短編小説

□烏が鳴くから“ ”へ還りましょう
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 娘の懇願を込めた悲痛な思い。その必死の祈りは次の瞬間、無残にも切り捨てられた。

「動くな!」

 娘の腕を掴んだ男の鋭い怒声に娘の顔が今度こそ絶望色に染まった。
 子供はまだそこにいた。抜き身の刀身を逆さに構え、今まさに一人の男の脳天にそれを振り下ろさんばかりの状態で動きを止めていた。狭い小屋の中では昏倒した男たちが数人倒れ、苦しげなうめき声を上げている。
 少年の目が男を眇めた。
 娘はその視線が自分に移動するとまるで少年に自らが犯した過ちを責め立てられた気分を感じ、思わず顔を伏せてしまう。
 少年は黙ったまま娘の腕を掴む男を睨み上げた。
 視線だけで気圧される少年の眼力にも男は怯む様子はない。それもそうだ。こちらには人質がいるのだから。

「動くんじゃねえぞ? もし動いたら……」

 男が言葉尻と同時に娘を引き寄せ背後から抱きすくめ、帯びに差した腰刀を引き抜き娘の喉に押し当てた。

「っ……!」

 突然押し当てられた小刀の刃に全身が一瞬で凍りつき、悲鳴を上げることすらもできないまま息を呑んだ。

「獲物を捨てろ。さもないと小娘の命はねえぞ」

 男は娘の背後から少年を見下ろし、その刃先を少年に突き付け勝ち誇った声を上げた。
 小刀を軽く振りながら脅し、再び娘の白い喉元に刃を戻すのを視線で追っていた少年はジッと男を睨みつけたままやがて躊躇なく刀を壁際へと放り投げた。

――どうして……

 少年の行動に娘は思わず顔を手で覆いたくなる衝動に駆られた。そんな些細な行動すらも背後の男の存在で起こすことができなかった。
 頭上で男が笑う息遣いが聞こえた。
 それを合図に少年に脳天を打たれかけた男が立ち上がり、無防備に立ち尽くす少年の頬を容赦なく殴りつけた。

「いやぁ!」

 部屋の反対側に殴り飛ばされた少年は土埃を上げながら地面に倒れ込み、その上に殴った男が跨りその大きな拳で何度も少年の顔を殴打し始める。拳がまだふっくらとした少年の頬をめり込むたびに頬骨が軋む鈍い音が娘の耳朶に届き、あまりの恐怖に耳を塞ぎたかった。けれど両手の自由がきかない娘には殴打される鈍い音を否応なしに聴き続けることしかできなかった。
 口元から赤い血糊が飛び散り、殴られる反動で少年の小さな体は何度も揺すられていく。涙の膜で滲んだ視界にその悽惨な光景が映り込む度に、娘は喉元の凶器など気に留めず悲鳴と共に甲高い制止の声を上げた。

「やめて! お願い、やめてぇ!」

 大きく見張った双眸からボロボロと涙の玉をこぼしながら娘は必死に男たちに呼びかけ続けた。
 しかし男は暴行の手を止まないまま少年の腹を鞠のように蹴り上げる。蹴り飛ばされた衝撃で少年の三度笠が外れた。中から現れた髪に娘は勿論、男たちもその色に息を呑み、その動きを止めた。

「なんだァ、この色は……」

 男が不審な声を上げながら地面に倒れる子供の髪を掴み上げしげしげと髪を見た。
 娘もまた見慣れない子供の髪色に目を見張ったままジッと少年を見つめ続けたが、娘を捕らえている男が可笑しそうに吹き出し甲高い笑い声を上げ始めた。

「こりゃなんだ? 物の怪の類か? ガキのくせにこんな真っ白な頭をしやがって」

 笑壷に入った様子で唾をまき散らしながら男が大笑いを繰り返す。釣られて少年の髪を掴んでいた男も次第に肩を揺すり始める姿に娘は不快感に両の拳を強く握り締めた。

「これじゃあ、まるで化物みたいだなァ」

 笑いに乗せた揶揄の言葉。それと同時に部屋を埋め尽くす耳障りな大笑。
 その笑い声を耳にする娘の中で堪えることのできない何かが恐怖心を打ち消した。

「何が、そんなに可笑しいんですか」
「あ?」

 娘は知らず声を出していた。血と暴力が充満するこの異常な空間の中で怯える体を御しりながら震える声を張り上げた。
 背後の男が訝しい声を上げ、目の前の男は首を捻りながら凄んだ表情で娘を睨んだ。
 少年に向けられていた殺気の矛先が娘に向けられる。緊張と恐怖で震えを増した体。それでも強く握り締めた拳は男たちへの怒りを緩めることはなかった。

「その子がそんな髪をしてはいけないのですか。私はそうは思いません。白くたって、その子は人間です。あなたたちと同じ、血が流れる人間です。その子が化物だというのなら、こんな酷いことをするあなたたちの方がよっぽど化物です!」

 娘は自らが驚くほどすらすらとこぼした非難の言葉に目を見張った。こんなにも自分の意見を真正面から相手にぶつけたのは初めてだ。それほどまでに娘は男たちの行為が許せなかったのだろう。

「……おい、嬢ちゃん。やけに偉そうな口利くようになったじゃねえか。さっきまで泣いていた奴とは思えねえなァ」

 背後の男の纏う空気に剣呑な鋭さが増した。

「ッ」

 喉元に宛てがわれていた刃が先程よりも強く娘の肌にくい込んだ。ぷつりと切れた薄皮はチリチリと痛みが走り、傷口から刃を伝い地面にポタポタと赤い血痕を落としていく。
 忘れかけていた恐怖が再び娘の全身を冷たく支配し始めた。

