短編小説
□土+高VS銀(の直前)
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地面に激しく打ち付けた体が痛みに戦慄く。その震えには少なからずの恐怖も混在していた。
新八は今し方起きた出来事についての理解が十二分に追いつかないまま、立ち尽くす仲間たちの足元で力の抜けた体を地面に居竦まっていた。立ち上がろうという意識はあるものの、目前に広がった目を疑う光景に驚き腰を抜かしてしまったのが現状だ。
傍らに呆然と立ち尽くしたままの神楽も青ざめた表情で動揺に揺れる青い瞳を眼前に立ち尽くす人物に凝視したままだ。
今のこの状況に対して信じられないという本音が溢れるのは自分も同じだ。ぬるりと濡れた感覚が覆う喉元に思わず手を当てた。喫驚したショックから徐々に思考が戻り始めれば、思い出したようにジクジクと熱に焼かれたような痛みが首全体に広がり始めた。
それは一瞬の出来事で始まった。
新八の目にはその技が映ることはなかった。あまりの早業に体を突き飛ばされなければ首を跳ね飛ばされていたことにさえ気付かないまま絶命していただろう。
新八を含めた誰もが突然振るわれた凶刃に対し反応をすることができなかった。瞬きをする暇さえなかった新八の思考が完全に停止し、銀色の刀身が狙いを見誤ることなく新八の首に届く間がまるでビデオのスローモーションのように長く感じられた。
新八自身、横一閃に振るわれた刃が段々と首筋に迫ることの意味の認識さえ朧げであった。
命を狩られる刹那、静止する世界の中で金色の蝶が舞った。
視界に飛び込んできた蝶に目を奪われた次の瞬間には体を地面に激しくぶつけていた。後に新八は自分は首をはねられ殺される寸前だったことを理解する。そして自分を斬りつけた男との間に割り込んだまま仁王立ちする男を呆然と仰ぎ見た。
真っ直ぐ伸びた黒髪に溶け込む艶のある紫紺。かつてこの男と出会ったときは一際目立つ白い包帯で左目を覆い隠す出立ちであった。
だが今の彼は以前の派手な着物はそのままで、頭に巻きつけていたはずの包帯は綺麗に取り払われていた。男が常に隠すように巻かれた包帯の下にある左目は瞼に閉ざされ眼球そのものを見ることは叶わないままだ。
だがそれよりも一際目を引いたのは常に染み出していたあの狂気に満ちた笑みは消え失せ、どこか付き物が落ちた顔で静かに男――銀時を睨み据えたのだ。
「気に入らねえなァ」
隻眼の鬼が鼓膜によく響く低声で忌々しげに吐き捨てた。
一体何に対してここまでの怒りを見せているのかを新八は理解できなかった。かつての盟友である銀時の変わり果ててしまった姿に幻滅したのか。それとも何か彼にとって気に食わないことがあるのかもしれない。
「俺は今のテメエを見ていると、無性に腹が立つ」
元来から低いはずの声の音調を更に落としながら男は明白な憤りを顕にした。
黒髪の男に庇われる状態でまじまじと彼の背中を見上げる新八はあまりの怒気に気圧され体が後退りしてしまう。
斬りかかった刃を弾かれた銀時は表情を変えないまま大きく後方に飛びのいた後、そのまま男と距離を取った。
背中越しから男の様子を伺えばきっとその目は銀時に向けられたままなのだろう。背中をこちらに向けたまま微動だにしない男は銀時と相対する。背後からでは表情を読み取れない新八には口数の少ない彼が何を考えているのかは分からない。
銀時のかつてを知り、血風舞う死闘を演じた彼にしかその怒りの理由は分からない。けれど新八にとっても彼――高杉晋助の思いには賛同だった。
洛陽で仮面の男――虚に拉致され行方が分からなくなった末に再会を果たした銀時。彼の今の姿には堪えることのできない激憤が胸中で煮えたぎっていた。
新八は銀時のどこまで透き通り赤く輝くビー玉のような瞳が好きだった。それは仲間を守ろうとした瞬間に火が付いたように瞬く間に燃え上がる烈火の瞳にも変わる。銀時を中心に舞い散る火の粉が自身にも燃え移り、炎は忽ち轟々と闘志に変わり燃え上がっていく。不思議と強くなれた気がするのだ。
