REBORN!

□Steal my Despair
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『初めまして、綱吉くん』そう言って笑った顔は、今の俺には眩し過ぎた。





「うーん;そこは昨日と同じ問題なのだがな…」


結局、母さんには強いことが言えず、不本意ながら家庭教師を受け入れることとなって一週間。母の願い虚しく、最初から気乗りしない綱吉に成果が表れる兆しは全くない。


「聞いているのか?綱吉」


母さんが手配した家庭教師は、はっきり言って人選ミスだと思う。
某一流大学に在席しているとかで、大学の夏休みを利用して短期のバイトをしたかったというその男は、学内でもトップクラスの成績らしい。しかしながら何を隠そう、


「話を聞いてくれなければ…泣くぞ」

「やめて下さい」


自分とよく似た顔をしているのだ。柔らかい印象の顔立ちは、自分よりも一回り…いや二回り程整ってはいるが、当人同士と母が認めるくらいには似ていた。
それをいいことに、何かあればその顔で『泣くぞ』と脅しを掛けてくるのだ。

ジョットと名乗るその男は、その雰囲気を裏切らず穏やかな人物だった。そして、自分ですら認めるくらい教え甲斐のない生徒を、大層根気強く指導してくれている。
同じヶ所を何度間違えても、面倒がらずに繰り返し繰り返し教える。そんな教師だった。


「では、ここからが今日の範囲だ」


その、あまりにも出来過ぎで理想的な教育方針が、逆に俺の苛立ちを高めていくことを、この人は気付きもしないのだろう。


「…あの」

「どうした?綱吉」

「解らないところが解りません」


馬鹿の一つ覚えのように『解らない』と訴えても、この人には通じない。
舌打ちも溜め息もなしに、にっこり笑って言うのだ、『大丈夫だ』と。





「ジョット君、夕飯食べていって!」

「はい、ありがとうございます」


こんなやり取りも、もはや日常的なひとこまになりつつある。
一人暮らしをしているらしい彼に母さんが申し出てからは、授業後に夕飯を食べて帰るのが通例となったのだ。


「いただきます」


今日も今日とて彼は、何も知らずにその椅子に座っていた。俺の隣、母さんの斜め前の、その席に。
家族ではない人間が家に出入りして、不本意ながらあの部屋に招き入れて、挙げ句こうして食卓を囲んでいる。俺は、どうしてこんなことを受け入れているのか。

母さんはそれでいいのだろうか。三人で囲む食卓を、何とも思わないのか。
母の表情を盗み見ても、いつも通り意外に形容しようがないその様子に、困惑を隠せない。


…許せない。そう思ってしまう俺は、子供なのだろうか。
母さんは大人だから、こんな風にくよくよ考えたり、心の狭いことを思わないのだろうか。

何も知らずに先生は、母さんが勧めるままに席に着いて、箸を進めている。
普段の二人きりの食卓とは違う、賑やかさが増した雰囲気。俺にとって偽物以外の何物でもないこの団欒は、酷く癪に障って仕方がない。

これ以上は耐えられない。憤りを我慢出来ずに、たいして作り笑顔も出来ないまま、俺は席を立った。


「…俺、食欲ないんだ」


当たり散らすこともできず、誰を責めていいのかも分からない。
わざとらしいその言い訳は、本当は苛立っていることに気付いてほしいという、卑しい気持ちの表れだった。自覚しているからこそ余計にやりきれない。

リビングを出る背後で、母さんがその人に謝る声を聞いた。






俺の弟は、幼い頃から頼りになるやつだった。苛められたとき、怒られたとき、逃げ込む場所はいつだってリボーンの元だった。
今だってそうだ。今までもこれからも、心の拠り所は彼の元にしかない。


「リボーン…」


ここに座っているだけで救われる気がする。


「夕飯すっぽかしちゃった」


いつもと変わらない綺麗な笑顔がそこにある。
いつからだろうか、一日の多くの時間をこの場所で過ごすようになった。以前、母親の田舎で目にしたものよりも簡易的で新しいそれを、こうして眺めているだけで落ち着くのだ。

幼い頃に見た仏壇は不気味で近寄りがたかったけれど、今はとても綺麗だと思う。
慣れた手付きで線香に火を点け、殊更丁寧に供える。彼を前にすると背筋が伸びて、なぜか仰々しい態度になる自分にも、慣れてしまった


「何にも忘れてないよ、」


お前の席に他人が座り、二人の部屋からお前の匂いが消えてしまっても。
例え誰もが忘れてしまっても、俺は何一つ忘れたりしない。


「…お前しかいないんだよ」



玄関が開いて、彼の帰宅を知らせる。

先生のことが嫌いなわけではない。
彼はきっと母さんからリボーンのことを聞かされているだろう。だからこそ、俺には何も聞いてこないのだろう。まるで腫物に触れるみたいに優しく接する。
無理に踏み込もうとはせず、それでいて作った壁は壊される。

分かっている。俺は怖いのだ。先生が日常に溶け込めば溶け込む程に、リボーンとの日常が遠退いていくことが。それを自覚してしまっていることが、怖いのだ。

母さんが本当に心配しているのは、俺の成績ではないことも。それが分からないほど子供ではなく、だからといって受け入れるほどには、大人ではなかった。






「…ツッ君?」


真っ暗な部屋に光が射して、深みに填まっていた意識が呼び戻される。

リボーンの顔から目が離せないのは、ただ単に母さんの顔が見れないからだ。
母さんはそんな俺を咎めることなく、暫く考えるように立ちすくんだ後、俺の隣に腰掛けた。そして新たな線香に火を点ける。
俺が供えたものは、既に灰と化していて、その香りだけが残っているだけだった。

母さんの表情からは何も読み取れない。真剣な顔でただただ線香の火を見つめて。そしてやがて半分程にまで短くなった頃、ようやくその口を開いた。



「…リボーン…リボーン、私の可愛い息子…」


聞いたこともないくらいか細い声が、何度となくその名を呼ぶ。
焦って振り返ると、意外にもその目に涙はなかった。母さんが泣いたのを見たのは、後にも先にもあの日だけだ。男の俺なんかよりも遥かに強いと、常日頃から思っていた。


だけど今、そんな母さんの背中がいつもより小さく見えて、堪らなく胸が苦しくなった。












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