【月下に咲く白銀】

□一章
2ページ/9ページ







吸血鬼の事件から一夜が経った。
殺人未遂、及び吸血行為により逮捕した吸血鬼の事情聴取に追われる隊士たちを他所に沖田は稽古場へと足を向けていた。
屯所の奥に存在する広い稽古場に着くと、部屋の中央に稽古着に身を包んだ土方が姿勢を崩す事なく真っ直ぐな佇まいで頭上に振り上げた木刀を何度も振り下ろしている。体が前後に揺れ動く度に振り乱される黒髪には幾つもの雫が散らばり、土方のさらりとした髪に湿り気を帯びさせていた。額から流れ落ちる汗が瞼を通り眼球に触れれば煩わしそうに瞳は細められたが、それでも土方は汗を拭う事はしなかった。
もし、吸血鬼との戦闘で汗や返り血を拭う間がない場合。潰れた視界に取って代わるものは己が培ってきた鋭い勘のみ。それが最後は物を言う事を知っている沖田なので、土方が一心不乱に木刀を振るう意味を理解していた。
沖田は壁に背を預け土方が稽古を終わらせるのを待った。その間に沖田の赤みがかった茶色の瞳が息を切らすまでに木刀を振るう土方の姿を追っていたが、そこである事に気付く。

(……ほんと、機嫌が悪そうですねィ……)

視界に映る土方の姿を眺めていた沖田は頭の中で浮かび上がる常の土方の姿を静かに照らし合わせた。普段の土方でさえ機嫌がまったく良い時など見た事もないが、今の彼は眉間に寄せた皺を通常の数倍深くさせていた。常の土方の眉間の皺を把握している山崎辺りが見たら腰を抜かして固まるほどにそれは周囲に取って意味深いものである。沖田にしてみればそんな事どこ吹く風だが。
一体何が彼をここまで不機嫌にさせてしまったのだろうか、等と言う疑問も論争も持ち出すつもりはない。いらぬ火の粉は降りかかりたくないと思うのが人の常であろう。勿論、沖田もそれに従うまでだ。ただ沖田の場合は土方の逆鱗を簡単に躱せるので、敢えて機嫌の悪い土方に付けまわりちょっかいを出す事もある。
腕を組んで暫くの間土方を眺めていた沖田に気付いているのであろう土方は、木刀を振るう事を止める気配をまったく見せなかった。いや、敢えて沖田との会話を避けるために木刀を振り続けているようにも伺える。そんな土方に沖田は面倒くさそうに溜め息を吐いた。
これは昨夜何かあったな。察しのいい沖田は他人が分からない事を直様当てる。直感に近いそれを土方は気付いたのかは不明だが、ここで沖田が追求しても土方は固く引き結んだ唇を開く事はしないだろう。土方は自分のプライドに関わる事は頑なに言い噤む節があるからだ。
沖田は肩を竦ませながら半ば諦めた様子で背中を壁から離し、土方の横を通り過ぎようとした。
その時、ふと脳裏を過ぎった事を何気なく問うてみる。

「そういえば昨夜の吸血鬼。見事に逮捕できたようで」

返事など期待はしなかったが通り過ぎざまに昨夜の事件について触れてみた。勿論、土方が逮捕したという吸血鬼に関しての事でいつもの口調と調子で話した何気ない話題。真選組の中で副長である土方に掛かれば吸血鬼一人の確保など造作もない事だと自負できるであろう。
しかし、そのまま過ぎ去ろうとした沖田の耳に静かだが苛立ちを噛み殺した土方の声が届く。

