短編小説

□陵辱
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剥き出しの滑らかな肌に直接伝わる冷えた感触。
体の一部が触れたそこは固く冷たく、平行線を辿るように続く無機質な床の上に自分がいるのだという事を、意識が明瞭としない脳内で緩やかに認識を繰り返す。
糊が張り付いたように動かない瞼を持ち上げ、ぐるりと眼球を周囲に巡らせれば疑問が頭の中でヒョッコリと顔を覗かせた。
ここはどこだ。
視界が捉える景色を脳が判断し、そんな思考を巡らせ己の腕を一本動かそうと試みたが、指は動くのだが何故か腕は何かに押さえ付けられたようにピクリとも動かなかった。

「?」

暫く動いていなかったと思われる首をギギっと軋む音を立てながら動かし、不格好に床に転がる己の背後を見下ろした。
体は仰向けではなく横向きに寝かされていたために、背後を視認する事はできたが銀時はこの行為をした事に軽く後悔をした。
何故なら己の筋肉がスラリと張った両の腕の先には黒く錆びた鉄の枷が手首を戒めていたからだ。
寝起きの時と状態が酷似している意識がそれを見た瞬間には当然の如く目が覚め、赤い夕日のような真っ赤な双眸は驚愕に目を幾度も瞬いた。
んだよ、これッ、と罵声にも近い悪態を動揺で大きく開いた口から吐き出し、手枷から繋がる伸びた鎖を揺らしながら銀時は体を左右上下に動かす。
しかし、手枷は銀時の馬鹿力にもビクとも壊れはせずに鎖は虚しく乾いた鉄の音を室内に喧しく鳴らすだけ。
それが銀時の心に更なる焦燥を芽生えさせる。
怪我とは無縁の人間が、柔肌を傷付けた時に鮮血が溢れたという状況があるとしよう。
それを目にしたその者は己の体が巡る血の循環が、穴の空いた砂袋のように血の気が引いていく、そんな時の様相と似ていた。
困惑する状況に銀時は目の前に鎮座する鉄の扉を睨みつけた。
一体何者が己をこのように拘束し、監禁しているのか。
唯一自由を手にしている両足を動かし、腕を付いて立ち上がれない己の体に再三に渡って面倒な、と胸中悪態を付く。
膝が笑うのを耐えながらも立ち上がろうと懸命に体に力を入れてみる。
だが如何せん。
何か妙な薬を飲まされた時と感覚の似ている今の己の体では、ただ立ち上がるという動作一つ取っても正常に体が言う事を聞く事はなかった。
何度も立ち上がろうと太ももとふくらはぎを叱咤し力を込めるが、結局膝は崩れ落ち無様に体を床にぶつけるだけだった。
くそっ、と再度歯を食いしばりながら舌打ちを大きく打つ。
銀時が暫く暗い室内で悪戦苦闘を繰り返していれば、扉の外から足音は聞こえないが気配が複数近づいてくるのを尖った神経で過敏に感じ取った。
おそらく己を捕らえた者が様子を見に来たのだろうと今はもうクリアになった頭で思い、なんとか辛うじて上半身だけは起こした。
ズリズリと尻を床の上で引きずるように後方に動かすと薄いスラックス越しから伝わる摩擦によって起こった熱を臀部に感じた。
そうこうしていると気配が扉の前で止まった。
壁伝いに背を預け、猫のように産毛を逆立たせながら全神経を前方の無機質な扉に向けた。
無駄だと思うが、相手を射殺すような刺々しい殺気を当てるのも忘れていない。
あわよくばこの殺気に相手が怖気づいて去ってくれるのを切に願う。
しかし、希望というものは強く願えば願うほどあっさりと捨てられるものだという事を銀時はこれまでの人生で幾度となく経験してきた。
今回ばかりは頼む、と信じちゃいない神に珍しく神頼みをする銀時の懇願もゴミを捨てる時のように簡単に裏切られた。
スライド式の扉が静かに横に動いた。
一瞬、外の明かりに視界を白く染め上げ目を眩ませた。
手が動かせたなら軽く視界を覆っていただろうが、ここの不躾な輩にその動作をする事を封じられてしまった銀時はもう何度打ったか分からない舌打ちを忌々しく打った。
気配の主たちの影がひとつ、銀時の体を塗りつぶすように大きく体を覆った。
扉が無言で閉められ銀時は密かに脱出を狙って開いた扉の隙間を睨んでいたが、固く閉じられ再び迎えた暗闇が銀時を再び絶望へと陥れた。
丁寧に鍵の掛かる音を響かせたのが原因のひとつでもある。
先ほどの目の痛いほどの眩しさに目が少々やられたのか、暗闇が室内を支配すると銀時の視界に気配の主たちの姿は闇と同化し、数瞬の目視を拒んだ。
それに銀時が頼りにならない視力を諦め、気配のみで扉の前でこちらを伺っているであろう気配たちを睨み据える。
外部からこちらにやってくる時に感じた気配は三四人。
気配から人数を感知する事は攘夷戦争時代から否が応でも鍛えられた手練。
故に銀時の勘は外れていないと自負できる。
銀時の身体的状況を察したのか、銀時から一番手近に立つ者がああ、と気付いたように声を上げた。

