【月下に咲く白銀】

□一章
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そこは軍本部で与えられていた部屋と同じくとても質素な部屋だった。
元々物には執着しない質な銀時故に新しく住まう事になる室内には必要最低限の荷物しかない。衣類等を適当に突っ込んだ汚いボストンバッグは入って早々に部屋の隅へと追いやられた。
特別待遇をされる事を嫌った銀時の意を酌んだ同僚の男はこの屯所の主に当たる大柄な男に特別室の件は丁重に断ってくれた。その辺りの同僚の礼儀さがこの時ばかりは有難かった。
それでも最低限の個室は与えられた事に銀時は軽く頭を下げて礼を述べた。その時の主の男――近藤と言ったか――の破顔した表情はとても印象に残っている。
組織の上に立つ者は配下の者にも分け隔てなく接しなければならない。気さくで大らかな人柄と見て取れる近藤はその辺りの事はクリアしていると思えた。銀時にとっても大変接しやすい人間だったので好感が持てる。
そんなあらましがあったこの部屋で一夜を過ごした銀時はクシャクシャに皺が寄ったシーツの上で両手をサイドに広げ天井を一晩中見上げていた。
一睡もできなかった、ではなく。最初から眠る気などはなかったのだ。
銀時にとっては一晩眠らないぐらいはいつもの事なので大して気にも留めない。それは昔からの癖と言ってもいいもの。同僚にはいい加減その癖を直せと再三に渡る注意を受けたのはまだ記憶に新しい。
昨日の内に此処屯所と呼ばれている特別警察組織の本部へ来てからは、共に来た同僚の男にも何も言わずフラフラと街へと繰り出した。そこからひどく既視感を起こさせる廃教会を目にした途端、胸の内から湧き上がる懐かしさに釣られ朽ちた門扉を通り抜け、そのまま教会内部へと足を向けてしまった。
そこから先は覚えていない。ただ、とても嫌な事を思い起こしていたと銀時は後になって思い出す。そして意識を失った後も悪夢となって銀時を苛ませ続けた。
けれど、その夢もある瞬間に嘘のように和らいだ。
夢の中で彼の人は昔のように優しく温かい掌で触れてくれたのだ。撫でるように小さく頬を擦る彼の人の笑顔が真っ白な背景に溶けて消えてなくなりそうになったが、確かに頬を撫でる手の感触はそこにあった。
夢であっても銀時にとって大切だった彼の人との触れ合いは一時であろうと、銀時につかの間の幸福を与えてくれた。それで現実世界の様々な出来事に立ち向かう勇気をもらえる気がした。
その瞬間、銀時の意識が見る見る内に浮上し覚醒した。
続いて重く張り付く瞼をこじ開けた時に目に飛び込んできた人物に一瞬息が止まる。
黒い艶やかな髪がさらりと額の上で泳ぎ、その前髪の狭間からは切れ長の眼がジッと此方を見つめていた。何者かも分からないその黒い男は突然目覚めた銀時に身を固くして戸惑いの表情を浮かべていた。
その時の己の片頬には男の長い指が添えられていたのに気付いたのは数瞬後の事。
後は己の中の動揺を目の前の男に悟られないよう適当に言葉を交わしながらその場を去った。
黒い男の印象が強烈に瞼の裏の焼き付けられている己の困惑に意味が分からないと言った状態で再び街に繰り出した。男の手と彼の人を重ねるなんて「可笑しいな、俺は」、等と心の隅での動揺をひた隠しにする。
そしてその数時間後。銀時と男は再び出会う。まるで出来すぎた運命の輪が二人を引きつけたとでもいうように。
明瞭とした意識が記憶の螺旋を下り過去へ飛んだ事により、夢遊病者のような朧げな意識に浸っていた銀時の耳に軽いノック音が届いた。それにより意識は覚醒する。
銀時が扉に視線を向ければよく知った声が扉越しから此方に呼びかけてくる。嗚呼、彼奴か。と、気配だけで察する銀時は扉越しの声の主の顔を頭に思い描いた。

「銀時。そろそろ朝礼が始まるそうだ。行くぞ」

声がそう短く要件を伝えると遠ざかる足音。
そこで銀時はベッドに沈む体をダルそうに起こしクルクルの髪を無造作に掻き上げた。髪が梳く指に絡まり軽い痛みが頭皮を伝わり襲う。ちょっとばかりそれが不快だが、いつもの事なので気にしない。

(彼奴は俺を見てどんな顔をするのやら)

軍の人間である己が彼の所属する真選組と協力する等という真選組の局長の近藤しか知りえない事実を聞かされれば驚くだろう。
更に言えばチンピラのようなあの男がその事を知った時の顔が何故か想像できる銀時。ポリポリと頭を掻く銀時の困り顔と同時にチラリと見せるのは悪戯を思いついた悪餓鬼のような笑顔。

「さて、と。行きますか」

黒と白の長い神父用のコートを翻しながら羽織り、ベルトを腰に巻きつける。棒きれのように使い古された木刀を挿すのも忘れずに。
裾が空気に遊ばれながらひらりひらりと靡き歩く銀時を追いかけるのに構わず部屋を後にした。
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