短編小説

□土+高VS銀(の直前)
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 視線を再び銀時に戻し向き直った高杉が背中越しでこう言い捨てた。


「戦いたくなけりゃテメエらはそこで見とけ。俺は俺ひとりの剣ででも、奴をぶっ殺してやる」


 物騒な言葉を口にした高杉に新八は顔を悲壮に歪めた。殺すなんてとんでもない。そんなことをさせるためにこの男を洛陽で救ったわけではない。


「おい、高杉っ」


 耐えられず桂が窘めた口調で叫びながら高杉を睨んだ。

 呼ばれた声には耳を貸さないまま高杉の右足が一歩地面を踏みつけた。

 その場が騒然となりかけたそのとき、高杉声に追いすがる別の低声が新八のすぐ脇から響いた。


「テメエの剣だけじゃ信用できねえな」


突如聞こえたその声に驚き新八は咄嗟に顔を右手に向けた。

 視線を向けた先で視界の端を横切る黒影。その影に慌てて視線で追えばかつて江戸では随分と見慣れた全身を黒で染めた隊服が裾を靡かせながら高杉の隣で立ち止まった。漆黒の短髪から中天に向けて立ち上る細い紫煙。風上から冷たく吹き抜けた香りには嗅ぎ覚えがあった。その匂いを嗅いだだけで何故だか新八の心は一抹の安堵を感じてしまう。


「だがよォ……その剣がもう一本あればどうだろうな」


 どこか自信に満ちた声の主に高杉が隻眼を眇めて見遣った。悠々と煙草を吹かしてみせる男に高杉の眉間が不機嫌そうに皺を刻み込む。何故だか男の登場に露骨に機嫌を損ねたようだ。

 一本の煙草を丁度吸い終えた男――土方十四郎がそれを地面に落とし踵でもみ消したところで高杉のぞんざいな声が上がる。


「かつては幕府の飼い犬だったテメエが野良犬に成り果てながら何しに来た? まさか野良犬風情で俺と肩を並べようとでも? ……ハッ、笑わせる」


 心底馬鹿にした口調で高杉が此見よがしに肩をすくめてみせた。

 以前の土方なら銀時に限らず少々からかわれただけで反射的に噛み付いてみせる姿を見せていたのだが、揶揄された態度に対しても怒号のような反発を見せる気配はなかった。やはり背中越しからでは表情を読み取ることはできないが、土方の真っ直ぐに伸びた背筋からは落ち着いた空気がその身に纏われていた。以前の荒々しい雰囲気は打ち消され、静かで揺るぎない一本の信念が土方の総身を真っ直ぐ射抜いているように微動だにしなかった。


「そのつもりだと言ったらどうする?」


 短く息を吐き出す土方が笑ったような気がした。

 高杉もまた土方の横顔を見つめていた表情が更に不機嫌に顰められる。

 前々から負けず嫌いな傾向ではあったが、再会を果たしてからの土方は以前よりも一段と自信に満ち溢れた顔へと変貌していた。その証に隣の高杉に振り向いた土方の表情は笑っていたのだ。


「俺は確かにお前にもアイツにも剣の腕は劣っている。だから負けねえよォに今日まで必死こいて力つけてきた。俺はアイツにたくさんのものを与えられたからな。だから俺もアイツの守りたいもんを守れるぐらいに強くなってやろうって決めたのさ。アイツ諸共守れる強さを、な」