それなのに。
新八は体を僅かに横にずらし高杉の脇から銀時に目を向けた。
視線の先でふらりと体を不安定に揺らしながら立ち尽くす銀時はまるで幽鬼のようだ。大好きな赤の双眼はまるで生気を失った死人のようにどんよりと暗い。だらりと腕を垂らし今にも崩れ落ちそうになるほど力の抜けた銀時にかつての面影はまったくない。それなのに新八に剣を振るったときの動作だけは俊敏で正確な太刀筋だった。
こんな姿の銀時は銀時ではない。銀時の確固な意思と刀のように真っ直ぐな魂はあの虚という男に無情にも奪われてしまった。その事実だけは決して許せるものではなかった。
地面の砂粒を巻き込んで固く握った拳がぶるぶると震えた。それは姿を見せない虚への爆発するほどの怒りだ。
かつて神楽を追って地球を発つ前に信女から聞いた銀時たちと虚との関係。虚の中にかつて銀時たちが師事した恩師の意識があるかどうかは新八に皆目分からない。何故なら自分は銀時の恩師を知らない。けれど虚の身が恩師の身であることは理解した。虚の中に銀時たちの恩師の意識が存在しなくても、それでも師の屍を利用し銀時をこんな惨たらしい姿にさせたことが許せない。
そんなこと、決して行っていいことではない。それでは銀時があまりにも可哀想だ。
新八の怒りに呼応したのか。高杉の背中から目に見えない陽炎のようなものが染み出し大気を揺るがせた。それは気味が悪いほど静かでいてその反面で気圧されるほど孕ませた怒気が更に増大したものだった。向けられる怒りの矛先が自分でなくても、傍にいるだけで声が出なくなるほどに畏縮してしまう。
「情けねえなァ……銀時」
紺の腰帯に挿した一刀に手を伸ばしながら高杉は嘆息を漏らした。反応を返さない銀時にチッと舌打ちをすると刀の柄を握りヒュンッっと空を切りながら刀身を抜いた。
「た、高杉さん?」
新八は驚きと困惑に顔を歪めながら高杉を仰いだ。
高杉は背後の新八の呼びかけに気に留めるでもなく、正面の銀時を見据えたまま切っ先を下に向けて無造作に構えた。
新八の傍らに同じように佇む桂や坂本でさえもこの状況に対して二の足を踏んでいる。
それなのに高杉だけは即断即決というべきか。既に抜刀をしているではないか。
まさか本気で銀時を斬るつもりなのか。そんなこと、できるわけがない。
新八の心配を他所に高杉は刀を握った右手を捻る。銀色の鉄が此見よがしにガチャリと重々しく鳴った。
それを見た新八の顔色からサァ、と血の気が失せていく。
「高杉さん? まさか、銀さんと戦う気ですか?」
「それ以外何がある」
恐る恐る訊いた質問をいとも容易く斬り捨てる冷徹な声。
その答えに新八だけでなく近くに立つ桂からも焦燥を含んだ制止の声が高杉を呼ぶ。
「血迷ったか高杉! 今の銀時は俺たちを敵だと思っているのだぞ。まともに戦えばお前とてただでは済まない!」
桂の切羽詰まった声を耳朶で拾いながら新八の脳裏で蘇るあの日のこと。猿飛と全蔵の故郷である忍の里で高杉と戦いを果たした銀時の姿は目を伏せたくなるほど惨たらしい姿であった。ほぼ虫の息状態の銀時が怪我の完治までに暫くの時を要したのだ。その戦った相手である高杉とまた戦えば高杉は勿論、銀時だって決して無傷では済まないはずだ。
「高杉さん……!」
新八は縋る目で蝶柄の目立つ着流しを纏った背中に訴えかけた。
戦って欲しくないという懇願を込めた視線を受け止める高杉が肩越しで振り返る。切れ長の隻眼が新八を見下ろす。濁りの失せた緑青が大愚を見る目つきで細められた。
「戦いたくなきゃ戦わなければいい。だが、ここで戦わければどっちみち全員くたばるだろうよ」
嘲る口調で突きつける現実。
新八はその答えに反論することができずに押し黙ってしまう。確かにこちらに戦闘の意思はなくても銀時は既に新八を殺しかけている。あのときの恐怖を思い出すと素肌に怖気が走った。