短編小説

□微睡で響く、虚実の声
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「ッ……」


 見覚えのあるシルエットに銀時はヒュっと息を呑んだ。廊下を照らす煌々とした電光を背に大きな影は緩慢な動作で銀時のいる室内に足を踏み入れた。


「おや? 目が覚めましたか。おはようございます」


 銀時が目を覚ましていることに気付いた影から声をかけられた。慣れ親しんだ者に向ける調子で目覚めの挨拶を口にする影にニコリと笑みを向けられた気がした。

銀時はギッと影を睨みつけた。聞き覚えのある声。銀時の前に現れたのは銀時を拉致した張本人、虚だった。

 今、銀時にとって一番会いたくない人物だ。

 影――虚は鋭く尖らせた銀時の視線を真正面に受けて尚も口元の笑みをやめることはなかった。手負いの獣の威嚇など気に止めない素振りを見せる余裕に、銀時と虚の力量差が判然としているようだ。


「こんな暗いところに一人にしてすみませんね。今、明かりを付けますから」


 虚が部屋の奥に進めば自動的に扉が閉まった。再び部屋が暗闇に覆われたことにより、銀時は悲鳴を上げる体を叱咤して無理矢理上半身を起こした。光に視野を焼かれた後の暗転では動く虚の姿を視認することはできない。虚の気配に細心の注意を払いながら側近くを通る虚に警戒心を向ける。すると傍らで何かを擦る音と同時にパッと室内が明るさを取り戻す。優しい橙色の光に銀時の影が背後の壁に大きく照らし出された。


「機械的な明かりはどうも嫌いでね。こうして原始的な灯りを使っているんですよ」


 枕元で燭台に火を灯した虚が指に挟んだマッチ棒を振りながら言った。

 寝台の上で肘をついた状態で体を起こしたままの銀時は緊張した面持ちで虚を睨みあげる。


「なんで俺を殺さなかった」


火の消えたマッチ棒を片した虚が銀時に向き直るのを確認してから開口一番に問う。


「連れてくる必要なんてないだろ。俺はテメエに手も足も出なかったんだ。弱い奴には用はねえんだろ」

「君を殺すことはいつでもできる。ただそれよりも興味があるんです。かつての私(松陽)が何故君を拾い、共に過ごしたのかが気になるんですよ」


 銀時の疑問に虚は穏やかな声音で流暢に答えを返した。磨硝子のように底が見えない瞳がねっとりと銀時を見下ろした。

 松陽に見つめられるときには感じなかった悪寒に身を震わせながらも、銀時は睨む姿勢は変えない。尖らせた視線に更に力を込める。


「そんなこと、テメエに言う義理はねえ」

「そう怖い顔しないでくださいよ。まるで私が君の仇か何かみたいな目つきですよ?」


 空惚けながらからからと笑い声を上げる虚に銀時は目を剥いた。


「笑ってんじゃねえよ! 実際そうだろッ……テメエは俺の仲間を傷つけ、俺の大切な人をこの世から消した。……確かに、アイツの命を奪ったのは俺だ。それは変えようのない事実だ。だがなァ!」


 ギリリと奥歯を噛み締めながら虚を睨んだ。沸々と腸が煮えくり返るとはこんな感情を言うのだろう。吐き気が襲うほどの胸に支える憤りを銀時は目の前の男に向かって吐き出した。


「テメエがアイツの顔でアイツが守ってきたモンを壊すことだけは許さねえ。アイツの……松陽の魂を汚すことだけは許さねえ!」


 今にも飛びかからんばかりの威勢を見せる銀時の顔を虚は表情を変えずただその顔を眺めている。

銀時は自分自身でも驚いていた。己の感情を思いのまま吐き散らしていることに。それほど松陽という存在は銀時にとって特別なのだ。

 銀時は虚の笑顔を浮かべただけの仮面を張り付けた顔に向かって更に声を荒らげ叫んだ。


「テメエは松陽じゃねえ! ……消えろ。その体から早く消えて、アイツを眠らせてやれ……あう!?」


虚に吠えていたその舌を骨ばった指が唐突に掴み前面へと強く引かれた。力任せに引かれた舌によって体は虚の足元に転がり落ちそうになるのを両肘で踏ん張りなんとか寝台から落ちることはなかった。

 だが依然と舌を掴んだ指は力を緩むことなく、今にも引き抜かれんばかりの状態だ。舌を強制的に引かれたことで吐き気が喉の奥からこみ上げ、生理的な涙がじんわりと目尻に滲んだ。抵抗をするにもなんとか寝台の上に体勢を維持するだけの状態では身動きは取れず、抗議の声も全て苦悶のうめき声に変わるだけだった。


「うるさい口ですねぇ……さっきから松陽松陽とあの男のことばかり。……本当に耳障りだ」


 張り付けた微笑はいつの間にか冷酷な一笑へと転じ、その笑みは銀時の背筋に恐怖をぞわりと這わせた。呼吸もできず、息苦しさに何も言い返せないままただ無意味なうめき声だけを上げ続けてしまう。