「これはすみません。こんなに暗くては我々の姿が見えませんね」

灯りを、とどこかで聞き覚えのある柔らかな声に銀時は片眉をピクリと額に寄せた。
声からして男であろう声に素早く反応する気配。
パチリと何かを押したような音の後に何度か白い光が明滅を繰り返し、やがて先ほどの外の光より幾分薄暗い明かりが鈍く室内に満ちた。
それに再び銀時が目を薄く細めたが、すぐに視力は室内の明暗に慣れ明瞭になった視界に映る男の姿に瞳を大きく見開いた。

「てめえは……」

視界に収めた男の顔を銀時はつい最近に目にしていた。
それも数日前とか数週間前などと遠い期間に空いた時ではない。
ごく最近、昨日や今日といった記憶に真新しい具合だ。
銀時が意識を消失してから今この瞬間目覚めるまでの間にそれほどの間が空いていないのなら、という事が前提だが。
銀時は無言で記憶を辿りこの男の記憶を眼前に思い起こす事に専念した。
顔は覚えているがゆらゆらと波打つ様と一緒で記憶が曖昧だが、揺れる記憶を必死に掴み無理矢理思い出せばその男は昨夜居酒屋で銀時と相席をした人の良さそうな男ではないか。
銀時はその事実に開いた目を更に広げ男の穏やかだがどこか怪しげな空気を宿し笑う顔を凝視した。
男は銀時の様子にニコリと笑い目尻を緩めた。
甘く優しげな雰囲気を纏う者の見た目に騙されてはいけない。
そんな忠告を耳元でそっと囁かれた気がした。

「思い出しましたか?昨晩は美味しい酒をどうも」
「……てめえ、何が目的だ。俺をこんな所に捕まえてどうする」

現状は理解した。
己がこの目の前の男の手中にある事を。
しかし、目的が読めない。
この柔和な男が己に何をしようとしているか。
両手は拘束され、薬を盛られた体は思うように抵抗ができない。
己の不利な状況ばかりが目に付くこの状態で、果たして男のしでかす行為に抗えるのか。
乾いた喉にゴクリと唾を流し込み、ギリリと歯を痛いほど食いしばる。
銀時の放つ焦りの空気に男はまるで幼い子供に向けるような柔らかな仕草で笑いかけた。
それに二度も騙されるほど銀時も馬鹿ではないので、鋭く睨む姿勢は変えない。

