短編小説

□その人は私を人として見てくれる・狂愛
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 男はその組織に入ってまだ日が浅く、最近周囲の者たちが囁くある名前には大して興味はなかった。
 けれど、新参者の自分に突然上の人間からとある命令を下された時、何故自分がという胸から込み上がる疑問を舌で舐めながらも了承の意を口にするしかできなかった。
 男の堅実な態度に命令を下した人間は満足そうに頷き踵を返す。その姿を見送ってから男は指示された部屋へと足を向ける。
 此処は自らが身を置く組織――鬼兵隊が隠れ家にしている宿の一つである。此処に我らが鬼兵隊の総督、高杉晋助も身を置いている。その宿にまだ下っ端である自分が総督と一つ屋根の下で過ごせると聞かされた時には小躍りをしてしまう程嬉しかった。
 そんな総督からの命令でもあるとある男の世話に、命令を下された男の疑問も今では胸を張れる程の誇りに変わる気分だ。
 そんな熱くなる気持ちを胸に秘めながら男は指定された部屋への道順を順調に歩く。
 それにしても妙だなと男は思う。話に聞いた所によるとある男を捕らえたからその者の世話をしろとの命令。ただの捕虜かそれとも幕府の重鎮を捕らえたにしては組織の中がやけに騒がしい。後者の重鎮ならば今までにも何度も攫った事はある。それで騒ぐのはやはり可笑しい。
 それに組織の者達が噂していたのは人の名前とは違った名だった。それこそ昔親から聞かされた昔話で語られる時に出るような不思議な名前。その名を歩きながら何となく思い出してみる。あれは確か“白”が頭に付いた名だ。
 しかし、そこから先を思い出す前に男の足は目的の部屋の前に着いていた。男はそこで思考を一時中断し、施錠も檻もないただの客間にある襖の引手に手を掛けた。その部屋の状態にもまた一つ疑問が生まれる。

「失礼します」

 声を掛けてから襖を引いて中へと入る。中からは人の気配が襖越しでも分かっていた。その人物に目を向ける前に一度頭を下げる。その理由は捕らえた人物は総督のお気に入りだと聞いたからだ。ならばそれ相応の礼は振舞わなければならないと判断をしたまで。
 そして暫く額を畳に擦り付けていたが、反応がない事に些か疑問が湧いたが男は頭を上げた。

「今日から貴方の世話をする者です。名は……っ」

 男が軽い挨拶をしてから名を紡ごうとしたその刹那、身体に電流が走ったような感覚と共に身を硬直させた。
 広すぎない部屋の間取りの奥に大きめの窓がある。冬なのにその障子を全開に開け放ち、その前に黄昏るようにして寒々しい空を眺める男がいた。左手はギブスで固定され、外から入り込む風に銀髪を柔らかそうに揺らすその姿を目にした途端、男の中で先程までの広がっていた疑問が一気に晴れた。
 先に巡らせた男の名を、“白夜叉”と言う。
 そんな白夜叉と呼ばれている男の容姿を見た瞬間、目が離せないその光景に心奪われた。
 先も言った通り、白銀の髪が太陽の陽光に照らされ美しくきらきらと宝石のように輝く姿。白い肌はまるで何も踏み荒らされていない雪原をそのまま肌に敷いたようだ。その中で雪兎のような赤い目玉が男の顔にはめ込まれたようだと思った。
 白い男の人離れした妖艶な姿に男の両の瞳はその一瞬で囚われてしまった。

「……何だよ」

 白い男――白夜叉の赤い口唇が小さく動く。横目で男を見据えるその姿にゾクリと鳥肌が立った。

「す、すみません……」

 男の不躾な視線を不快に思ったと取った男は直様謝罪の言葉を紡ぐ。その言葉に白夜叉は特に非難めいた言葉の追従も掛けずに視線を外へ戻した。一時の白夜叉の冷たい視線が男の心臓をナイフで突きつける感覚から逃れた事に、男は安堵したように息を吐いた。
 白夜叉と同じ部屋にいながらも二人の纏う温度差の違いに男の胸に疑問が溜まる。総督のお気に入りと呼ばれているこの男はどうして浮かない顔をしているのだろう。総督の目に留まればきっと自分が思う以上の寵愛と生活が送れるのに。
 男が小さく首を捻らせる中、白夜叉は先程発した低い声以降言葉を発しない。それよりも先程から感じていた白夜叉の生気の儚さは異常だ。色白の肌は死人のように青白い。先程思った綺麗だという感情を全て覆す程の白夜叉の儚さ。まるで姿の見える幽霊を見ているようだ。

