五月十八日
〜歴史を学ぶこと〜
 私は歴史を学んでいると「本当にこの世の中にはいろいろな人がいるなぁ」と感じる。それは何も現代に限ったことではない。過去に生きた数限りない人々も皆そうなんだ。世の中に全く同じ人間は二人といないのである。これが私が歴史から学んだ最初の事柄であった。
 歴史というとどうしても暗記教科というイメージを持つ人が多いと思うが、それは実は違う。少なくとも私の場合は違った。
 歴史とは「現在と過去の対話」なのだと私は思っている。もっと言うと自分と過去に生きた人の対話なのだ。だからこそ歴史は学ぶと役にたつ。なぜなら過去の人々は私たちがまだ経験していない多くの経験をつんでいる。別の言い方をすれば、歴史は「過去の人々の無数の経験の積み重ね」とも言えるだろう。
 そして、私たちはその無数の経験の積み重ねの中から自分に必要なものを選択して学べばいいのである。 先にも述べたように私たちは他に同じ人間は二人といないたった一人の存在である。だからこそ、特に若い人には他人と同じように生きるのではなく、自分らしく生きてほしいし、私もそうしていきたいと考えている。
 そのためにはルールがいると思う。私は自分の信条とも言える三つのルールを自分に課している。それは、宗教の自由を認めること、基本的な人権を守ること、そして、多様な考え方を認め合うことである。
 なんだか憲法の条文みたいになってきたが、少し我慢していただきたい。賢明な読者なら私が上記の三つの中の何について今まで記していたかおわかりだろう。
 私の取り上げる歴史や政治はその性質上、考え方によって意見の衝突が多いものである。その時に大切なことが多様な考え方を認め合うことなのである。これがなくては議論をする意味がないのではないかと私は思う。
 よって読者の方々には、私の記したことはたくさんある意見の一つだと思って見てほしい。そして、たった一人の自分を大切に自分らしく生きてほしいと考えている。

     浪江出羽守

五月十九日
〜グローバル化とは〜
21世紀はグローバル化の時代だと言われていた。 東西冷戦が終わり、人類はイデオロギーによる対立を乗り越えて、一つにまとまると本気で考えていた人がたくさんいた。私の高校時代の先生にもやたらとグローバル化という言葉を使っていた人がいたのを覚えている。
しかしながら実際はどうだろうか?
21世紀に入って最初の年にアメリカでは9、11同時多発テロが起き、アフガン戦争イラク戦争へと進んでいった。ユーラシア大陸ではロシアとシナが覇権主義的な動きを見せ始めて、軍備を拡大している。
とてもじゃないが、世界が一つにまとまるとは思えない状況がこの地球を覆っている。
そこで今一度考えてみると、グローバル化とは「地球が政治的にも文化的にも経済的にも統一される」という意味で捉えてはいけなかったのではないかという疑念が出てくるのである。 確かに経済的には世界は一つになった。それはサブプライム問題等でもよくわかる。
しかしながら政治的、文化的には壁というものが隠然と存在するのである。世界の人々が国境というものをかつてほど気にせずに移動できるようになったことで、むしろ自分というものを他者と比べて相対的に見ることができるようになったのだろう。
人々は自分のアイデンティティーをかつて以上に気にしている。自分の所属する共同体を意識するようになっている。この共同体とは地球などという漠然としたものではなく、同じ文化を持つ国家や民族という単位である。
そういう点ではサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』はことの本質を捉えていると云えよう。
ところでサミュエル・ハンチントンやトインビーといった文明学者達の中には日本をシナ中心の東アジア文明ではなく、日本独自の日本文明と分類している人も多い。
ここで考えていただきたい。私たち日本人は何者なのか、一体どこから来たのか、私たちは自分のことについてあまりに無知ではないだろうか?
これからの時代、私たちは意識して自分のアイデンティティーを確認し続けなくてはいけない。さもなければ、世界中から流入する多量の異文化に飲み込まれ、気付いた時には日本人は地球上からいなくなっているということになりかねない。
自らのアイデンティティーを確認する最も簡単な方法はなんだろうか?
私は歴史を学ぶことだと思う。日本史と世界史を比較することで、私たちは自らの特徴を知ることができる。
歴史は過去を知ることによって、自分の立ち位置を知ることができるのである。

     浪江出羽守  

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