REBORN!

□愛染螺旋律※R16
1ページ/8ページ


【act.1 破蕾】





煌びやかな舞台から降りた青年は、幾重にも纏った重たい衣装を脱ぎ捨てていく。その華奢な痩躯を隠すように殊更大きく華美な造りを施した衣装だ。
彩る赤や黒や金が、見る角度で様々な光を放ってその姿を変化させていく。

頭に乗せていた冠は青年の肩幅ほどの大きさで、あまりの重量で外した途端に青年は足元をふらつかせた。体重を増やそうと、人並み以上に食事には気を付けていにるも拘わらず、彼の願いは叶う様子もない。



「貴方の歌声は、繊細な貴方自身そのもののようだわ」


もの憂い顔で小さく溜め息を吐きながら、一人の女が青年にしな垂れかかる。
女の子と呼ぶには色付きが強く、レディと呼ぶにはまだ今一つ何かが足りない。香り立つ満開の花というよりも、蕾が綻び花開く寸前の、ちょうど奥床しいという表現が最も相応しい年頃の少女である。

控え目だがその実とても手の込んだ品の良いドレスに金色の細い髪がふわりと落ちて、まるで精巧なビスクドールが本物のレディに変貌を遂げる過程を見せられているようだ。


「何を仰いますか。貴方の愛らしさの前では、名家の薔薇とて咲くことを恥じるでしょう」


そう言ってふわりと微笑んだ青年に、少女は言葉もなく顔を赤らめた。
絢爛な衣装を脱ぎ、シャツとスラックスに着替えた青年は想像していたよりもずっと華奢だ。力強く、それでいて艶やかな歌声からはとても垣間見ることは出来ないが、衣装と化粧を落としてしまえば彼はまるで年端もいかない少年の様な風貌をしていた。
そんな、混乱を呼ぶほどのアンバランスさが青年の存在感をより魅力的にする。少女は何かに取りつかれたような眼で青年を見詰めた。

触れてはならない神聖な果実ほど食してみたくなる。手を伸ばすのに気が引ける存在だからこそ危険を冒してみたい。
少女は初めて芽生えた激しい衝動に戸惑い、恐れながらも求めようとしているのだ。


「ティーナ、どうかなさいましたか?」


とはいえ、まだまだ社交界にさえ馴染み切れない年頃の少女だ。生まれて初めて目にした、家族以外の男の身体に思わず目を逸らした。
動揺を悟られまいと口を噤むけれども、青年の琥珀色に澄んだ瞳に全て見透かされてしまいそうで、平静を装うことさえ苦痛に感じた。焦ってはならないと分かっているのに、早まっていく鼓動に何もかも一緒に連れ去られてしまいそうになる。


「私、貴方の本当の名を知りたいわ」


特別な存在になりたい。
おそらく財のある女性ならば誰もが欲するこの青年を手に入れて、自分だけの舞台に囲ってしまいたい。少女の心の中を渦巻く醜くもまだ幼い我欲が流れ出て、今にも青年に見透かされやしないかと不安でいっぱいになった。

周りから一歩抜きん出たい一心で打ち明けた欲望。一瞬訪れた沈黙が小さな胸を一層に乱す。


「デーチモです。私はこの他に名を有しません」

「…意地悪ね」


薔薇色に染まった、ふくよかな頬が僅かに膨らんだ。フイッと外方を向いたのは拗ねたからか、はたまた照れ隠しか。
熱っぽい視線から一転して、子供のような仕草を見せる少女に青年は苦笑を洩らす。

本来ならば雪の様に白い少女の頬に触れれば、薄化粧の若い肌は滑らかで手の平に吸い付くようだ。
手入れの行き届いた肌と髪。名門貴族の一人娘という、生まれついてのお姫様がそこにいた。




ふと、青年の脳裏に記憶の奥底で眠っていた古い情景が蘇る。
貧相な衣服を身に纏う、日に焼けた子供たち。ささくれた唇で紡ぐ音は技巧も情緒もないけれど、プロの歌手とは違う不思議な魅力と力強さがあった。