 言葉を紡ぐ最中で持ち上げた左手が腰に挿された刀に触れた。柄を固く握った土方がニヤリと意地の悪い笑みを高杉に向けてみせる。


「テメエだってそうなんだろ? 高杉。素直にアイツが心配だって言えよ」


 笑いながら茶化す土方に対して高杉の柳眉が目に見えて釣り上がった。こんなにも分かり易いほどの高杉の反応など新八は見たことがない。

 何も答えないまま顔を背けてみせる高杉。その仕草を行う一瞬に垣間見えた頬がほんのりと赤く染まっていたのは気のせいだろうか。

 かつて相対していた者同士の貴重なやり取りに新八が呆気にとられながら目を瞬かせていたとき。

 二人を挟んだ先に見える佇んだままの銀時が俄かに動いた。右手は刀を離さないようにぐるぐると何重にも布が巻きつけられ、刀と一体化した右手で無造作に構えを取った。

 新八を含む皆の間に一瞬で緊張が再来した。新八は何とか震えが落ち着き始めた足を叱咤して立ち上がる。それでも未だにあの時のショックからは抜け出せないでいる。


「銀さん……」


 薄汚れた前髪から覗く虚ろな目を見つめるうちに思わず名前を呼んでしまう。か細い新八の呼びかけは銀時の耳に届くことはなく、影を落とした暗い目元からは鈍い眼光が眼球に走る。まさに血に飢えた獣のようだ。心がどこか遠くに置き去られてしまった銀時を助けたい。それなのに自分の力ではどうすることもできないことがこの上なく悔しく、腹立たしい。思うように動けない自身の体に苛立ちギリギリと奥歯を噛み締めながら握った拳を太ももに打った。

 隣に立つ神楽も自分と同様の表情で耐えるように顔を歪ませていた。今にも泣き出しそうだ。それでも神楽は手にした傘の持ち手を持ち直し、一歩前へと足を踏み出した。彼女は自分よりも決して弱くはない。力量差なら神楽の方が遥かに上だろう。それでも同じ気持ちを抱える自分がここで共に行かないことは自分自身が許せない。

 新八が神楽を追うように一歩硬直したままの足を叱咤し何とか踏み出した。

 銀時を助けたい。その想いひとつで踏み出した足はその刹那、二本の交差した鉄の刃が二人の行く手を阻んだ。

 新八は勿論、神楽も驚き咄嗟にその足を踏み留める。

 神楽が自身の進行の邪魔をした背の高い二人の男を睨み上げた。


「邪魔すんじゃねーヨ。そこをどくアル」

「そうですよ。そこを退いてください」


 神楽が一瞬たじろぎつつも気丈に振る舞いながら極力落ち着いた声音で二人に凄んだ。

 新八もまたこみ上げる焦燥を押さえつけながら二人の男を睨めつけた。交差した二本の刀よりも二人の男の背中の方が遥かに大きな障壁だと錯覚をしてしまいそうだ。

 それでも威勢ならばこちらも負けていない。負けじ魂を胸に二人を更に睨み上げる。

 だが二人の男はこちらを振り返ることもしない。

 沈黙を貫いたまま刀を引っ込めない高杉の代わりに土方が落ち着いた口調で言葉を紡ぎ始めた。


「テメエらにはやらせねえ。ここは俺と……高杉でやる」

「なんでアルか。私たちはお前らが思うほど弱くないネ」


 ゆっくりと噛んで含める言い方で諭す土方に神楽が声を殺しながら食ってかかった。神楽とて銀時を救いたい気持ちは当然あるのだ。それを止められれば怒りもする。感情のまま銀時の元に飛び込んでいった所で彼を救う所か一太刀の下で瞬殺される恐れがあるのも理解している。だから殊更冷静さを努めていたのだ。

 だがやはり自分の思い通りに動くことが許されないことはもどかしい。


「そこをどくネ。銀ちゃんは……私たちが助けるアル」


 強固な決意を胸に神楽が更に声を低くして二人を威嚇した。

 新八もレンズ越しから立ちはだかる二人の背中を睨み続ける。銀時を助けたい気持ちは皆同じはずだ。新八たちだけが駄目ならば皆で銀時を助ければいい話だ。

 二人の男と二人の子供の一触即発の雰囲気に桂も坂本も口を挟む隙を見つけ出せず、状況を見守ることしかできない。

 そんな新八の掌の中で握ったままの木刀がミシミシと唸るように軋んだ。指の間から微かに覗く“洞爺湖”の文字。銀時が残したこの一刀を振るって銀時を虚の呪縛から解き放ってやりたいのだ。

