REBORN!

□愛惜螺旋律※R18
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【act.3 無慈悲な棘】






夜毎訪れる激痛は少年の肉体と精神を少しずつ、しかし確実に蝕み始めていた。

肺の奥深くから込み上げる咳で口内には鉄臭さが広がり、小さな洗面台は途端に鮮血で汚れる。

夢現の苦痛が少年を支配しても、彼は一人で闘おうとしていた。


それが、大切な誰かを守る行為だと信じて疑わない、自らの幼さだとは気付かずに。










孤児院の生徒たちにとって院長や教師たちは母親であり、姉であり、大切な家族であった。

また、ここの教師たちは孤児院から教職の道を目指して再び院に戻った者が大くいる為、彼女らは孤児である生徒たちにとって良き理解者でもあった。



「…シスター・キョーコ」


中庭の真ん中にある大きなブランコは、ツナヨシにとって大切な場所だ。
しかし院内にいくつかあるものの中で一際大きなそれは、同じく他の生徒たちの人気も高い。だから、昔から気が弱かったツナヨシはいつも皆が他の遊びをしている時間等を見計らって遊んだものだ。


「なあに?ツッくん」


国語の時間。
本来ならば中庭の木にぶら下がる遊具に腰掛けているべき時間ではないけれど、キョーコは敢えて咎めることも急かすこともせず、縮こまるツナヨシの背中を少しだけ押した。


「シスターには、秘密とかある?」


少年の体重を引き受けたロープが少しだけ軋んで、痩躯は緩やかに前後する。


「…秘密?」

「そう。誰にも言わないこと。オレたちにも他のシスターたちにも、院長や司祭様にも」



ツナヨシの決死の問いかけを聞きながら、シスター・キョーコは背中に触れる手に伝わる体温を感じていた。
親友であったナナの忘れ形見はこうして今を懸命に生きているのだ、と。

そう思うだけで胸が、温かく切ないものでいっぱいに溢れた。
一瞬呼吸が詰まるも、相変わらず考え込む背中越しのツナヨシは気付かずにいてくれたらしかった。


「もちろんあるわよ」


きっと彼の胸を暗く陰らす悪魔は、他人には想像し得ないものなのかも知れない。キョーコはそう思った。
哀れなほど背中を丸めて委縮した子供。その闇を無理矢理に暴いたとして、真に光など差すものか。


後ろから抱き締めてやれたら、いっそのこと楽だったのだろう。



「これからツッくんとお散歩に行くことかな。シスター・ルーチェ院長には内緒でね!」



帰ってきたらきっと叱られるだろう。
そう考えてキョーコは少しだけ笑った。院長より厳しい、ツナヨシ専属のお目付け役を思って。











春の音楽会は年に数回行われる教会行事や典礼の中でも、最も盛大なものの一つである。


『見て、天才ピアニストのミルフィオーレが来ているわ!』

『ふん。まだ尻の青い新参者め。俺が実力を見てやろう』

その年に最も人気のある音楽家や歌い手を招いて盛大に行われる為チケットは相当に高値で交渉されるが、決まって発売と同時に売り切れる。
貴族以外の一般市民には到底手が届かない、つまりは金持ちの娯楽であった。

『うちの子はナポリから家庭教師を呼んで本格的に勉強を始めたんだ』

『ほう。あの牢獄学校出身とな?それはそれは』

『っく…。と、ところでウィーンに渡ったきり音沙汰ない貴殿の兄上は今どちらへ?』

『パリの宮殿で演奏していますよ。かの建築家ディーノが設計したらしい。尤も、貴殿の奥方の類稀なる美しさには敵わないがね』



普段は厳かな教会は、人々の噂話や音楽家たちの批評で持ち切りになっていた。やれここの宮殿の演奏会がどうだった、あの一族が誰を雇った、ここの楽団の誰それと誰それがどうなった…等と。


聖歌隊にはまだ幼い少年も数多く在籍しているが、その浮いた雰囲気に飲まれることはない。
彼らの大半が、既にプロになることを意識しているからだ。

ツナヨシとリボーンの様に自ら望んでいるものもあれば、貧困に苦しむ家計を助けたい一心で歌う者もいる。

というのも、歌手や音楽家として成功すれば莫大な資産が入る為だった。人々の音楽への関心がそれほどまで昂っている証拠だが、その反面、その道で成功するには才能と努力の他に多大なる運も味方に付けても尚、不足なほどであった。





見上げる丸い天井に賛美歌が木霊する。
耳に深く沁み入るその響きを、ツナヨシは心から愛していた。

ざわついていた場内は静まり返り、人々は呼吸する音さえも惜しんでその音色に聴き入る。
溶けあう声が身体中に響いて、どこか知らない世界へと誘われるような恍惚の時。居合わせた全ての人が一体となれる瞬間だった。

最後列にいる筈のリボーンの息吹を感じて、ツナヨシは歌うことの幸せを噛み締める。
先に変声期に差し掛かったリボーンは恐らく最後のボーイ・ソプラノとなるだろう。最近はテノールを出す方が楽だと言っていたことを思い出す。

つまり、同い年の自分も近々そうなるとしたら、この組では後一年歌えるかどうかだろう。


声が変わればこれまで歌えなかったものも歌えるようになり、楽曲に幅が出るだろう。
成長は進歩であり変化は喜びだが、切なさも残す。

リボーンとの、恐らく最後となる和音を肌身に感じてツナヨシは歌うのだった。

スカウトや引き抜きなんてどうでもいい。


だだ歌うことが楽しかったから。



そうして純粋に歌うことを楽しむその姿は、多くの目に印象的に映ったことだろう。
溶けあう音の中心で、彼は何か特別な光を放っていたのかも知れない。

どそちらにせよそれは他ならぬ彼の才能であり、人々が後付けで得ようとしても叶わない類の性質だったのだ。


『…え、?それって…、』

『嫌ならいいの。貴方の思う通りが一番良いのよ』


今考えれば、あの時の院長の苦悩は計り知れないものであっただろう。
否、今現在、憂悶に苦しんでいるに違いない。
ツナヨシはふと思い至る。


今この時を楽しいと感じれば感じるほど、不思議と身体の奥底から無限に湧き出る声が堪らないと思った。
小さな胸を悩ませるシコリは、歌が取り払ってくれる。


『…オレ、嫌です』

『ええ。分かったわ。さあ、皆と遊んでらっしゃい』



リボーンと一緒にオペラの舞台に立つ。そこで声の限り歌いたい。
長年夢見てきた希望。


確固たる決意が、ある一つの可能性によって迷いを呼ぶ。
それは弱冠11歳の少年にとって、あまりに残酷な岐路であった。








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