REBORN!

□レ・ミゼラブル
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「大人の方が、恋はせつない。…はじめからかなわない、ことの方が多い」



なんという切っ掛けもなく無意識に蘇ってたメロディーだった。遠い記憶の底から突然目覚めたままに、そっと呟いてみる。


「誰にも…言えない、友達にだって…」


この想いは言えない。
いったい誰の歌だったろうか。中学のころか、高校生になっていただろうか、それも憶えていない。ただ、なんて悲しい歌だろうと、少しだけ胸を痛めたとは思う。
歌詞にある通り、もう大人でいた頃の自分にはこの歌の本当の意味など到底解りはしなかったろうに。




「なんだ、秘密の片恋でもしてんのか?」


クツクツと不愉快な含み笑いをしながら、リボーンの馬鹿にしたような声が上がった。こちとら楽しくもない書類整理の真っ最中なのに、そいつときたらなんだ。エスプレッソ片手に雑誌なんか捲って寛いでやが…いや、いらっしゃる。
せめてもの抵抗にとそのお綺麗な顔をジト目で睨んでみたが、やっぱり元家庭教師サマには何の効力もない。短く鼻で笑われておしまいだ。


「別に。ただ思い出しただけだよ。雪が降ったら…雪になったらだっけ?…タイトルもちゃんと憶えてないや」

「『なごり雪』か?」

「うん、間違いなく違うね」


ワンフレーズ思い起こしたことで、それに引っ張られるようにして次々と続きの歌詞が蘇ってきた。同時に物悲しい女性の声が記憶の底で重なる。切なく訴えるような歌い方だ。
やっと思い出した。そうだ、あれは母国の国民的人気アーティスト。どちらかというと元気いっぱいに歌うイメージだったから、忘れていたのだろう。

理由もなく不安を掻き立てられるほど悲しく、寂しい。思わず感情移入してリボーンを見詰めれば、相変わらず彼の視線は雑誌に向いていた。
いったいどうやってタイミングを計っているのか、時折彼の相棒が尻尾でそのページを捲っては、怠惰に欠伸を洩らす。そしてリボーンはそれを優しく見守り、『あれは名曲だからな…』と呟きながら、長い指で悪戯に尻尾を擽った。







大人の方が恋は切ない。はじめから叶わないことの方が多い。

この歌を知った頃の自分は、まだ15にも満たない学生だった。
だから想像も付かなかったのだと思う。周りはみんな同じく学生で、付き合うとか付き合わないとか、好きな人ができたとかフリーになったとか、そんな恋愛に夢中になっていたから。やがてその暖かな檻から巣立てば、窮屈な自由がそこにあるなどとは。
出会った人が既に誰かのものだったり、立場や価値観やタイミングや見栄や、知らないうちにだんだんと増えていく足枷がそうさせるのだということ。好きだから、嫌いだからでは、全く事足りないということを。

まさか自分にそんな日がくるなんて、あの頃は想像も出来なかったのに。



「…秘密の想い人は、大切な誰かとクリスマスを過ごしているんだ。だから望みなんてないんだけどね、もし、…もし雪が降ったら、まだ諦めないっていう賭けをする。そんな歌なんだ」


年齢を重ねて成熟するほど、恋をすることが難しくなる。手放せないものや裏切れないものが増えていくせいで、心のまま素直に誰かを愛すことも難しくなる。

(好きにになってはいけない)

綱吉自身、何度自分に言い聞かせたか知れなかった。どうせ叶わない想い…禁忌の恋…今までの関係を壊したくない。どうせ許されないのなら、始から自覚しない方がずっと良い。
どこか冷静なそんな考えが、愛することすら阻もうとしていたからだ。
それでも結局、気付いた時にはとっくに手遅れだったけれども。


「ほう、難儀な奴だな」


リボーンは意に介した風もなく相槌を打った。聞いているのかいないのか怪しい位に、声の抑揚が乏しい。紙面から視線が離れることもない。

きっと彼にはこんな惨めな気持ちなど到底理解できないことだろう。欲しいものは躊躇なく手に入れる彼には。
自分の美学を曲げる位ならば、この世界すら否定するような彼には。

だからきっと、大勢いる彼の愛人たちは哀れに違いない。クリスマスを別の誰かと過ごしているリボーンを想いながら、けして手に入らない存在を待っているのだから。

そしてそれは他ならぬオレ自身も他人ごとではなかった。
努力すれば、想い続ければいつの日か報われるなんて誰も保障など出来っこないというのに、想い続けることを止められない。


