短編小説

□素直じゃない二人
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「……ッ、いつまで引っ付いてるんだよ!」

元はといえば銀時が先に高杉の胸板に頭から突っ込んだという事実を金具り捨てて高杉を突き飛ばした。女の力では最大限力を込めても体を反らせるまでに留まる。
顔が焼けるように熱い。それを悟られないようにフイと高杉とは正反対の方に顔を向ける。それでも後ろ髪から覗く耳は真っ赤なのだから、高杉が隠す事もなく声を低くして笑った。それは死ぬほど腹が立つ。

(なんでっ、高杉如きにこんなにもドキドキしなきゃならねえんだよ!)

口を着物の袖で覆い尚己の羞恥に熱くなる顔を隠したかった。胸の内で鳴る痛いぐらいの心臓の鼓動がいつまで経っても収まらない事に焦燥が高まる。一体自分はどうしてしまったというのだ。

「銀時」

背後で名を呼ばれ銀時は振り返るのに躊躇があったが、つい条件反射で首だけを向けた。極力赤く染まる頬を見られないように気を配るが、結局の所意味はない。
振り向いた先の高杉の顔は面白い事でも思いついたように嬉々とした表情だった。それに一抹の不安がチクチクと無数の針で刺されたように銀時の警戒心に刺激する。

「交換条件だ」

何が?と、眉を寄せて問う。それは至極もっともな反応だと思う。
そして高杉が次に発した言葉に頭から湯気が湧き上がるくらいに顔が熱くなるのだった。

「俺の下の名前で呼べば、この簪返してやる」
「なっ……ふ、ふっざけんな!なんでそんな事……ッ」

普段でも下の名前で呼ぶ事など滅多にないのだ。それを何をいきなり突然、と銀時は驚きを通り越して呆気にとられる。
銀時の驚愕と戸惑いに高杉はクツクツと喉を震わせて笑う。コイツ、からかったのか?疑問が脳内で乱雑に浮かび上がる。
高杉は偉そうな態度をそのままに、肘掛けに体重を乗せながら今度は嫌味でもなく、意地悪でもなく、ただ口唇を緩め笑う。その笑顔が過去に高杉がまだ歪む前に見た時の笑顔と重なり、一抹の懐かしさが去来した。
そしてドキリとまた大きく左胸が震えたのが分かった。

「なあに、ただ今のお前さんに名前で呼んでもらいたいだけさ」

交換条件とは言え強要するようには見えなかった。
けれど高杉の右手に収まる簪が存在を主張するかのように行灯から弱く頼りない光を受けてチカチカと輝きを放つ。
恥ずかしい、その一言が頭の中を隙間なく埋め尽くす。簪一つでやけに己は高杉の遊ばれたものだ。高杉の真意も今ひとつ読めない事も含め腹立たしい事は変わらない。
それでも高杉の一対の汚れが失せた深緑の瞳が銀時の瞳を射抜く。その瞳に震える心臓まで貫かれそうだ。これが女のときめきというものか。それとも銀時自身が持つ高杉への恋慕が激しく刺激されたのだろうか。
まったく、この色魔が。と、銀時は悔しさ半分、諦め半分と言った風で息をついた。

「分ぁったよ。……一回しか言わねえから、よぉく聞けよ」

今までに高杉の下の名前を呼んだ事などあったのか、と銀時の脳内に別の声が囁きかける。それは数えるほどしかないな、ともう一つの声が答えた。それも真正面からやまともな呼びかけではない、と補足付きで。
では今この場で言うのが初めてに近いと言う事に銀時は改めて顔に熱が上がるのを感じた。一体己は何度顔を真っ赤に染めれば気が済むのだ。疑問が留まる事なく駆け巡る。その答えを見出す事は果てしなく難しい事だ。
高杉が口角を上げたまま待っている。くそっ、恥ずかしいんだぞ。と、軽く睨みを利かせながら胸中呟くように悪態をつく。
よし、言うぞ。と、心の中だけで何度自分に言い聞かせたか分からない言葉を並べてもう一度息を大きく吸った。