孤児である彼らに、街の大人は蔑みや憐みの目を向ける者もいたが、歌っている時の彼らは一人も違わず笑っていた。
そしてその真ん中には、懐かしいその人も笑っている。
優しい眼差しで呼んでいる。

青年の、本当の名前を。


青年は久かたぶりにその光景を思い出し、その頃の、子供のままの声で呼ばれる名に思いを馳せた。

今となってはもう、誰も口にすることはない。そう、オレの、本当の名は…、



「…デーチモ…、あの、」


頬に触れたまま、言葉なく真っ直ぐに見詰めていた青年の雰囲気に、少女は期待を一杯に膨らませていた。
女にとって人生でただ一度きりの特別な瞬間。両親に我儘を言い、大金を積んでまで手に入れたこのチャンスを、生かすも殺すも全てここが勝負であると彼女にはちゃんと解っていた。
瞼を落とすタイミングを計る。少女にとって一世一代の勝負。その先を委ねるように青年を見詰めれば、まっ直ぐに澄んだ琥珀色の瞳は少女の目の前で閉じられた。


それは、少女にとっては初めてのキスだった。熱い、と感じる余裕もない。
余韻さえ残さない口付けは、まるで先ほどまで観ていた演目の一部の様で、で友達と交わすそれよりもさり気無い。
少女にはいったい何が起きたのか一瞬訳が分からなかった。

慣れたように腰を抱き寄せられた手の平は燃えるように熱いのに、仰々しく振る舞う素振りが妙に儀礼じみていて、無意識に後を追いかけたことにティーナは自覚することも出来ずに呆然としている。


「…やっぱり…意地悪だわ」


彼女がもう少し幼ければこれで満足していたかもしれない。或いは、もう少し場慣れした女性ならこれを青年からの挑発と見なし、スマートに仕返しも出来ただろう。

駄々を捏ねるには美しすぎるキス。かといって満足には程遠い。
暗に、これ以上は踏み込むことは出来ないのだと思い知らされたようで、恋の駆け引きに不慣れな少女には平常心を装うことで精一杯だった。

















デーチモ。

それが、青年が歌手として名乗っている名である。

かつて、名もない聖歌隊にいた少年が、まるで運命の道をかけ上がるようにスポンサーを得、ナポリの音楽院で血の滲むほどの努力を積んだことで彼の人生が大きく変わった。

同じ様に学院に在籍していた少年たちの中には、才能に恵まれない者、不潔で簡易的な手術で片端(かたわ)になった者、何年経っても進級出来ない化石のような者、勝ち抜き戦争で正気を失った者がたくさん蔓延っていた。

そんな中にいるほんの一握りの勝者。幸運と天賦の才を持つ人間は、そんな亡霊のような者たちから想像を絶する報復を受ける。
厳しい歌の指導。それから、生きるか死ぬかの勝ち抜き戦争。そんな戦場に身を置く少年たちは、貴族の子供には手出しはできなくとも、デーチモのような「幸運で才ある平民」にならば容赦ない。
それどころか、後ろ盾がない少年たちは貴族と仲良くしておけば運が向くかもしれないと、無駄にそちらに取り入って好き勝手する始末。


弱い人間は強い人間に諂う。
敗者は勝者を恨む。
それは人の世の理であり、自分を守る術でもあるからだ。

人間とは所詮そんなものなのだと、青年はとっくに理解していた。
孤児院で育った少年は親の顔は知らなかったけれども、そのぶん院長やシスターの愛情を目一杯に受けて育ってきた。そして何より、産まれた時から傍にいるかけ換えのない分身もいた。

そんな少年が育った地を離れ、ひとりぼっちで突然放り込まれたのは正に地獄。人間の欲が火花を放つ戦場だった。





人を幸せにする歌を歌う。




かつてデーチモが無垢な少年であった頃に夢見た幸せな未来。
それは、こんな金と権力と欲望に覆われた世界で実現出来得るものなのだろうか。

考えないようにしても追い回される焦燥に、歌うこと以外は無力な青年にはまだ、眼を閉じて祈ることしか出来ないでいた。























.

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