「そりゃあ、お前には縁遠い歌だろうよ」


自信家には絶対に歌えない歌だと、僅かに皮肉を込めた。手に入らない誰かを想って泣くことなんて、この男にはきっと一生縁遠い話だ。
つまりこういう奴を女の敵だとか言うのだろう。


「なぜそう思う」

「誰にでもモテるから」


自分から与えた愛の数倍も、他人から与えられているのだろう、無価値な愛。その中に自分が抱いた秘密のそれも忍ばせるくらいは良いだろうか。
誰の目にも付かないくらいに小さくてもいい。行き場所がないままでは、どうにも苦し過ぎるから。


ふと、走らせていたペンを止めて、反対の手を胸にそっと置いた。ぞわぞわと堪らない不安な気持ちが波紋の様に全身に広がっていく。
それでも、この想いは言えない。



「馬鹿が」


力いっぱい冷たく放たれた言葉は、綱吉の心に冷たい水を掛けた。否定しないのかよとか、失礼だろとか、いつもの軽口も出てこなかった。
見詰めた先のリボーンの横顔が、まるで知らない人のように見える。読心術なんて便利な特技など持っていなくて、その唇から発せられる数少ない言葉と、滅多に変化しない表情でしか、リボーンという人物を知ることも出来ない。
此方の心の内を読まれないようにするのが精一杯で、真っ黒なヴェールに隠されたリボーンの本心になど、到底辿りつけるわけもなかった。

投げ捨てられた言葉の意味を図りかねる。仕方なくその先を待っていたが、リボーンはそれきり暫く口を閉ざしてしまった。
なんだか居たたまれない雰囲気だ。綱吉は小さく溜め息を吐き、再びペンを握った。
万年筆が紙面を滑る軽快な音だけが辺りに残る。同じリズムでサインをするだけの単純な作業は、なにも考えなくてすむのが救いではあった。



「雪は…?」


相変わらず此方を見ない目。雑誌に話しかけているかと思うほど素っ気ないもの。


「…降らなかったよ」


そう。誰の目に触れられることもなく、存在さえしなかったかのように、醜くも静かに幕を下ろした。溶けかけの、始末の悪いみぞれのように。
結局雪はみぞれまじり。この想いは溶けて消えていくだけ。そう、結局、雪は降らなかったのだ。終焉か継続か、どちらを望んでいたのかは分からないけれど、秘密の想いは一人きりで溶けて終りを告げたのだ。


そうやって、もしもこの恋が終わる日がくるなら、自分はどう過ごしているだろう。何かをきっかけにして諦める勇気など持っているだろうか。
否、自分はそんな賭けをする度胸などない。今だって、たったこれだけの沈黙にさえどうしようもないほど怯えているくらいなのに。



すっきりと澄み渡った春の日。
雨どころか、雪なんて絶対に降らないような果てしない青。
オレはここに居て、簡単に手の届く所にリボーンがいる。呼べば当たり前の様に返事が返ってくる所に。けれども遠い、遠い所に。決して、寄り添えない距離に。



「ツナ、」


ズキンという音が聞こえた気がした。
久しぶりのように感じる、深い闇を湛えた瞳がこちらを見詰めている。もう、ダメかもしれない。観念だ。
ドキドキと鳴る心臓を抑え込んで、読まれまいとする心中で情けなくも力一杯に白旗を振った。

次にくる言葉が怖かった。
こんな時のリボーンは、平気な顔で容易く傷付くことをいうのだ。彼にとっては何気ない、けれども綱吉にとってはとても良くないことを。
耳を塞げたら良いのに。心からそう願った。





「次の冬までその賭けは待ってろ」




嫉妬には慣れている。悲しい思いにも。
だから解らなかった。
その言葉の意味も。

深く項垂れるようにして胸の痛みに耐えていた綱吉が次に顔を上げた時には、リボーンは既に雑誌に意識を戻してしまっていた。
何だ、どういう意味だと聞き返したところでそれきり返ってくる言葉はない。リボーンは何事もなかったかの様に完全に口を閉ざしていた。



「…意味が解らない」



呟いた仏頂面に、春のやわらかな日が差した。綱吉がその意味を知るのはまだまだ先だ。
まだまだ冬は遠い。けれどもきっと訪れる、凍てつくもの悲しい季節。

音もなく降り注ぎ、この街を白く染める雪は、二人の未来をどう変えていくのだろう。


















『もしも雪なら』より

Fin...

2012.4.9

 

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