短編小説

□微睡で響く、虚実の声
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 焼けるような熱さに寝苦しさを覚えた。それと同時に銀時の意識は突如浮上した。

意識の覚醒に伴い重い瞼をなんとか持ち上げればそこは瞼を閉じた世界と変わらない暗闇が広がっていた。視界を墨で塗りつぶした世界の中心で、銀時は自身の体が何かの上に寝かされていることに気付き眉を寄せた。指先で軽くなぞればそれは慣れ親しんだ敷布の感触。肌触りの心地よいその敷布は銀時が万年床に使っている安い煎餅布団などよりも上等な代物だということが分かる。そのことに些か疑問が脳内を過ぎった。自分は恐らく囚われの身なのだろう。ここが牢獄ならばこんな上等なものの上に寝かされるのはおかしい。

ならば一体ここはどこだ。

 視界が徐々に暗闇に慣れ、室内の造りが朧げだが視認することが出来始めた。銀時は室内を散策しようと上半身を起こそうとしたが、それが叶うことはなかった。

 体が動かない。それは拘束具によるものではない。上半身を起こそうと右腕を僅かにずらしただけで全身に激しい痛みが広がったのだ。敏感に痛覚を拾い上げる身体の反応に銀時は自身が怪我を負っていたことに遅れながら気付いた。


「――クソッ……体痛てぇー……」


 カラカラに乾いた喉から自身の不遇を零せたことに些か安堵した。身体は動かない。もし声も出なければ満足に銀時を拉致した人物と対峙することはできないだろう。

 だが声を出せるからといって相手と交渉など端からできるかは微妙なところだ。そもそも相手は銀時を拉致するつもりでここに連れてきた。ならば最初から和解で銀時を解放するなど無理に等しい。


「つーか、一体ここはどこだよ……」


 疲労が蓄積された力のない声を吐き出しながら銀時はなんとか顔だけを動かし周囲に目を配った。だいぶ目が慣れたといってもやはり暗闇には変わりない。いくら銀時が攘夷戦争時代に夜目がきいたからといってもこの場所自体が自分の知らないところなのだから見えても迂闊には動けない。

ただ視界をぐるりと見回したことから分かるに、無機質な壁と殺風景な部屋の造りで銀時の左手奥に続く間に物が置かれていないことを考えると、そこの先が出入り口なのではと予想できる。そして微かに銀時の背中に伝わるゴウンゴウンと地鳴りのように響く音は恐らく船のエンジン音。ということを考えるとここはどこかの船の一室であるということが理解る。


「……早く、ここから逃げねーと……」


 銀時が最後に意識を失う直前。

その時見た仲間たちの絶望に色を失った顔が今も眼前で在り在りと見える。満身創痍で意識が朦朧とする中で必死に自分のもとへと駆け寄ろうとする仲間たちの顔までも目に焼き付いて離れない。伸ばされた手に流血し力の抜けた腕では伸ばすことはおろか、持ち上げることもできなかった。自分を助けようと必死だった仲間たちの手を掴めなかったことが酷く申し訳なく思えてしまう。

いや、あれは掴むべきではなかったのかもしれない。あのまま仲間たちに助けられれば銀時を攫った男は仲間たちに再び刃を向けていただろう。そもそも今も彼らが無事でいるかどうかも分からないが。

 物思いにふけたまま天井を眺めていた銀時はゆっくりと瞬きを繰り返した。

 そういえば、桂や坂本の間に混じって高杉の姿もあった。いつもの派手な着流しではなく地味な着流しを纏い、包帯も身に付けていなかった。昏睡状態だった男だ。きっと身なりを整える間もないまま駆けつけたのだろう。……駆けつけた? 誰のために?


「まさか、な」


 銀時は自身が立てた憶測を打ち消すように小さく失笑を漏らした。呆れてしまう。あの男が自分のために駆けつけに来るわけがない。逆にきっと首を掻き切る気で来たのだろう。


「……」


 けれど、あんなに必死な表情を見たのはいつぶりだろうか。それを自分に向けられたことに対しての驚きと戸惑いが今になって胸をカッと熱く締め付けてきた。


「……ないない。ていうかなんで顔が熱くなるんだよ。乙女かっつーの」


 三十路を前にしておっさんに片足を突っ込んだ男のする反応ではない。部屋が暗くて良かった。自分の真っ赤に染まった顔など見えてしまえばお笑いものだ。今は兎に角ここから早急な脱出を優先するべきだ。

 頭を左右に何度か振りながら銀時は思考を現実に引き戻した。

 銀時を拉致した男。恩師と同じ顔を持ちながらまるで別人の存在であり、この世で一番危険な男である虚だ。銀時が気絶させられる寸前まで銀時を嬲り痛めつけ、駆けつけた仲間たちの前で攫っていくという暴挙。

銀時とてただでやられるつもりはなかった。他人の心を読むと言う馬董という男との戦いのあと。先を行かせた新八たちを追いかけ街中を駆けた先で待ち構えていたかのように虚と再会をしてしまった。馬董との戦闘で傷を負っていた銀時は刀を抜いた虚の前で次第に窮地に追い詰められてしまった。

 だがそれは果たして肉体的、或いは単なる力量差云々に左右された勝敗ではなかった。実際に黒縄島で初めて剣を交えたとき。松陽の剣筋を知っていたこともあるが、虚の仮面が砕ける寸前までは互角に近い戦いであったのだ。銀時が洛陽で敗北した勝敗の起因は恐らく精神面によるものだ。

 銀時の中で未だに松陽の肉体を持つ虚と戦うことへの迷いがある。松陽と虚を完全な別の存在だと割り切れないでいたのだ。その迷いが銀時の太刀筋にもそのままに影響され、敗北の決め手となった。

 暗澹とした天井を眺めていれば、そこに目尻を和らげ微笑む松陽が現れた。幻覚だと分かりきったその顔に虚の顔が重なった。

違う。あれは松陽じゃない。松陽とは違う別の何かだ。

そう言い聞かせているのに。

 苦しい胸の圧迫感から解放されようと深くため息をついた。何度息を吐きだそうとも、胸の中に鉛が詰まったような苦しさが消えることはない。

 虚の行動を見ているとまるで銀時自身の行動を否定されている気がしてならなかった。虚のかつてが松陽。その松陽との約束を信念に、果ては自身の魂へ変えて生きてきた。

仲間を守る。松陽の大切なものを守る。そのために戦ってきたのに。それを虚という存在で全て否定された。銀時の中の魂が振り子のように激しく揺らいでいく。その約束を拠り所にしていた心までもが危うい状態でなんとか均衡を保っているのだ。

 掛け布団を退きながら思わず左手で顔を覆った。手のひらの下では苦渋で顔が醜く歪んでいるだろう。どうしようもない感情を押し殺すように奥歯をギリリと噛み締めた。

正直、自分はどうすればいいのか分からない。出口の見えない迷路へと放り込まれた気分だ。今は松陽の顔を持つあの男に会いたくなかった。

 しかし銀時の悲痛な懇願は短いスライド音と共に突如射し込んだ光によっていとも容易く打ち砕かれた。

目が眩むほどの白い光の先に咄嗟に目を向ける。突然の光に瞼の裏に鈍い痛みが走る。薄く瞼を細めながら送った視線の先には光の中心に黒い大きな影が壁のように立っていた。
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