短編小説

□素直じゃない二人
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「あー……なんで俺がこんな所で働かなきゃならねえんだよ」

周囲を金の麩で仕切られた長い廊下を銀時は歩いていた。銀時の床を踏みつける足取りは重く、更に肩に掛かる色彩豊かで煌びやかな女物の着物が重量感を倍増させ、憂鬱な気分も膨らむ。
月雄の半ば強制的な吉原の誘いに乗せられ銀時は今、茶屋で初の遊女としての仕事に向かおうとしていた。勿論男のままでは陰間になってしまうので、女として。女になった経緯はご存知のとおりなので説明は割愛させていただこう。
そもそも銀時は、今は女であっても心は男。男との付き合いなどマダオ事長谷川との飲み合いや某不良警察で目つきの悪い副長がやたらと絡んでくる程度の絡みしかない。それを遊女として男と接するなどどうすればいのか分かるはずもなく。ましてや女としての振る舞いや言葉遣いは皆目検討もつかない。
そんな男なのか女なのかハッキリしない銀時に座敷に出すなど月雄は何を考えてるのだ。
ズルズルと重い裾を引きずりながら銀時は目的の部屋の前に着いた。
麩の前で正座し、深呼吸を繰り返す。

(まあ、なるようになるか……)

茶だけ飲んで帰ってもらえるような流れにしよう、と銀時は華奢な胸の内で思う。実際に男と寝る行為には行きたくない。それは月雄にも口が酸っぱくなるほど伝えた。果たしてそれがあのやたら遊びなれた男に伝わったかどうかは謎だが。もし男に股を開くような事になったら銀時の男としての大切な何かが失う気がするからだ。
それだけが拒む理由ではないのだが、それは月雄には言わなかった。

(アイツにこんな事してるのがバレたら殺されるからな……)

苦笑いを湛えながら銀時は白魚のような手を麩の取っ手に掛けた。
スーっと静かに横に開く。
開かれた部屋の中に視線を配らす前に面を伏せ月雄に教わった通りの台詞を支えながら言う。

「ど、どーも。新人の銀子でーす。よろしくお願いしますー」

裏声を使い女のように甲高い声を出しながら途中で気付く。

(……あ。今、俺女だったんだ……)

無駄に声の高い女と思われただろう、と銀時は思うが相手からは反応がない事に少々疑問が湧く。
床を見つめていた視線を恐る恐る上げ部屋の主の男を見やると、驚きで息が詰まった。
金銀が豪華な部屋の中央に我が物顔で座る男の顔には見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんてものじゃない。今この場で一番会いたくない男がそこから銀時をじっくりと舐め回すように見ているのだ。
それに銀時の肌から大量の汗が流れ落ちてくるのを男は更に観察するように見つめてくる。
男は銀時が来るまでの間片手無沙汰だったのか、すでに空いた徳利を数本畳の上に転がしている。それでも男の顔は微塵も酔いの証である朱色を帯びる事なく、白い肌のままだ。杯を片手で口元に運び一口喉に通す姿は色男のようで絵になるな、などと銀時は混乱する脳内の片隅でふわふわと思った。

「どうした、早く入ってこい」

簡潔な言葉で入室を促され銀時は躊躇い勝ちに部屋の中へと入る。室内は彼が愛用する煙管の匂いが充満し、久しぶりに鼻腔で嗅ぐ彼――高杉の匂いを思い出させた。それが嬉しく小さく微笑んでしまったが高杉がそれに気付いたかどうかは分からない。
しかし、今は“銀子”という名の女。“坂田銀時”ではないのだ。
常の自分で高杉とは顔を合わせられないし、正体がバレれば絶対に何か良からぬ事を企むに違いない。
しかも、高杉は銀時に内緒で女を抱きにここへ来たという事は容易に想像がつく。もっとも彼が銀時の事など考えず、毎晩のように女を抱くという事を大っぴらにしている事もあるのでわざわざ隠す事もないのだが。
そんな彼に自分はどんな顔をして接すればいいのだろうか。
部屋に入ってから立ち尽くし悶々と悩む銀時を見ても高杉は顔色一つ変えずに手酌している。
考えていても埓がない、と高杉の傍に行き座るとズイっと杯を差し出された。勿論銀時用に渡すのではなく高杉自身の杯なのは分かるが、それに一瞬銀時はその意味を理解できなかった。そんな反応に高杉は眉間に僅かに皺を寄せ鼻っ先に黙ったまま杯を突きつけられる。それに銀時はなんだその態度は、と大きな赤い瞳を相手に睨めつければ高杉は大きく舌打ちを打った。更にそれが銀時の不快感を煽る。