「……しんすけ」

文字一つ一つに意識を正確に乗せながら言ってしまった。物凄く恥ずかしい。きっと体全体が熟れて熟した林檎のように真っ赤だ。羞恥で顔以外に人間の体が赤くなるのかは不明だが。そういう物の喩えをするほど恥ずかしいと言う事だ。
高杉の顔がみ見る見る内に無表情になっていく。これはやはり失敗だっただろうに、と高杉の思いつきに激しく反発したい。
挙句の果てに高杉は肘掛けに置く腕の先の掌を額から鼻筋に掛けて覆い、嘆くような態勢で顔を伏せた。なんだ、その態度は。お前が言えと言ったのではないか。どうしようもなくムカつく。
終いには体を小刻みに震わせ始める高杉。ここまで来ると人をどれだけ後悔と羞恥に叩き落とせば気が済むのだ、とワナワナと震える両の拳で拳骨を落としたいという欲求に駆られる。今目の前で後悔に体を震わす男が油断をしていても、その脳天にか弱くなった拳を落とせるかは微妙な所だが。
それでも銀時が細い腕を掲げ一発拳を振り下ろせるように態勢を構えた時、高杉が顔を上げた。

「……ッ!」

その瞬間銀時の細身の体に電流が走った。衝撃的な感覚に近い反応だったと思う。振り上げ固まったままの銀時の両の瞳に映る高杉の顔は笑っていた。
先ほど浮かべた過去の残像が重なる穏やかな笑顔とはまた違う、頬を若干染め、照れたように見せてそれを堪えようと眉を寄せる高杉の表情は今までの記憶を掘り起こしても記憶にない初めての笑顔だった。
こんな顔もできるのか、と半ば驚きと呆気に取られる中高杉は次の瞬間仮面を脱ぎ捨てたように元の無表情で端正な顔に戻した。それが何故だが勿体無く思い、もっと高杉の多彩な表情を見てみたい。そう思い自然と体を高杉の傍に寄せていた事に銀時は気付いてはいない。

「存外……来るものがあるな」

何が?と、銀時はコトンと小首を傾げた。柔らかい癖毛がサラリと額を移動するのを高杉の瞳が追うように動く。
高杉の心意が分からずに悶々と銀時は高杉の照れた笑顔を脳内で再生させる。あの高杉がデレるとはまた違うがあのような顔を浮かべるとは一体どういう事だろう。明日には隕石がかぶき町に飛来し江戸は壊滅するかもしれない。なんと恐ろしい。
銀時の大げさで失礼極まりない妄想を読み取ったかのように高杉が「おい」と不機嫌そうに眉を寄せた。やはりこの顔だけは良い男のこの表情こそが高杉晋助な気がした。先の照れを押し殺した顔も捨てがたいけれど。
銀時はまったく気付く素振りを見せないが、高杉が何故こんなにも照れを我慢するのかは銀時に原因があると言うのに、それでも本人には自覚はゼロである。
まったくもって無自覚な男……女である。

「……お前に名前を呼ばれたら、下半身が疼くな」
「……は!?」

瞠目し甲高い声を上げてしまった銀時は今度こそ身の危険を感じて優雅に座る高杉から百足に似た動作で着物を畳に擦りながら後退した。
本当の本当にこの男は自分の欲望に何処までも忠実な男である。これを自己中心的と表すのだろう。己も人の事を言える性格ではないけれど。
高杉がニヤリと嫌味ったらしく口角を歪めた。嫌な予感しかしない。先刻の可愛い高杉よ、帰ってこい。

「てめえに遊女としての仕事をくれてやるよ」

ほら来た。悪い予感が隼の如く目の前を飛ぶ。
銀時は己が今は女でしかも遊女と言う役柄を演じている事に遅まきながら気付き、目眩がするほどに己の不幸を恨んだ。月雄を一発ぶん殴ってやりたい。奴が男の内に。
高杉が意地悪そうに思いつきを言う時はいつだって銀時に苦労を与えてくる。今回もそうに違いない、と最早諦めがついた顔で目の前の高杉を眺めるしかできなかった。
けれど高杉が次に発した言葉はまたも銀時の予想を裏切る結果になる。