「……あの、そろそろ昼です。食事をお持ちします」

 窓辺でずっと座りながら外を眺める白夜叉との無言のやり取りにそろそろ息苦しさを感じた男は話題作りの為に昼餉の話を振る。それでも白夜叉の表情を眉一つ動かなかった。痩せた体躯はそのまま放置をすればやせ衰えてしまうのではないかという危惧も過る。
 白夜叉の返事を待たずに男は一度部屋を出る。厨房へと向かい昼餉の乗った膳を手にしながら再び白夜叉の待つ部屋へと向かう。
男の心の中には何故か白夜叉に対する妙な感情が芽生えていた。それに彼は気付いていた。その感情が相手の様子を心配する思いと同じだという事を。
 男はその感情にふと自嘲めいた笑みを浮かべた。自分にまだ人を思いやる心があったのか。鬼兵隊に入り、下っ端ながらも人には言えない酷い事を散々してきたこの自分が。それもこれも白夜叉という不思議な空気を纏う男に感化された結果なのだろうか。
 男は部屋の前へ着くと膳を一度置き、再び襖を引く。白夜叉は未だ外の風景をぼんやりと眺めたままだ。先程と変わらぬ光景に男の胸がチクリと針で刺された痛みを生む。

「食事です」

 短く告げて膳を白夜叉の前に差し出す。白夜叉はチラリと一瞬視線を膳に向けるが、興味がなさそうに再び視線を戻す。
 男は困ったように眉を寄せ、膳へ向けていた視線を白夜叉に向けた。

「食べてください。貴方が食べないと私が叱られます」

 自分の言葉使いは元々丁寧な方だと昔から言われてきた。なので、今も穏やかに諭したつもりだが白夜叉の態度は変わらないまま。思わず眉間に皺が刻まれる。

「食べてください」

 今度は少々語気を強めて言い放つ。
 白夜叉は男の言葉に漸く顔を此方に向けた。一度男の顔色を伺うように見やってから膳に添えられた箸に指を置く。ゆっくりとした動作で茶碗を持ちながら白米を喉に流し込む姿に男は安堵して息を吐いた。
食べ終わるのを待っていると白夜叉が膳に視線を落としながらポツリと言葉を紡ぎ出した。

「俺の為じゃねえかえから」
「え?」

 それは小さくてもよく耳に通る声だった。自分の為じゃないとはどういう意味だ。男は白夜叉が咀嚼する姿を目に映しながら脳内で思考を巡らせた。
 そして弾き出された答えに一瞬息を呑んだ。
 恐らく白夜叉は男に言われたが為に食事に手を付けた。もし、男が何も言わなければそのまま食事を取らなかっただろう。自分を考えないその思考に男は一瞬狼狽えたのだ。

「何?」

 男の戸惑った視線に白夜叉は眉根を寄せた。ジッと此方を見るその視線に男はハッとして首を横に振った。

「いえ……貴方は何故そんなに暗い顔をしているのかと思って」

 男は胸の内を悟られないように話題を変えた。
 白夜叉はその真意に気付いた様子もなく、男の問いに視線を男から外す。その濁ったガラス玉のように何も映さないその瞳は何処を見ているのか。そんな事すらも男には分からなかった。

「……てめえには関係ねえよ」
「……すみません」
「何でてめえが謝るんだ」

 男が発した謝罪に白夜叉は訝しい目で男を見下ろした。年若い白夜叉の髪は老人のように真っ白だが、その異彩を放つ髪色に思わず見入ってしまう。何故この青年が“白夜叉”と呼ばれるのかが分かった気がした。
 白夜叉の言葉を最後に再び沈黙が降りる室内。茶碗に箸が当たる陶器の音と咀嚼音だけがこの静かすぎる室内に音をもたらす。
 その音も箸を箸置きに置く音と共に終わりを迎える。
 食事を平らげた白夜叉は再び窓枠に右手を置き外に視線を戻した。それだけで自分とはもう会話を交わす気がないという意思表示が見て分かる。
 男は膳を持って部屋を後にしようと思った。部屋を出る刹那、突然男に「おい」と声を掛けられ思わず男は弾かれたように顔を上げて窓の方に目を向けた。
 白夜叉が横目で此方を見やる姿に男が返事を返す。白夜叉は何か言いにくそうに口を開閉させながら間を置く。やがて口にした言葉に男は首を傾げた。

「彼奴は……無事か?」
「……彼奴……とは?」

 突然彼奴と言われた者の言葉に男は素直な疑問を返した。白夜叉はその反応にふいと目を逸らし、残念そうな言葉を洩らす。

「知らないならいい」

 男はもう一度首を横に傾げた。彼奴とは誰の事だろうか。
白夜叉の言葉の意味に謎が残りながらも男は引手から離した手をもう一度当てて襖を引く。部屋を静かに出て廊下を歩きながら思うのは白夜叉の事。愛想のない男ではあったが第一印象としては綺麗な男だと思った。綺麗さを漂わせながらもその反面で思うのは儚さを持つ中で滲ませる危うさだった。
その今にも雪のように溶けてしまう危うさが男の思考を掴んで離さなかった。
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