些かに痩せこけた総身。着飾らない只の白の着流しを纏い、袖から覗く手の甲には青紫色の痣が見て取れた。体を隠すように着せられた着流しの下がどうなっているのかを想像するだけで物狂おしい気持ちになる。目に映る彼の姿がぼやけた視界の中心で揺らいでしまう。

 熱くなる目尻を拳で乱暴に拭いながら新八は神楽とともに二人の男に更にキツイ視線を向けた。

その二つの視線を背に受け続けたままの二人。一人は沈黙を貫いたまま隣の土方が徐にため息をついた。


「……悪ィな。テメエらの気持ちは痛いほど分かる。テメエらだってアイツを助けたいだろうよ。だがな、ここで万が一テメエらが傷ついちまったら、アイツに面目が立たねえんだ」


 こちらを首だけで振り返りながら見下ろす土方の表情は悲しげに眉尻を下げながらも殊更に柔らかかった。以前は近付きがたい雰囲気を晒していた土方は新八たちに対して慈しみが篭った暖かな眼差しを向けてくる。

 その今まで向けられたことのない土方の柔和な表情に新八は面食らった。

 土方は控えめながらも微笑を浮かべつつ再度前を向き直り、


「アイツが守りたいものを守る。俺はそれを貫き通す」


 落ち着いた声に静かな決意を宿らせ誓いを立てた。

 その決意を聞いた新八は言外にこの場を譲る気がないのだと直感した。

神楽もまた呆気にとられたのか。土方の揺るがない決意の硬さに怯み二の句が継げないまま呆然とその背を見上げたままだ。

土方の凛とした決意の台詞から一拍おいて短い笑い声が漏れた。


「テメエ、そこまで銀時に惚れてんのか?」


 今まで沈黙を守っていた高杉が常の嘲りとは違う、親しい人物を小馬鹿にした口調で土方にチラリと視線を投げてよこした。

 その視線と質問の意味している所が冗談なのか本気なのかが新八には分からない。

だがその質問に対して土方は恥じるでもなく毅然とした態度でそれに応えてみせた。


「さあな。だが、野郎をこのままにしておくつもりはねえよ。ただ……アイツのあんな苦しむ姿なんざ見たくねえだけだ」


 依然として背中を向けたままの土方の表情は一向にまともに読み取ることができない。けれどどこか清々しく思いの丈を吐き出す土方に対して高杉は再び息を吐き出すだけの短い笑声を上げた。

 そんな高杉の反応に対して鼻で笑う仕草を見せる土方が矢継ぎ早に問いかける。


「そういうテメエも同じなんじゃねえのか?」

「テメエに答える義理はねえな」

「そうかよ」


 素っ気ない答えに対して土方もまたあっさりと引いた。否、この一見して分かりにくい二人の言葉の応酬はもしかしたらお互い理解をしているのかもしれない。そんな気がしてならない。

 短い言葉のやり取りを繰り返し終えた二人が同時に交差させた刀を手首で回し高杉は右手で。土方は左手でそれを掴んだ。背丈の違う二人がその背を互いに密着し預け、それぞれの刀を真っ直ぐに銀時に向けた。一切の段取りもなく踊るような見事な構えに新八が呆気にとられる中で二匹の鬼の纏う空気が一変した。


「目ェ覚まさせてやるよ」


 土方の鋭い低声が殺意の満ち足りる澱んだ空気を切り裂いた。

 二人が押し殺していた気迫が空気を震わせながら爆発し、この場を覆い尽くした刹那。銀時が地面を蹴り、二人もまた同時に地を蹴り駆けた。

 ぶつかり交差する刃が目に見えた火花を散らす中で衝撃が風となって新八の肌を痛いほどにぶつけた。

 誰のものとも知れぬ咆哮が澱んだ曇天の下で轟めいた。




END
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