「いつまで客に手酌させる気だ。酌ぐらいできねエのか?この阿呆女」

ブチリと銀時の頭の中で何か切れてはならない大事な糸が切れた音がした。何故初対面、ではないが女として初めて会ったこの男に阿呆と呼ばれなければならないのだ。なんたる侮辱。
もしかしたらこの男、世の女たちの事を馬鹿にした目で見ているのではないか、と思う。夜道で後ろからブスリと刺されないよう気を付ける事だな、と機嫌悪く鼻で笑い飛ばした。後が恐いので内心で。
渋々といった具合で銀時は御膳に乗った徳利を掴むとそれは大層不服そうな顔で酌をした。こんな男のために何故自分が下手に出なければならないのだ。
普段から力関係は体力云々関係なく立場的に高杉が優位だが、それに素直に迎合するような銀時ではなく。目一杯の悪態をつく事をしている。
しかし、今は遊女でその客という絶対的立場の違い。その関係が悲しいかな、銀時に横暴的な態度を取らせる事にストッパーが掛けたのだ。
無言でまた杯を突き出され銀時もまた無言で中身の酒が溢れるくらい乱暴に酌をする。これが本当の遊女なら即クビになったに違いないだろうが、そうなれば銀時にしてみれば都合がいいので心からそうなるよう願うだけだ。
高杉がチラリと薄化粧の乗った銀時の顔を見た。
何だよ、と射殺すつもりでギロリと睨みつけたが高杉には女の威嚇を含んだ睨みなどどこ吹く風といった風で気にしてはいないようだ。
先程から無言を貫き通す男は何を考えているか分からない端正な顔で銀時を見つめる目を逸らす事なく、視線を注ぎ続ける。
その視線に耐え切ればいいものを相手が高杉という事でつい眼鏡のツッコミ担当の少年の声に負けず劣らずの大声で叫んだ。

「だああああ!!何だよッ、さっきから人の顔をジロジロ見やがって!てめえは片思いしたあの子に恋する中二男子ですかコノヤロー!」

その瞬間、先ほどの沈黙より更に空気に鉛が乗ったように重い沈黙が流れた。

(……ヤベ)

後悔先に立たず、というかつて恩師から教わった言葉が恩師の輝く笑顔という映像付きで蘇る。
深い緑石の色を宿す隻眼に吸い込まれるようだ、と固まる脳内の端で思うほどに高杉から痛いほど視線を注がれる。その顔は最早確信に近いそれと似ていて、銀時は諦めたように息を吐くのだった。

「あーもー……そんなにこっち見るんじゃねエよ。バカ杉」
「ああ?なんだその言い草は。てめえこそ少し会わない内にいつの間に性転換手術なんてしやがった?」
「バーカ。好きで女になったわけじゃねエよ。お前もしかして知らねえのか?かぶき町で起きた事件。まあ、今じゃ性別変わってるのは俺たちだけどよ」

正体を明かした後の高杉の反応はさして驚くものでも興味を示すものでもなかった。
かぶき町での事件は知ってはいたらしいが、結果としては元に戻ったというニュースが報道されたので高杉も大して気にも留めない事件だったのだろう、と銀時は思う。
けれど実際に銀時たちのように地下に潜っていたために元に戻るチャンスを逃したので、今もこうして男女逆転なんて事が起きている。
銀時が今高杉に正体をバラした事や己の今後の生活への不安などという大層面倒な状況に、普段より落ち着いた天然パーマをガリガリと掻いた。

「あ!言っとくが別に此処にいるのはそっち目的じゃねエぞ。無理矢理働かされているというか……特に意味はなくてだな……まあ、そういう事だからな!」

何かを言われる前に先手を打って理由を言う銀時。その言い方は多少言い訳がましい風に取られるかもしれないが、それが事実なのだから仕方ない、と無理矢理己の中で納得した。高杉が銀時の述べた真実に納得してくれればいいのだが。
徳利から注がれた酒を一度煽る高杉は杯を御膳に置いた。どうやらその顔は一応納得した様子らしい事に銀時は心の底から安堵し、胸をなで下ろした。
その代わりに高杉が次の瞬間に浮かべたニヤリと笑う笑みにゾワリと腰の下か頭の天辺に掛けて電光石火の如く駆け抜けた鳥肌は、重く厚く、何重にも着込んだ着物のお陰で相手には見られなかっただろう。それが良かったのか悪かったのかは甚だ疑問だ。
ズイっと無遠慮に伸ばされた高杉の手が銀時の乳房に触れた。乱暴とまではいかないが、女に突然行う行為ではない。例え此処が女を売り買いする地下の吉原であっても。
銀時はいきなり触れられた箇所に身を石のように硬直させた。いったいこの男何をするのだ、と緊張と恐怖で思うように動けない銀時はこの状況下に置いても活動を活発にする脳内で文句を吐いた。
普段の銀時にはない豊満な乳と銀時の男なのに女のような反応に高杉は心底面白そうに胸を指で撫でる。
触られる胸への仕草はきっと男の時でも女の時でも同じ屈辱を与えられているのだが、何分女の胸は男の胸より繊細に扱ってやらなければいけないものだ。それなのにこの男、女の胸を無遠慮に掴むとは一体どういう神経の持ち主だ。
やはり女の姿で会うべきではなかった。例え不可抗力であってもだ。
高杉の指がクルクルと片方の胸の中心に円を描くように回す。そこには女の弱点でもある屹立する突起があるが、幸運な事に分厚い着物のお陰で敏感なそこには微弱な刺激こそあれど、決定的な刺激は通らないので銀時は二度目の安堵の溜め息を零した。
しかし、それで高杉の根っからのあくどい思考が収まるかと言えばそうではないのが高杉晋助なのである。
高杉は片方の空いた手で銀時の細顎を掴むと引き寄せた。その結果顔を突き出す形で高杉と視線がぶつかり、至近距離で見る高杉の顔はあまりの色男っぷりに銀時の小さな顔が音を立てて赤くなる。これは断じて女になったがために起こった生理的現象だ。ときめいたわけではない。
しかも、整った口唇から低く耳に残る声が紡いだ言葉を聞いた瞬間、銀時ではときめかないが普通の女なら胸に来る言葉を言ってのける。