「あれは、俺じゃねえ……」
「は?」

沖田は歩みを止め振り返る。視線の先の土方は此方に背中を向けたまま再び沈黙を貫いた。木刀を振るう手はいつの間にか止まり、風を切る素振りの音も鳴らない此処はとても静かだった。
沖田は丸い瞳を瞬かせ、昨夜の事件の当人である土方の言葉を待つ。が、待てども待てども彼からは言葉の続きも意味も語られなかった。まったく、話す気がないのなら中途半端に語るな。興味を持たされた事で真実が知りたい欲求に駆られながらも沖田は我慢と悪態を込めて小さく舌打ちを土方に向ける。
スッキリしないモヤモヤとした気持ちが沖田の胸の内で渦巻く中、土方は木刀を構え直した。再び重みのある風切り音が木刀から発せられ土方は稽古を再開する。
沖田もまた止まった足を出入り口へと向けた。本当にこのまま此処に居ても返答は期待できないからだ。昨日から隊士たちの話で機嫌が悪い土方をいつものようにからかおうという軽い気持ちで来ただけなのだ。結果として土方の不機嫌さの数値が異常なほど高かったので結局悪態の一つも付けなかったが。
沖田が扉に手を掛けようとした時、ガラリと扉が自動で開かれた。その事に驚く事はない沖田が室外の空気が入り込むのを肌で感じ取れば、幾分か外の空気の方が軽いと思えた。それほど此処はピリピリと空気の張った居心地の悪い空間というのがよく分かる。
沖田の瞳が外界に向けられようとしたが、それを阻むように立ちはだかる一人の男がいた。沖田や土方が身に付ける隊服とは違い質素で黒い衣服に身を包んだその男に沖田は見覚えがあった。山崎だ。
山崎は自らが開けた扉の先に立つ沖田に目を留めると息を弾ませながら「此処にいたんですか!」、と安心した様子で胸に当てた手をなで下ろした。
そして呼吸を短く整え沖田と後方の土方にも聞こえる声で要件を伝える。

「もうすぐ朝礼です。局長がお二人を探していましたよ?」
「分かってらァ。土方さんも早く来てくだせェ」

返事は当然なかった。だが、土方は木刀を振るう腕を止めると漸くグッショリと濡れた稽古着の袖で額の汗を拭うと、そのまま更衣室へと消えていった。

「ほら山崎ィ。お前も行くぞ」
「は、はいッ」

沖田は背後から自分を追いかける山崎を伴い朝礼を行う広間へと向かった。その間に山崎は沖田に不思議そうに土方の事を問うてくる。

「副長、何かあったんですか?何だかいつもより機嫌が悪そうだったんですが……」

やはり副長のパシリ件お世話役と隊内からでも揶揄されている山崎は直様土方の雰囲気に気付いたようだ。山崎でなくとも土方の不機嫌さは感じ取る事は隊士たちには可能であろう。それほどここの人間たちとは皆付き合いが深い。
オロオロと本人を目の前にしている訳でもない山崎の顔色は血色が悪く、困り事と心配事が混合した表情だ。それに沖田は片眉をクイッと上げ山崎を見る。

「アレはただの餓鬼なんだよ。ほっとけィ」
「ええ?ほっとける訳ないじゃないですかぁ……」

山崎は不服そうだった。さすがお世話役と言われるだけの事はある。山崎の気持ちは分かるがそれは俗にいうお節介というものだ。それに気付かない山崎はどうすれば機嫌を直すだろうか、と顎に手を添えながら悶々と悩み続けている。悩む事が結果に繋がらないと分かっている沖田はその姿が少し哀れにも思えたが、沖田の口からは慰めという言葉は決して出てこない。そういう男だ。
山崎が懊悩する事により沖田との間に沈黙が降りた。それに気にする事なく沖田は広間までの道を黙って歩いた。
そして歩きなれた廊下を辿り目的地へと着くと近藤が天井に届くほど手を伸ばし沖田を見た。「遅いじゃないか、総悟!」、という大きな声音には、まったくもって沖田を責める様子はなかった。何故ならその顔は咎めるような厳しい顔つきではなく、暖かく人を包み込む優しい笑顔だったから。それに釣られて沖田も微笑を浮かべた。
続いて山崎にもご苦労だった、と向けられた笑顔に山崎は照れたが、そんな彼の頭を横に押しのけ沖田は近藤の下まで駆けた。後ろで山崎が笑顔で涙を浮かべるがそんな事は眼中にもない。

「すいやせん、近藤さん。土方さんを探してたらつい……」
「そうか!お前も探してくれてんだな。ありがとよ!で、トシの野郎は?」
「稽古を終えてもうすぐ来やす。……そちらは?」