「申し遅れました。私はこの奴隷船の艦長を勤めている者です。昨夜街を歩いていましたら、随分と珍しい毛色の人間がいると思い声を掛けさせていただきました」

雰囲気も柔らかいが、物腰も柔らかい様相だ。
だが男が最初に述べた肩書きがその雰囲気を一発で壊すほどの破壊力を有していた。
奴隷船などという物騒極まりない船の艦長クラスの者が何を思ったのか、銀時を捕らえ船に連れ帰った事実に銀時は軽く目眩が起こった。
よく見れば男の背後に石像のように控えていた影は人ではない。
耳が鋭利に尖った者もいれば、人間の姿など微塵も感じさせない動物や爬虫類の姿を形作っている者もいる。
ひと目でこいつらは天人だと理解した。
という事は男も天人なのか、と疑問が頭をもたげる。
昨夜の時も感じたが男の外見は何者が見ても人そのものに見受けられた。
差別するわけではないが知り合いでもない天人と杯を交わすなら同じ人と交わすと思うのが常だ。
まあ、だからと言って赤の他人と飲むのは今思えば気が引けるが。
おそらく泥酔状態の己は昨夜の飲み歩きに人を選ばずに席を共にしたのがまずかった。
警戒心の緩さに銀時はこの時ばかりは腹の底から昨日の己を思いっきり殴ってやりたい衝動に駆られた。
兎に角銀時は内心焦りと動揺が凄まじかった。
顔には微塵も出さないが、この男がこれから己に何をしようとするのか。
何を求めてくるのかを頭の片隅で密かに感じ取った銀時はこの時ばかりは己の勘が外れる事を切望した。
しかし、先程も述べた通り。
希望はいつだって簡単に切り捨てられる。
普段の己の行いが良くないのでこんな運のない状況が引き起こされるのか、と最早涙目に近い思いで男を強い眼光で睨み据えた。
黒い革靴の底がコツリと乾いた音を立てた。
眼前に見える男の姿がコツコツと靴底を鳴らしながらこちらに近付いてくる。
こんな奴らなど手の自由と獲物があれば一瞬で蹴散らしてくれるのに、と叶わぬ妄想を脳内で思い描きながら己の領域に無遠慮で闖入してくる男を見上げた。
膝を折り屈んでくる男は銀時と視線を一ミリもズラす事なく真っ直ぐに合わせてくる。
男は視線をまずは銀時の瞳を覗き込み、次に髪の方へと舐めるように移す。
なんだやるのか、と警戒の色を宿しながらも鈍く光沢を放つ銀時の瞳が睨む。
相手に威圧を与えるこの動作を一切止める事をしない銀時に男は口端を上に上げたままほお、と熱の篭った吐息を交わらせながら感嘆の声を漏らした。
その姿に銀時はああやはり、と外れる事の少ない己の勘を恨めしく思う。
この男の穏やかながらも双眸に映すのは男が女に求めるもの。
欲情と、征服欲。
隠しもしない雄が体と心に保有する欲を銀時の体に求められている。
その事実がどうしようもない嫌悪と不快で銀時に吐き気を催させた。
たらり、とこめかみから顎に伝う汗が雫を作り冷えた床に落ちて弾けた。
薄い背中にも感触の悪い嫌なものがひたりと這わされ体全体にブルリとした悪寒が肌を走った。
顔に動揺や焦りは絶対に表してはいけない。
それを見せ、悟られたら相手の思うツボだ。
しかし、この目の前の男にはいくら必死に隠していても暴け出された裸体と同じく、頭の上から足の先まで全ての体の造形を見られていると同じ思いを感じてしまう。

「やはり君のこの髪は自毛なんですね。地球人でこの毛色とは本当に珍しい」

毛先を小奇麗な指で弄り、頭皮からの生え際を丹念に観察しながら髪を梳く男。
その手つきがすでに銀時の体を厭らしく扱う動作へと転じていた。
銀時が男の大きな掌から無意味な事だとは理解していても、条件反射で身を捩り魔手から逃れようとすると、男は愉快そうに笑い声を上げながら手と共に体を離した。
居住まいを正す男は銀時に背を向け扉近くに待機していた天人たちの元に一旦戻る。
男が離れた事により銀時の立場が安全になったなどとは到底思えなかった。
男が理由もなく屈強な体躯を持つ天人たちを複数連れてここに来る筈がない。
銀時はすでに背中に密着する壁を押しのけて更に後方に逃げたい思いが叶わない事に歯噛みした。
男はゆったりとした動作で振り返り銀時を欲の篭った両の瞳で見る。

「勘のいい人は好きですよ。イチイチ説明をしなくても理解してくれますから。……だから、君がこれから何をされるのか。分かっていただけますよね?」

言葉尻を合図に天人たちは虫が蠢く様を匂わせる様子で銀時に群がる。
屈強な天人たちに囲まれ体が強張るが逃げられない、とすぐさま悟る。
頭や肩を乱暴に掴まれ指先から己の肌にピリピリと伝わる痛みに顔を苦痛で歪めた。
そんな銀時の姿さえ愛おしむ表情で眺める男の口元は微笑みを貼り付けたまま。

「さあ、私が入れやすいように入念に解してあげなさい」
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