当だよなんて。


「もし大好きな黒崎くんとの間に、子供が産まれたら、やっぱりあたしもそう思うと思うから」


やっぱり期待していた通りの言葉を、欲しいときにくれる井上は俺の大切な人。
背中越しだから、顔が見えないとか思って安心しているのだと思うけれど。

…心臓はかなり速く動いてるぞ。

でも急に照れたのか、『おひゃしゅみなさい』と離れて行こうとするから。
回された腕をしっかり掴んで。


「おやすみなさいか…別にココで寝ればいいじゃん」


柄にもなく、するりと出てきた言葉は、後から後から勢いに乗って。


「お腹空いてんのは、明日まで我慢な。おふくろにお前を紹介したら、パーティでもしようぜ。
 家族として、おいしいもんをたらふく食わしてやるからよ」

「…あたしで、いいの?」

「イんだよ。俺がそう言ってるんだから。それとも『好きだ』ってちゃんと言わなきゃだめか?」

「…アタシ、ホントはおば様お義母さんって呼んでみたかった…」


どんな顔をしているのか、見てみたい気もするけれど。
俺の顔もかなり熱くてゆで上がりそうだから。
向き直っても井上の顔は見ずに、彼女の頭を一撫ですると俺の胸に押しつけた。

一日のうちにいくつもの幸せを感じてしまうのは、勿体ない事この上ない。
でも、俺が幸せなら、妹達にももっと気楽に墓参りに行って貰えそうだから。
井上を抱きしめ乍横になって、やっと落ち着いて目を閉じた。

ウチのという小さな世界の実権を握っていた、今は亡き王女のために。

捧げる曲は。

好きだった曲じゃなくて。


男が愛しいヒトに贈るという曲。


俺がこれから、新たな王女に奏でていく。


――セレナーデ。


End


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