「だったら、試してみようじゃねえか」

 背後の男が面白そうに声を震わせながら言うのを合図に、目の前の男が不気味に口角を釣り上げた。少年を地面に押し倒し男は腰に差してあった腰刀に右手をかけ、すらりと抜き取りながら少年の胸にピタリと刃先を当てた。
 その光景を見ていた娘の喉が引き攣った。

「な、なにを……」
「こいつが本当に人間なのかどうか、殺して試してみるんだよ」

 浴びせられた衝撃すぎる言葉に娘の思考が完全に真っ白に停止した。まるで鈍器で後頭部を殴られた衝撃に思考が安定しない。
 自分が言った言葉で、あの子が死ぬ。その後悔し難い事実に全身の血の気は見る見る下がっていく。

「や、やめて!」

 引き攣った声を上げながら娘は男の腕の中でもがいた。
 だが女の細腕で大の男の腕を振り払うなど到底できるわけもない。

「化物じゃなけりゃ、ちゃーんと死ぬもんなァ?」

 男が小刀を高々と振り上げた。
 もがきながら娘は必死に手を少年に向けて伸ばす。

――間に合わない。

 その瞬間の時間が緩やかに流れていく情景を、娘は絶望に黒く染まった瞳で凝視した。
そして肉を突き破る刃の音が聞こえた。それは目の前の少年からではない。もっと間近で、言うなればすぐ真後ろからだった。

「う、あ……」

 喉を詰まらせたように苦しむ声がすぐ傍から娘の耳に届き、思考が一瞬の停止をした。

――……え?

 娘は混乱していた。目の前の光景では刃は少年の胸元に届く前に宙で止まっていた。小刀を握る男が呆然とした表情で娘を見上げていた。否、正確には娘の背後の男を見ていたのだ。
 その視線の意味を停止した思考のままの娘は理解するのに幾らかの時間を要していたが、その思考も直後に頭に降り注いだ生暖かい真っ赤な液体を浴びたことにより再び思考停止した。血だ。
 娘は氷のように体を硬直させたまま立ち尽くし、一体背後で何が起きたのかが分からなかった。ただ、理解をするよりも熱の残った血と臭気が漂う自身の体が背後を振り返ることを激しく拒否し、現状を理解することを放棄したのだ。
 ずりゅ、と言う何かが引き抜かれる音と共に大きな音を立てながら娘の真横に男が倒れた。恐る恐る視線を足元に向ける。男の喉笛に穴が空いていた。赤みを帯びた切り口を中心に水溜りのように広がる血。
その惨状を目にする娘は息をするのも忘れ、血だまりの中で立ち尽くしたまま動けなかった。
 立ち尽くす娘の横を何かがすり抜けた。視界の端で僅かに映り込む長い髪が横切った瞬間、まるで音もなく通る幽霊かと思えた。気配が、それには感じなかった。
 しかし気配が消えたそれは確かに娘の前に現れその場でもう一人の男と対峙した。少年と同じ三度笠を目深に被った旅鴉風の男。
小刀を構えたままの男は我に返った様子で少年から離れ立ち上がると、慌てて刃の切っ先を長髪の男に向けた。

「な、なんだてめえ……!」

 小刀の先を震わせながら男は血相を変えた表情で男を睨めつけた。先程までの余裕の態度は見る影もなく消え失せ、突如風のように現れた男に脂汗を額に張り付かせながら威嚇している。その声も仲間の男の死体のせいで裏返っている。
 男に長髪の男が笑いかけた、気がした。

「こんばんは」

 男が身を仰け反らせ明らかに怯えの色を濃くした。この血の匂いが充満する凄惨な場に大変似つかわしくない挨拶に狂気を感じたのだろう。
 長髪の男は血で汚れたこの場所に立ちながらも、纏う空気も投げかける言葉も酷く落ち着いていた。

「私の連れが大変お世話になったようですね」

 三度笠の頭を下に下げ少年を見た。再び顔を上げれば男の顔が一瞬で引き攣った。
 娘には長髪の男の表情は読み取れない。今しがた人を殺めた人間なのにその男から醸し出される落ち着いた雰囲気さが逆にこの男の異様さを発していた。甘い毒霧の中にでもいるかのようだ。
 男が長髪の男の視線に顔を背くことができないまま、その場で身を強ばらせている。
 一時の静寂が空間を支配した。それは目の前の男が纏う空気が周囲に伝染したようだ。殺気一つ、息一つ許さない虚無に等しい静寂の檻。その中に娘を含め男は囚われているのだと理解った。
 静けさを通り越して寒気すら感じるその空間の中。長髪の男の笑う気配が明瞭に悟れた。相対する男の顔色もまた、見る見る色を失っていった。
 娘は遅れながらに気付いた。これは単なる静寂ではない。落ち着きすぎるほど自然に纏った殺意の檻だ。
 痩身の背中から視線を外せないまま男は淡々と口を開く。

「私って、意外と短気なんですよね」

 対峙する男の肩が目に見えて跳ねた。一体目の前の男がどんな顔をしているのかは到底分かるはずもない。
 鯉口を切る音がした。男の背中がまるで死神の背そのもののように思え、悍ましい。

「私、怒っているんですよ。だからですね……」

 男が教鞭を執る教師の如く諭した口調のまま、笑った。

「一編死んで、反省してきてくださいね」

 頭上で烏がギャアと鳴いた。
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