「君は私と対峙しているのにまるで私を見ていませんね。私とあの男が別人? それはそうでしょう。私はあの男のことなど何も知らないのですからね」


 抑揚のない声音で淡々と松陽と自分のことについて語る虚。その表情は常に張り付けていた笑みすらも消え失せ無表情でいて、どこか暗い憤り焔を宿しているようにも見えた。


「私を見ているのに、君の目には私を写さない。私ではない男を見ている。それでは私がただの入れ物ではありませんか」


 言葉尻と共に舌を掴む指に力が込められた。舌を潰されるのではと思える痛みに、声の形を成さない悲鳴が喉を震わせた。

ギリギリと嬲るように舌を引き、強弱をつけながら指に力を込める虚は苦悶の表情で溢れた涙をポロポロこぼす銀時を見下ろす。

「それにしても」と虚は常の笑顔を戻しながら思いついたように声を上げた。


「君の髪は変わった色をしていますね」


 突然話題を変えられ銀時が困惑で大きく瞬きを繰り返した。その間も舌は掴まれたままだ。口角から飲み込めなかった唾液がポタポタと溢れ始め、外気に晒されたままの舌は徐々に乾き始めていた。

苦悶に顔を歪めたままの銀時の状態を丸きり無視したまま、突然虚の手が銀時の髪に触れてきた。


「ッ……!」


 毛先に触れられたその箇所からこの上ない不快感が電流のように体を駆け抜け肩を大きく跳ね上げた。

 虚はそんな銀時の反応を面白がりながらサワサワと銀時の髪を続けざまに撫でる。

 怖気と悪寒が一度に体で味わう感覚に冷や汗がこめかみを伝い落ち毛先をじわりと冷たく濡らす。


「私も五百年生きていますからね。金の髪や赤毛などいろいろと見てはきましたが、君のような銀髪は初めてですよ。……ああ、朧も銀髪だったかな? まあそれはいいとして。結構いたのでしょう? 珍しい毛色の君を欲しがる輩が」


 屈託ない笑顔を向けながらその裏に隠れる嘲笑が銀時の胸を抉った。その顔でそのような言葉など聞きたくなかった。松陽と別人と思いながらも想像以上に心が傷つく。

 目に見えてショックを受けた顔を覗き込みながら虚は笑った。


「そんなに顔を赤らめて、図星ですか? 男も経験があると? こんな立派な筋肉をつけながらとんだ誑しですね」


 虚のケタケタと耳に不快感を撫で付ける笑い声に、銀時の顔にカッと熱が集中した。踏みとどまっていた腕で乱暴に虚の手を払い除ける。激しく動いた体は痛みを訴えたが、そんなことを気に留める間もなく、反射的に伸ばした両手で虚の胸ぐらを掴み上げた。


「違う! 俺はそんなことしてねえ!」

「違う? その割には私に舌を弄られたときの君は艶っぽい顔をしていましたよ? 本当は感じていたのでしょう?」

「ふっ、ふざけんじゃ……うあ!」


 羞恥に怒りを爆発させたまま掴み上げた両手に力を込めた。

だがその一瞬の間に虚の右手が手首を搦め捕った。見事な手捌きだと感嘆しそうになる動きで捻り上げられた手首は背後の寝台に押し返され、そのまま頭上で縫い止められてしまった。上体を押し倒され、強かに打ち付けた背に激しく噎せた。


「ッ……何しやがる!」


 成人男性の手のひらよりも大きい手で銀時の両腕を封じた虚は着流しのはだけた裾から覗く両足の間に体を割り込ませながらせせら笑った。


「君のことはね、結構気に入っているんですよ」


 突如降り注がれた好意の言葉に銀時は面食らった様子で大きく目を瞬かせた。

 銀時の反応に虚はただ笑みを刻んだまま空いた左手の人差し指で裾の間から覗いた太ももを下からゆっくりと撫で上げた。

 毛穴から汗が吹き出るほどの悪寒に一瞬息が詰まった。

 総身を硬直させた銀時の反応に虚の笑みが深く皺を刻む。


「だからね。お気に入りの君に私が直々に楽しいことをしてあげようと思ったんですよ。かつて敬愛した私(松陽)に抱かれるほど愛されるのなら君も嬉しいでしょう?」


 仮面のような作り物めいた笑みのまま吐き出された驚愕の提案に、銀時の思考は一瞬で停止した。

この男は何を言っている? まさか、その顔で俺を犯すというのか。

 停止した思考がやっとの思いで男の言葉を反芻し、その意味を理解するのに更に時間を要した。

 だがその意味を忽ち理解した銀時の頬に怒りと羞恥の熱が一気に集まり赤く色づく。ワナワナと肩を震わせながら言葉に上手く乗せられないままの声は獣のように荒々しく息を吐き出すだけだった


 ――これ以上、松陽を汚すな


 自分が犯されることよりも、自分を大事に思ってくれた松陽を汚させることの方が許せない。それは松陽に対する侮辱だった。

そんなことをこの男にやらせてたまるか。

 銀時は己が持ちうる力の限りに体を暴れせた。腰を上下に跳ねながら両足で虚の腰を何度も蹴りつけた。怪我を負った体に激痛が広がる。痛みに歯を食い縛ることで耐えながら、固定された両腕も渾身の力を込めて振り払おうともがいた。
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