短編小説

□これからもずっと
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 それはとても懐かしく、目覚めるには勿体無いと思える程の幸せな夢だった。
 意識が朧げに覚醒を始め、室内の冷え切った寒さを一時忘れさせる程の眠気から目覚めた銀時は、薄暗い室内の雰囲気に一瞬時を忘れた錯覚に陥った。軽い混乱が脳内を埋め尽くし、数度瞬きをその場で繰り返した後で漸く此処が何処で今が何時なのかを理解した。

「……眠ぃ」

 此処は万事屋で自分は和室の炬燵で居眠りをしていた。その現状を理解するだけで数分の時を要する程銀時は昔の夢に囚われていたのだろうか。あの懐かしく幸福を感じさせる夢など何時ぶりだろうか。お世辞にも自分の過去は人に自慢できる程自慢に満ちたものではないが、それでもその過ぎ去った過去の情景を思い起こせば笑顔を浮かべる事もある。
 そんな過去を映した映画のフィルムのような映像を今の泡沫の眠りの中で見たのは、大晦日を迎えた今日の時に過去の事を振り返れという意味なのかも知れない。
 そうだ。過去があるから今がある。今の幸福な時間を送れるのも過去で共に時を生きた人達のお陰でもある。その人達の顔を夢の中で思い出せたのは感謝の心を忘れるなという無意識の意思の表れかもしれない。
 銀時は身体を炬燵から這い出して窓の外を眺めた。厚い灰色の雲が何層にも空を覆い尽くした為、天上の落日の光は筋一本降り注ぐ事は叶わなかった。光明の代わりに今にも雲の合間から舞い落ちるだろう雪の粒を想像して、少し熱炬燵の熱さで汗ばんだ銀時の身体は軽い身震いを起こす。
 いつもの日常。いつもの光景。ただ此処には常にいる筈である銀時以外の存在と熱がなかった。今この瞬間に消失した熱と影。そんなものに寂しさを感じる程の年でもないと銀時は思いながら傍らに転がった上着を肩に掛けた。
 こうして一人で万事屋にいる事はよくあるし、一抹の寂しさが欠片もないと言えば嘘にはなるが、ちゃんと時間になれば待たなくても待ち人はやって来る。
 羽織った上着を片手で正す間に遠くの方で玄関の引き戸を開く音が鳴る。
 ほら、もう帰ってきた。時間通りに万事屋に帰ろうとする影が往来を駆ける姿を想像しながら立ち上がる。出迎えをする為に玄関へ足を進める銀時。ゆったりと歩くその振る舞いに玄関先の人物は早く来ないのかと焦れるかもしれない。それを楽しむのも銀時の中で忘れ去られる事のないS心なのだ。今更それを止める事などできるわけもない。
 それでも銀時は緩慢な足取りでたどり着いた先の人物に穏やかな微笑みを浮かべながら出迎えた。

「おかえり」

 静かな声音で穏やかに掛けた出迎えの言葉に目の前の男も同じように微笑んだ。

「ただいま、銀時」

 漆黒の隊服と同じ黒のロングコートを羽織りながら玄関に立ち尽くす人物は昔より少し男の持つ渋さが上がった気がする。この無駄に整い色気を持つ顔で迫られればそこかしこの女など一発で落ちるだろう。
 だがそれをこの男が振りまく前に自分が落とされたという事は銀時と男を取り巻く関係者のみぞ知る事実。敢えて他人に公表しようなどという考えは、この男の部下のドS
王子だけであろう。それすらも男が必死に青年に口止めという名の職権乱用で止めさせた。
 銀時は外の寒さで鼻を椿のように赤く染める男を見て、また一つ笑みを浮かべた。

「年の瀬までお仕事お疲れさん。土方」

 銀時の労いの言葉に男――土方は疲れを滲ませた顔だがとても嬉しそうに笑った。

「ありがとな。またこうやって大晦日にお前と二人で過ごせるなら仕事なんて幾らでもしてやるさ」
「こらこら。あんまり働き詰めだといつかぶっ倒れるぞ? てめえももうそんなに若くねえんだからよ」

 笑顔でそう諭す銀時。それに土方は終始笑顔を浮かべたまま銀時との会話を楽しそうに繰り返した。

「ま、早く入れよ。身体冷え切ってるだろ?」
「ああ。早く熱い風呂にでも入って温まりてえ」
「分ぁったよ、土方。じゃあ俺準備してくるから、先に和室に行っててくれよ」

 靴を脱ぎ始める土方を見届けてから銀時は風呂場へ行こうとして背中を向けた。足を踏み出そうとした刹那に触れた背中の温もりには然程驚く事もなく、その回された腕を大人しく受け止めた。

「……二人きりの時は名前で呼ぶって約束しただろ?」
「んな事知ってるよ。ちょっと土方くんの反応を見たかっただけ」

 揶揄うように笑う銀時の身体に回された腕に力が篭る。背後から抱擁をする土方の顎が銀時の肩に置かれた。首筋に優しく触れる土方の頬と髪。その微弱で擽るような接触は銀時の身体を熱くさせるのに事足りるのだった。

「名前」

首筋に熱く降りかかる土方の吐息に銀時は擽ったそうに首を捩った。土方の拘束から抜け出す気など元からないが、それでも反射的に身を捩る。その姿に土方が気付き追い打ちとばかりに首筋に音を立てて口付けを落とした。

「ん……ったく、どんだけ呼んでほしいんだよ……っ」

 銀時の言葉に土方は覗かせた赤い舌を白い項に這わせた。ゆっくりと唾液が肌を伝い流れ落ちる様を敏感に感じながら銀時は観念した様子で張り詰めた息を吐いた。

「……十四郎」

 顔を身体ごと土方に向けて吐息が触れ合う程の至近距離で囁いた。下の名前で呼び始めてからどれだけ経っただろうか。もう長い間二人は互いを名前で呼び合っている。例え身体が離れていても、それを埋めるぐらい心の距離はとても近くにある。その証拠として二人は万事屋で過ごし始めてから名前で呼び合うようになったのだ。
 土方は銀時の熱で潤んだ赤い瞳を覗き込みながら満足そうに微笑んだ。

「可愛いな、銀時」
「不貞腐れるお前もすげー可愛い」
「名前」
「はいはい、十四郎」

 呆れた様子で笑いながら名を呼べば、その紡がれた口唇を塞ぐ土方。柔らかい肉厚が音を立てて触れ合う。互いに絡まる舌を通して唾液が相手の喉に注がれる。その無味の味すらも美味とばかりに銀時は口内で存分に味わった。
 グッと腰に巻きつけた帯を引かれる感覚に銀時は束の間の甘美な時から現実に戻る。土方の手が銀時の帯を解こうとするのに気付いて、銀時は片手を振り上げ土方の頭部に軽く手刀を打ち込んだ。

「いって……」
「それはまた後で。今は風呂に入るのが先」

有無をいわせない動作で銀時は土方の腕から抜け出すと颯爽と浴室へ向かった。背後で土方が不服そうに眉を寄せている顔が容易に想像つく。銀時は浴室の扉を開きながら土方に振り返ると面白そうに目尻を緩めた。

「ほんっと可愛いなあ、十四郎は。揶揄いがいがある」

 悪戯小僧のようにニヤリと笑みを深めれば顔を真っ赤に染めて怒ったように土方が叫ぶ。それを華麗に無視して銀時は風呂の準備をする為浴室の扉を閉めたのだった。その室内で楽しそうに声を押し殺して笑う銀時の姿を土方は知らないだろう。
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