ふと視線が近藤の隣に立つ二人の男に向かった。近藤もまた傍らに目を向けて大仰そうに笑った。

「この方たちは軍の方たちでな。今日から俺たちと一緒に江戸の平和を守る心強い仲間だ」

その瞬間、広間にドッと喧騒が広まった。沖田もまた珍しく顔色が驚きに染まっていた。

「軍……の人間なんですかィ?」

言って近藤の隣に立つスラリとした痩身の男を見る。女のように滑らかな長髪がなんとも目立つ男だった。長髪の男は落ち着いた紳士的な表情を崩すことなく軽く会釈を沖田に向けてくる。

「国際連合所属対吸血鬼聖夷軍の部隊“攘夷”所属の桂小太郎だ。よろしくお願いする」
「桂さんは軍の中でも優秀な人間だそうだ。きっとここでもその才覚を存分に発揮してくださるだろう」

近藤はまるで自分の事のように嬉々とした表情で皆の顔を見回した。その仕草につい隊士たちも歓声を上げながら桂を見ると、桂は軽く瞼を伏せた。どことなく満更でもない様子が沖田は少々気に食わなかったが、近藤がそう言うのならその期待に自分も加わる事にする。
そして続いて桂の隣の男に近藤が促すように手を振った。その人物は酷く気怠そうに死んだ魚のような眼をした男で、やる気のなさが此方にひしひしと伝わってくる。
ただ、男のクルクルに跳ねた髪の色素が雪のように真っ白な事が先ほど感じた印象を上塗りするほど強烈だった。

「えー、と……俺は同じく部隊攘夷の坂田銀時でーす。よろしくー」

語尾を間延びしながら小指で鼻孔を抉るようにして鼻クソを深追いするその姿はとても軍の人間には見えなかった。軍といえば規律に厳しくそれ故にそこから生まれる人間は軍の管理する生き方に従順に従うつまらない人間が多いと思えていた。桂のように生真面目という人間がいる事にも想像がつく。
しかし、この男はどうだ。見目もそうだが、如何にも軍の大意に従わない風体に見えるのは沖田だけなのか。例えるなら居酒屋で呑んだくれたどこぞのおっさんという失礼極まりない印象に見て取れる。
ジッと視線が銀時に釘付けだったのを訝しんだのか。それとも興味を寄せられる事への不信感でも生まれたのか。銀時の灰色の双眸が静かに沖田の瞳を見据えてきた。ゾクリと肌に粟が生じる。
瞳の奥で放つ色彩は仄暗い訳でもなく、天井から降り注ぐ証明の明かりに乱雑に反射し星々のように輝く灰色の宙。眉をスっと瞼に寄せて見据えてくるその視線に沖田の胸がドキリと脈動する。先程まで酔っ払いと揶揄されていた男の裏返った姿に沖田は喉を鳴らしながら唾を飲み込んだ。

(この人は……)

只者ではない。そんな確信が湧いて出た。ただ見られているだけで銀時から放たれる気配がそう沖田に訴えかけてくる。
銀時と絡まる視線が外せない。まるで蜘蛛の糸にでも絡まったようだ。見惚れるのを通り越してすっかり困却し掛けた沖田の心情を察したのか。銀時はスっと、目尻を和らげ男にしてはやけに艶麗な微笑を口元に湛えた。それだけで沖田の心臓は激しく跳ねる。

「よろしくな」
「……こ、こちらこそ……」

己の胸の鼓動に戸惑い喉からやっとの思いで絞り出した声はカラカラに掠れていた。その声が本当に自分の声なのかと疑いたくなるくらいに。
短い挨拶の後銀時はまた視線を群衆に向けた。そこには先程までの艶やかな微笑みも澄んだ瞳も消えていた。
暫くの間近藤が何かを喋っている気がしたが沖田の耳にはその野太い声は聞こえなかった。銀時の己に向けられた視線が脳裏に焼印となって刻まれていた。沖田は垂れていた腕を上げクシャリと髪を掻き上げる。認めたくないが己はこの男の色香に惑わされたのか、と熱くなる顔を覆いたくなる気分で思う。
本当に只者じゃない男だ。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