「男に戻る前に、一回ヤっとくか。なあに、孕んじまっても餓鬼もろとも一生面倒見てやるぜ?」

ふざけるのも大概にしろ。そう喚き散らすのと同時に体の芯から湧き上がる恐怖に動かないはずの体が水を得た魚の如く蘇り一歩後ずさった。先に述べた女がときめく台詞と言えど、逃げるのはやはり女としての本能か。
その際に銀糸の髪からカシャンと軽い音を立てながら煌びやかな簪が二人の開いた空間に落ちる。

「あ……」

ささくれ一つない滑らかな畳の上に転がる簪を慌てて拾い上げようとする銀時。何故なら、これは店側から借りた物なのだ。傷一つでも作ればそれこそ体を使い弁償しなければならない。それほど銀時の見目からでも高価な物に思えたからだ。
しかし、タッチの差でそれを高杉が先に拾い上げる。返せよ、と銀時が唸る。
高杉は軸である棒を指で摘みながらぞんざいな扱いで銀時に差し出す。なんだ、今日はやけに素直だな、と銀時が高杉の常ならば意地悪をするであろうと警戒していただけに拍子抜けしてしまいながらも受け取ろうとした。
が、やはりここでも高杉は高杉だった。
簪に触れようとした刹那。ヒョイっと高杉の手が頭上に上がる。そのせいで銀時の右手は宙を掴んだ。

「なっ……おい、返せよ。高杉」

身動きが取りづらい足を膝立ちして上空の高杉が持つ簪に手を伸ばす。
けれどそれをいとも簡単に避けると今度は反対方向に腕を移動させた。まったく、なんでこんなに意地悪なのだ、この男。
懸命に高杉から簪を取り返そうと四苦八苦する銀時を高杉の面白そうな顔が視界に何度も入る。その度に腹立たしい事この上ない。

「いい加減、返せよ!」

銀時も元々気の長い方ではないがあまりに素直に返さない高杉にいい加減堪忍袋の緒も切れるというものだ。
常の身長差ではありえない今の身長差故に高杉の掲げる掌に届かないのなら、今高杉が腰を据えている内にこちらが立って取ってしまえばいいのだ。名案よろしく閃いた着想で銀時は立ち上がろうとした。

「……あっ」

まるでそれさえも高杉の策略かと疑うほどにそれは面白いくらい必然的に起こった。
銀時は今慣れない女物着物を身に纏っていた。しかも、普通の物ではなく遊女が着るような長くて重い着物を。それだけで慣れない銀時が配慮もなしに急に立ち上がれば裾に躓いてしまうのは明白だというのに。何故それに気付かなかったのか。

(……やべ、コケるッ)

女になったとは言え受け身ぐらいは取れるはず。思考で考える前に咄嗟の行動を体が起こそうとした時。それは優しく体の衝撃を吸収した。

「え?」

それは倒れた所が高杉の上だからだろう。
普段なら思わぬ高杉の男らしい腕に支えられ、高杉の胸に飛び込む形で受け止められていた。それがなんとも恥ずかしい光景だ。銀時から見れば。
頬を高杉の厚い胸板に自然に押し付ける形で吸い寄せられると、心臓の鼓動が耳に届くくらいに二人は密着する事になる。顔に熱が上るのを感じた。

「本当に飽きさせない奴だな。銀時ィ……」

赤くなる耳朶に唇を寄せて低く囁く高杉の声。こんなにもこの男の声が腰に響くなんて夢にも思わなかった。全ては女になったが為だ、などと言い訳してみる。
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