「俺が寝るまでそこで膝枕しろ。朝までな」
「……はい?」

素っ頓狂な声を上げてしまい銀時は目をはためかせた。
この男、今なんと言った?膝枕?なんで?
思いつく限りの疑問を半開きになった口から言葉に表そうとする声が声にならず、押し留まる。
高杉の事だから絶対に夜の営みをしろ、一晩中奴が飽きるまで。とでも豪語すると思っていただけに、ある意味肩透かしを受けてしまった。一体何を考えているのだろう。これも何かしらの謀略か。
警戒心が半端なく吹き出す銀時の様子に少々苛立ちを滲ませた顔を浮かべる高杉。銀時がこんな反応をするのも当然だと言う事に何故彼は気付かない。彼の日頃の行いのせいだという事に。
それでも高杉の不遜な態度はそのまま続行し、いいから早くしろ。と、乱暴に高杉の傍らを叩くのだった。それさえも警戒心を煽るだけになるとも知らず。

「けどよォ……なーんか怪しいんだけど……」

座った途端にセクハラ行為に走ると言う危惧が脳内を満たす。何度も言うようだが今は銀時は女。これほどからかいがいのある事はないし、やはり高杉の性格上何か危うい線を超えてしまうと思うのは常だ。
中々に首を縦に振らない銀時に痺れを切らした高杉は大きく舌打ちしながら目の下の影を一段濃くして言い放つ。

「いいからさっさとしろ。犯すぞ」

この禁句を言われれば黙って頷くしかない。卑怯者目、と精一杯の悪態を吐き捨てたい気持ちを懸命に抑え高杉の傍らへと寄って正座する。
その上に遠慮もなく重い頭を乗せてくるので本当にこの態度は可愛くない、と思いながら溜め息をついた。
男の時でも膝枕などした事がないが、女の膝なら柔らかいだろうからきっとすぐに眠りの淵へと誘われるだろう。先程までの喧騒に近い言葉の応酬がパタリと途絶え、外のザワめきのみが部屋の窓から流れ込む。外の雑音も実際はそれほど大きくはないので、殆ど静寂に近い状態とも言える。
眠るように瞼を閉じる高杉の額に掛かる前髪をさらりと手で梳きながら静かに呼吸を繰り返す高杉に声を掛ける。きっとまだ眠ってはいないだろうから。

「なあ。たくさん女がいるのに、なんで俺を選んだんだよ」
「……似ていたからな……女のお前が男のお前と」

此処で出会う前に高杉は今の銀時を見かけたらしい。銀髪赤目な女に、銀時の面影を見出したと言う。なんとも恥ずかしい話だな、と思いつつ銀時は小さく微笑んだ。

「それに……どこかで銀髪の女がお前じゃないかって、思ってたからよ」

その言葉に銀時の瞳が大きく見開いた。それは嬉しさと驚きから来るものだった。
高杉が女を買いに吉原に来ても、心のどこかで銀時の面影を認識してくれている事がなんとも言えない幸福だった。自分は高杉に愛されているだと、少々飛躍した思考になると思いつつも、それでも銀時には嬉しかった。
うつらうつらしてくる高杉の姿はあまりにも無防備で、ここで真選組でも乱入したら首を持って行かれるだろうに。そんな懸念が過ぎったが、それは有り得ないと銀時は言い切る。何故なら銀時が高杉を守るから。非力な女の腕でも、大切だと思ったものは守る。最も、高杉が銀時に守らねばならぬほど弱くはない。そう自負できる。
次第に呼吸は浅い寝息へと転じ、自分とそう年の変わらない男はかつて見せた幼い寝顔を浮かべてみせた。こんな風に可愛い顔をして眠るのを見るのが銀時の囁かな幸せの一つ。
意地悪で素直なんて欠片も見せないこの男がやはり愛おしい。己もまた、素直に高杉に会えた事に歓喜した事を告げられないでいるのだから、お互い似た者同士か。

「おやすみ、晋助」

撫でる額に掛かる前髪を掻き分けて潤んだ唇を右目に落とす。
朝、高杉が目を覚ましたら今度はキスをしてもらおう。久方ぶりの甘く熱いキスを。この時は素直な自分も少しは出るかもしれない。



END
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