×短編集×
□ひこうき雲
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澄み渡った空に、飛行機が一筋の軌道を残して去っていく。
“あたしもいつか、雲になるんだ。空を駆け回るんだ。”
ミツは、いつも空を見上げてそう、僕に言った。
“なんで、雲になりたいの?”
幼かった僕は、野球選手やパイロットになりたかった。空を飛ぶことには憧れていたけど、空を『駆ける』なんて不思議な言葉で、想像も出来なかった。
“だって、雲は自由だから。空を、自由に駆け回れるから。”
眩しそうに空を見上げたミツ。
そうだった、あの時も彼女の視線の先には晴れ渡った空があって、飛行機が飛んでいた。その軌跡を真っ直ぐな雲が描いて、しばらくして消えた。
“だったら、スチュワーデスになれば良いじゃない。”
僕はミツが好きだった。
小さくて柔らかくて、太陽の匂いがする、この世で一番近くて愛しい妹。
僕が操縦する飛行機で、ミツがスチュワーデスをする。ミツはきっと、綺麗な大人になるぞ。
僕は、その時ミツの瞳に少しだけ光った宝石みたいな雫には気付かず、パイロットになった僕とスチュワーデスの制服を着たミツを青い空に描いていた。
“そうだね。”
ミツは、困ったみたいな顔で笑った。
それから、何かを言い掛けた。
だけど、僕はミツの声をそれ以上聞くことはなかった。
小さい小さい、僕の妹はたった一人、僕より先に空へと駆けて行ってしまった。
いつも、空を見上げていたミツ。
晴れた日も、曇り空も、冷たい雨の日も。
空まで続く白い坂道を上って、ミツは願った通りに自由になった。
目をつぶると、動かなかった両足を元気良く動かして誰よりも早く走るミツの姿が見えた。
ミツの命は、生まれてすぐに消えるひこうき雲みたいに短く儚いものだったけど、僕は大人になってもミツと見た、青い空を思い出す。
野原に寝転がって見上げる空、小さな高い窓から見える四角い空。
きっといつか僕が空に昇った時、ミツが笑顔で迎えてくれる。
あの、小さいままのミツじゃなくて綺麗なスチュワーデスの制服を着たミツと、きっと広い空のどこかで会えると信じている。